第二章 13 『傲慢たる所以』
「待て」
イロンの冷静な声が部屋に響く。攻撃態勢に入っていたカイセンたちの前に立ちはだかり、その動きを止める。
「どうした? こないのか?」
ルシファーは鋭い目つきでイロンたちを順に見渡す。それはまるで、誰が自分と戦うに値するのかを選別しているようだった。
「封印する前に、聞いておきたいことが何個かあってな」
そう言いながら、イロンは魔法で三叉槍を生成し直す。
「いいぞ。何でも聞け。俺は嘘をつかねえ」
ルシファーは再び玉座に腰を下ろし、肘掛けに腕を置く。
「まず一つ目だ。魔王が存在しないというのは、第一次人魔戦争の時からか?」
ルシファーは少し考えてから答える。
「……第二次人魔戦争の時には、すでに魔王はこの世には存在しねえ。第一次の記憶は俺にもないからな」
「ならば二つ目だ。過去の資料に、魔王の存在が確認されていないことなど記されていなかった。さらには、七大魔族の権能さえも」
イロンは一度息を吸い直してから、続きを口にする。
「そして最も気になるのは、今そう言われるまで、資料に記されていないことに誰も気づいていなかったことだ。魔王が存在していると、皆が信じ切っていた」
ルシファーは考える様子もなく答える。
「それは忘憤者の権能だ」
イロンは『忘憤者』という聞き覚えのない言葉に反応し、その意味を問う。
その問いに対し、ルシファーは『憤怒の魔族』のことだと説明した。
「最後に三つ目だ。嫉妬はどこにいる?」
「知らねえな」
ルシファーは即答した。
「偏慕者の考えは、俺でさえあまり分からねえ」
ルシファーは肘掛けを指で軽く叩きながら続ける。
「もういいか?」
その時、ナインが手を挙げた。
「一つ、質問してもいいですか?」
ルシファーがナインを見る。
「あなたは昔、レグルス王国周辺の森に行ったことはありますか?」
「森か。全部ではねえが、何個かなら行ったことがある」
ルシファーは少し考える。
「あれは十二年ぐらい前だったか? 魔物の育成状況を確認しにな」
「その森で、子供を殺しましたか?」
ナインの声が僅かに震える。
「ああ。確か、そんなことがあったかもな」
ルシファーは足を組みながら記憶を辿る。
「確か、中々な魔力を持った子供がいたな。それと共に行動していた奴を殺した記憶がある」
「……そうですか」
カイセンには、ナインが怯えているように見えた。
だが、その拳は強く握り締められていた。
ルシファーは綺麗で真っ白な前髪を掻き上げ、立ち上がる。
「かかってこい」
その言葉を聞くと同時に、リベルとテクストが走り出した。
「王牙流・朱雀!」
リベルがルシファーから少し離れた地点で朱雀を放つ。
ルシファーは地面を蹴り、空中へ逃れる。しかし、朱雀を避けた先にはテクストが迫っていた。
「王牙流・白虎!」
テクストの剣は速い。空中では動きにくく、避けることはできない。
そう判断したルシファーは、水属性の中級防御魔法を発動する。
「クリペウス・メディウス・ヴァッサー」
白虎が防御魔法へ叩き込まれる。
防御魔法は白虎を受け止めた。
しかし、地面へ着地したルシファーへ、テクストが追撃する。
「王牙流・青龍!」
剣が防御魔法を斬り裂き破壊する。
だが、その先には手を前へ突き出し、魔法を放とうとしているルシファーがいた。
「グロブス・メディウス・ヴァッサー」
至近距離から放たれた水属性の中級攻撃魔法。
テクストは最も発動の早い玄武を使おうとする。
しかし――間に合わない。
「王牙流・白虎!」
リベルが放った白虎が、水魔法を切り裂いた。
「一旦下がるぞ、テクスト」
リベルの声にテクストは頷き、イロンたちのいる場所まで後退する。
(リベルめ、白虎がいつも以上に速いな。よっぽど弟が大切か)
ローゼが心の中で呟く。
二人が後退している間にも、他の者たちは攻撃を続けていた。
「フラメンボーゲン!」
炎の弓から、燃え盛る三本の矢が同時に放たれる。
カイセンも射程圏内まで近づき、「ミストルティン」を発動。黒い弓から矢を放つ。
シエルも同じタイミングで『シャルフアイス』を発動し、無数の鋭い氷をルシファーへ向けて放つ。
シエルの『シャルフアイス』がルシファーの動きを抑え、その隙を狙うように、ローゼとカイセンが放った四本の矢が迫る。
