第二章 7 『カイセンと原田海千』
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「どういうことだ……。なんでここに」
カイセンは訳もわからず、周囲を見渡した。
そこに広がっていたのは、かつて自分が暮らしていた家だった。
台所の位置。
机と椅子の並び。
壁や床の様子。
そのすべてが、記憶の中にあるものと寸分違わなかった。
懐かしいはずの光景。
だが、今のカイセンにとっては、それ以上に不気味なものだった。
ここにあるはずのない場所なのだから。
そう思った、その時だった。
「やあ、カイセンくん。いや、原田海千と呼んだほうがいいかい?」
背後から声が聞こえる。
カイセンはすぐさま振り向いた。
そこに立っていたのは、ヴォルスト・アスモデウスだった。
「なんでお前がここにいる。ていうか、なぜ俺の苗字を……」
カイセンは警戒しながら尋ねる。
対して、アスモデウスはいつもと変わらない穏やかな表情を浮かべていた。
「簡単なことだよ。君はヴォルスト・アスモデウスの権能の一つである『アネパレルトン』で、過去を見返しているんだ」
「過去を見返す? じゃあ、これは記憶を見ているだけなのか」
「その通りだ。ヴォルスト・アスモデウスの権能の概念は『過去』。『エイドカロス』で己の過去を選び、肉体及び魔力の状態をその時に戻す。『アネパレルトン』は一対一の状況でのみ使用可能で、相手に過去を見返させるっていう能力だよ」
カイセンはアスモデウスの言葉を聞きながら、もう一度周囲を見渡した。
確かに、ここは自分の記憶にある場所だ。
しかし、ただ記憶を見ているだけなら、なぜアスモデウスまでここにいるのか。
「へえ。でも、そんなに能力を教えていいのか?」
「君の記憶を見たから知ってるよ。この世界では、知識のある者がモテるんだろう?」
アスモデウスは楽しそうに笑う。
「それに、心配しなくていいよ。僕はヴォルスト・アスモデウスの意思ではなく、『アネパレルトン』の意思だ。ここの情報は外には出ない」
「どうやったらここから出られる。モテたいんだろ?」
「まあ、僕はすでに十分モテているけどね」
アスモデウスは、さらりと言ってのける。
その態度に、カイセンは少しだけイラついた。
「ここを出るには、君が過去のトラウマを克服するか、トラウマで恐怖に支配され廃人になるか。そのどちらかになった時、君はここから解放される」
アスモデウスは淡々と告げる。
だが、カイセンは怯まなかった。
「じゃあ、早く始めようぜ」
「焦らなくていいさ。ここでの時間は、現実世界でコンマ一秒にも満たない。でも、そのコンマ一秒で君の精神は死ぬ」
穏やかな口調。
それでも、その言葉には冗談では済まされない重みがあった。
カイセンはアスモデウスを真っ直ぐに見据える。
「いいや、俺はトラウマなんか克服して、シエル達と一緒にお前を封印するぜ」
アスモデウスは少しだけ目を細めた。
そして、楽しそうに笑う。
「果たしてできるかな?」
「じゃあ、まずは一つ目のトラウマからだ。これは君が十六歳の時かな」
その言葉と同時に、アスモデウスの周囲にあった景色が静かに揺らいだ。
カイセンの目の前に、別の記憶が映し出されていく。
十六歳。
その年は、海千の父親である原田信が帰らぬ人になった年だった。
それは突然のことだった。
いや――。
父親は、もっと前から自分の身体の異変に気づいていたのかもしれない。
今思い返せば、父はよく咳をしていた。
病院に行っても特に問題はないと言われ、ただの風邪だと思われていた。
だが、父は死んだ。
原因不明の死。
それが、海千にとって一つ目のトラウマだった。
「さあ、どうだった? 一つ目の過去を見返して」
アスモデウスが尋ねる。
「父さんの死は確かに悲しかった。でも、それはもう乗り越えたんだ。俺には効かねえよ」
「そうか、残念だ。ならば次の二つ目の過去だ」
景色が変わる。
次に映し出されたのは、学校だった。
「あれは俺か?」
そこには、海千とその友人たちがいた。
海千は人を笑わせ、自分も笑っている。
運動神経も良い方で、体育では周囲から注目され、期待もされていた。
その期待に、海千は心地よさまで覚えていた。
髪型も今とは違う。
センターパートで髪をきっちりと整え、この頃は今と違い、美容院で髪を切ってもらっていた。
しかし、そんな海千は、日に日に以前のようには運動ができなくなっていった。
怠惰な生活のせいなのか。
それとも、海千自身の傲慢さが裏目に出たのか。
理由は分からない。
ただ、ここで海千は、自分の得意分野を一つ失った。
そんな海千を見て、友人の一人が言った。
「お前、前はもっとできたのにな」
その言葉を聞いた瞬間、海千は恐怖した。
おそらく、その友人に深い意味はなかった。
ただ、以前と比べてできなくなったことを、素直に口にしただけなのだろう。
それでも海千は、絶望されたのだと思った。
見放される。
捨てられる。
そう思った。
そして、この苦しみを二度と味わいたくないと考えた。
それでも、海千は学校に通い続けた。
二度と言われたくなかった。
だから努力した。
以前の自分に戻ろうとした。
だが、うまくいかなかった。
それどころか、以前よりもできなくなってしまった。
努力しても、期待された自分には戻れない。
その現実が、海千を追い詰めていった。
誰にも絶望されたくない。
誰にも捨てられたくない。
そのために海千が選んだのは、自分から人との関係を断つことだった。
捨てられたのではなく、自分が捨ててやった。
そう自分に言い聞かせた。
「あれ?」
アスモデウスが、海千の姿を眺めながら呟く。
その口元には、先ほどまでと変わらない笑みが浮かんでいた。
「これは、だいぶ効いているんだね」
海千はその場に膝をついた。
両手で頭を抱え、今にも頭を掻きむしりそうになる。
シエル達の世界に来てから、カイセンは「期待されること」に何の恐怖も感じていなかった。
むしろ、あの頃と同じように、心地よさまで覚えていた。
だからこそ、今になって気づいた。
(どうして今まで忘れていたんだ……。この不快感を……)
あの世界にいた頃、海千にとって「期待される」ということは、呪いだった。
(やめろ。俺を見るな。そんな温かい目で俺を見るな。俺には何もできねえ。俺に期待するな)
頭の中に、いくつもの声が響く。
『私の仲間になってくれませんか?!』
シエルの言葉。
過去を見返した今の海千には、その言葉さえ恐ろしく感じられた。
(何を馬鹿なことを言っているんだ。俺に期待するなんて、馬鹿のすることだ)
『一つだけ聞かせてください。僕とカイセンは……。友人になれます……かね?』
ナインの言葉。
(友人? なぜそんなものが必要なんだ。俺には必要ない)
さらに、先ほど仲間たちがかけてくれた言葉を思い出す。
『頼んだ』
『任せた』
『頑張れ』
(頼んだ? 任せた? 頑張れだと?)
(なぜ俺に期待する。なんでこんなやつに……)
海千は頭を抱えたまま、歯を食いしばる。
(俺は、何もできない高校生だ)
(調子に乗るだけ乗って、怖くなったら逃げ出して、自分のためなら何でも諦めて捨ててしまう)
(そんな俺の、何を信じているんだ)
自分自身を否定する言葉が、次々と頭の中に浮かんでくる。
(お前ら全員、馬鹿だよ)
(無知で、無能で、無力な俺に期待しているお前らは馬鹿だ……)
(俺は、俺が傷つかないことで必死なんだよ)
(俺が傷つかないためなら、他人が傷ついても別にいい)
(俺は、その程度の人間だ)
そこまで考えたところで、海千はふと顔を上げた。
目の前には、過去の自分がいる。
笑っている。
人を笑わせている。
そして、周囲から期待されることを嬉しそうに受け入れている。
「よく思い出せ、カイセン」
突然、過去の原田海千が口を開いた。
「お前を捨てた人間なんて、これまでに一人でもいたか?」
「……」
「母は俺を思って優しく接してくれた。先生は俺が学校に行きやすいように準備してくれた。友達だって、俺と連絡を取ろうとしてくれていたはずだ」