ルシファーは一枚の防御魔法では防ぎ切れないと判断し、二枚の防御魔法を展開した。
そしてイロンが槍を構えて接近する。
ルシファーがイロンへ向けて攻撃魔法を放つ。
「マサカサ!」
ミナの権能によって、魔法の軌道が反転する。
ルシファー自身の魔法が、逆にルシファーへと向かっていく。
ルシファーは迫り来る水魔法を、同じ水魔法で相殺した。
その間にイロンが槍を振るう。
しかし、ルシファーはその攻撃を完全に捌き切った。
全員が一度元の位置へ戻り、息を整える。
それぞれ別々の場所で戦ってきた者たちとは思えないほど、攻撃は噛み合っていた。
七大魔族の第一柱を相手に大したダメージこそ与えられていない。
それでも、こちらが攻撃側に回れている。
その事実が、何名かに自信を与えていた。
しかし、一人だけ攻撃にも参加せず、ただ立ち尽くしている男がいた。
喉の奥を完全に塞がれたかのように、「カハッ、カッ……」と喘ぐだけで、まともに息が吸えていない。
汗を流しながらルシファーを見ようとしては、すぐに目を逸らす。
それを何度も繰り返している。
そこで、カイセンは静かに駆け寄り、ナインの肩に手を置いた。
「落ち着け、ナイン。あいつとの間に何かあったのは、見てれば分かる。それでも、落ち着け」
カイセンのまっすぐな目を見る。
ナインは少しずつ呼吸を整えていく。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
やがて冷静さを取り戻すと、ナインは少し笑った。
「気持ちの問題――ですもんね!」
ナインは自分の顔を力強く叩き、気合を入れる。
そして手を前へ突き出した。
恐怖が消えたわけではない。
怒りが消えたわけでもない。
悲しみが消えることもないだろう。
――それでも、絶望は消えた。
「フォル・アレス・エレメント」
七色の光が混ざり合い、溶け合っていく。
炎、水、風、土、雷、光、闇。
これまでの『アレス・エレメント』は、七属性を無理矢理固めるように重ね、魔力の塊として放っていた。
しかし、今放たれる『アレス・エレメント』は違う。
七つの属性が反発することなく、互いに調和している。
威力の話をするならば、足し算が掛け算になったようなものだ。
「僕は負けません!」
放たれた。
七色の光は、一瞬でルシファーの元へ到達する。
その速さに、ルシファーは防御魔法の展開を僅かに遅らせた。
魔法が直撃する。
爆風が視界を覆い尽くした。
ルシファーはこれまで、イロンたちの攻撃を躱すか、防御していた。
素で受け止めたことはない。
しかし――。
「凄まじいな」
爆風の向こうから、ルシファーの声が聞こえる。
やがて爆風が散っていく。
「知っているか?」
ルシファーが姿を現す。
「傲慢や怠惰、他の七大魔族。後は憂鬱と虚飾とかか。そういう称号を与えられる魔族には条件がある」
ルシファーはゆっくりと歩く。
「それは、権能を持っていることだ」
そして、口元を僅かに吊り上げる。
「もちろん、権能を持っているだけじゃねえ。最低条件って話だ。弱すぎて話にならねえ魔族もいるからな。そういう奴らは称号を得られない」
「つまり、俺が言いたいこと……分かるよな?」
その姿は、先ほどまでとは打って変わっていた。
右の翼は神々しい純白。左の翼は、どこか不気味さを漂わせる漆黒。
左の瞳は全てを見透かすような宝石のような青。右の瞳は血のように濃い赤。
綺麗な白髪は先ほどよりも伸び、風に揺れている。
美しい。それでいて、本能的な恐怖を感じさせる姿だった。
「ダテンアマカ」
ルシファーは自らの髪と翼に触れながら、人間たちを見下ろす。
「これが俺の権能だ。これが、魔族の頂点だ」
ルシファーは長くなった前髪を掻き上げ、イロンたちを順に見渡す。
「俺は七大魔族の第一柱、傲慢の魔族――アロガンツ・ルシファー」
その声が、部屋に響く。
「そう、傲慢の魔族だ」
そして――。
「だから、だから、だから、だから……。だから、だから、だから、だから、だから!」
笑みを浮かべる。
「俺はお前らのことを理解したくて仕方がねえ――」
ルシファーは一歩、また一歩と歩き始めた。
「相手のことをよく知らないのに見下すなんて、人間のやることだ。俺はお前らの良いところ、悪いところ、得意なこと、苦手なこと、全てを知った上で軽蔑する。もちろん、尊重するべきこともあるだろうな。だが、俺と比べてしまったら、お前らなど霞んでしまう」
そして、笑みは消える。
「この戦いで少しでも俺からの評価を上げられるように頑張ってくれ」
ルシファーが長話をしている間にも、少しだけ内心が荒れている男がいた。
(悪魔、悪魔、悪魔……。いや、さすがに違うか? 悪魔は俺の比喩的な表現で、種族名じゃなくて……)
カイセンはナインに落ち着けと言った。
その反面、自分も落ち着かなければならない。
頭では理解している。
だが、実行しろと言われると少し難しい。
その時、ナインと目が合った。
カイセンは深呼吸する。
(悪魔は別件だ。今は戦いに集中しろ)
そう自分に言い聞かせ、意識を戦闘へ戻す。
「何とやりたい?」
ルシファーは両手を広げる。
「この残酷で豪快な炎か。この仁慈で繊細な水か。もちろん、両方だよな」
誰の返答も待たず、ルシファーは話を終えた。
次の瞬間。
ルシファーはイロンの目の前へ移動していた。
「お前の名前は?」
イロンが槍を構える。
「生まれは? 家族はいるか? 恋人は? 夢は?」
ルシファーは次々と問いかける。
「答えろ」
イロンは槍を強く握る。
「お前に話すことなどない」
槍を振るう。
しかし、ルシファーは紙一重でそれを躱した。
「イロン様、大丈夫ですか?」
ミナがすぐに駆け寄る。
「大丈夫だ。それよりも警戒しろ」
イロンはミナを見ることもなく、ルシファーへ視線を向けたまま答えた。
「はい」
ミナは素直に返事をすると、元の位置へ戻る。
ルシファーは次々と他の者にも同じような質問をしていく。
「少しずつ、お前たちのことを理解してきたぞ」
質問に答える者はいない。
それでも、ルシファーは満足そうだった。
イロンが走り出す。
「貴様に理解されるなど、不愉快極まりない」
三叉槍を振るう。
ルシファーは「ヒュメニア」と唱え、手を上から下へ振った。
その動きに合わせるように、青と赤が美しく馴染み合った薄い膜が張られる。
槍が膜に触れた瞬間――。
花火のような爆発が起こり、イロンの槍が弾き飛ばされる。
「そう怒るなよ、イロン。そんなんだから――」
「五月蝿い」
ルシファーの言葉をイロンが遮る。
その声も、視線さえも、あまりにも冷たかった。
「核心に触れられた、とでも言いたげな顔だな」
ルシファーの言葉を聞きながら、イロンは壊れた三叉槍を魔法で作り直す。
「なぜお前は槍で戦う?」
ルシファーの笑みが深くなる。
その言葉は、イロンの心を逆撫でするには十分だった。
「五月蝿いと言っている」
――声が聞こえる。
いや。
これは聞こえるというものではない。
声を、言葉を思い出す。
『どうして一人で戦うの?』
女の声。
優しいが、少し冷たい。
まるでイロンを憐れむような声だった。
「私が王だから――だ!」
イロンは槍を振るう。
土魔法を巧みに活用し、速く鋭い攻撃を繰り出す。
防御魔法が発動する前にルシファーへ槍を当てる。
防御魔法が展開されれば、それを避けて攻撃する。
攻撃を終えれば一定の距離を取り、次の攻撃の機会を待つ。
イロンは冷静に戦っていた。
「プレゲトーン」
ルシファーが魔法を唱える。
燃え盛る炎が、まるで川のように地面を流れ、イロンへ迫っていく。
イロンは空中へ跳んで炎を避ける。
だが、着地する場所まで炎に覆われていた。
イロンは即座に土魔法を使い、足場を作る。
それを蹴って安全な場所へ移動しようとする。
しかし――。
炎の川は勢いを増し、イロンの着地点へ追いついてくる。
「マサカサ!!」
ミナの権能が発動する。
炎の川の流れが反転し、ルシファーの元へ戻っていく。
そのおかげで、イロンは無事に着地した。
しかし――。
ミナの鼻から、一筋の血が流れ落ちる。
「さっき思ったが、いい権能だな。ミナ」
ルシファーは炎の川を消す。
「だが、魔力消費量は酷そうだな。使い手が悪いのか」
ルシファーは自分の腕へ視線を落とす。
「そろそろ終わらせるか」
そして、再び言葉を紡ぐ。
「ダテンアマカ」
ルシファーの腕が赤く染まる。
爪が鋭く伸びていく。
天使と悪魔が馴染み合っていたような、その肉体。それが今、天使が悪魔に侵食されていくかのように、姿を変えていく。