原田海千は、淡々と過去を並べていく。
「その全部を見て見ぬふりしたのは、誰だ?」
(俺だ……)
カイセンは、何も言い返せなかった。
「お前、何を自惚れてんだ?」
原田海千が、呆れたように言う。
「誰もお前に絶望なんかしねえよ。絶望するほど、お前に期待なんかしてねえよ」
「……でも」
「でも、じゃねえよ」
原田海千が一歩近づく。
「お前、何をビビってんだ?」
「……」
「何度でも聞くぞ。お前は誰かに絶望されたのか?」
「……」
「誰かに捨てられたのか?」
「捨てられたことなんて……ねえよ」
カイセンの声は、小さかった。
「聞こえねえよ!」
原田海千が叫ぶ。
「誰かに絶望されたのか!」
「絶望されたことなんてねえよ!」
「誰かに捨てられたのか!」
「捨てられたこともねえよ!」
カイセンは叫び返した。
「俺が一方的に勘違いして、一方的に塞ぎ込んで、一人で惨めになって……!」
拳を握る。
「俺は、誰にも絶望されてなんかいねえよ!」
そして、自分自身に言い聞かせるように叫んだ。
「俺が……俺自身に絶望したんだよ……!」
静寂が訪れる。
原田海千は、そんなカイセンをじっと見つめていた。
「……その通りだ」
原田海千が、静かに言った。
「それが分かった今、お前はどうする?」
カイセンは顔を上げる。
「俺は……」
少しだけ考える。
そして、拳を強く握った。
「死ぬ気で頑張る」
「何を?」
「期待されたことを、期待通りにこなす」
カイセンは、まっすぐ原田海千を見る。
「いや……違うな」
一度、言葉を止める。
「期待以上にやらなきゃいけない、なんて考える必要もねえ」
原田海千が黙って聞いている。
「俺は、失敗するかもしれない」
カイセンの声に、僅かな震えが混じる。
「また期待に応えられなくなるかもしれない」
「……」
「それでもいい」
カイセンは顔を上げた。
「俺に期待してくれるなら、俺はその期待から逃げたくない」
原田海千の表情が、少しだけ緩む。
「……そうか」
「ああ」
カイセンは、自分自身を見つめる。
「俺が期待されるほどの人間なのかは、今も分からねえ」
それでも――。
「でも、俺に期待してくれるなら、俺は……」
カイセンは、はっきりと言った。
「頑張ってみたいと思うよ」
その顔に、もう迷いはなかった。
原田海千は、そんなカイセンを見て――。
どこか安心したように笑った。
その様子を見ていたアスモデウスは、少しだけ苛立ったような表情を浮かべた。
「克服おめでとう。本当は三つ目に、この世界に来てからの過去を見せようと思っていたんだけど……やめておこう」
「一つ聞いていいか?」
カイセンがアスモデウスを見る。
「俺の記憶を見たんだろ? 俺がこの世界に来て、最初に俺を監禁したやつを、お前は知っているか?」
「ああ。知っている。名前だけだけどね」
「!」
カイセンの目が見開かれる。
「教えてくれ!」
「嫌だね。僕の試練を突破したんだ。それぐらい、自分で突き止めなよ」
アスモデウスが笑う。
その言葉を最後に、景色が大きく揺らいだ。
次の瞬間、カイセンは再びアメノイワトの中に立っていた。
「まさか、突破するとはね……」
「ああ。なんなら、俺の手助けになっちまったぞ?」
「まあ、いいさ」
アスモデウスが笑う。
「まずは君を殺して、ここから出るとしようか」
「死なねえよ、俺は」
【キャラクター紹介】
ヴォルスト・アスモデウス
年齢:437歳
誕生日:6月6日
身長:188cm
体重:78kg
体格:長身で均整の取れた細マッチョ
髪:黒に近い紫色
瞳:赤紫色
一人称:僕
好きなもの:自分
苦手なもの:匂いが強いもの
好きな言葉:アスモデウス
適性:炎
権能:『エイドカロス』『アネパレルトン』
【権能】
『エイドカロス』
自身の過去を選び、肉体及び魔力の状態をその時に戻す。傷や破れた衣服も元に戻り、消費した魔力や体力も回復する。
『アネパレルトン』
一対一の状況でのみ使用可能。相手に過去を見返させる。
権能の概念:『過去』




