第一章 ex 『テクスト・アイン 前編』
これは、ある男の話。
男は、まだ産声すら上げていない。
母親の腹の中で、男には自我が芽生えていた。
父親の声が聞こえる。母親の声も聞こえる。
二人が自分の誕生を待ち望んでいることも、幼いながらに感じ取っていた。
ただ一つだけ。
男には、強く望むものがあった。
親の声を聞いたからなのか。
はたまた、本能なのか。
男が望んだものは――
――圧倒的な力。
その願いに応えたのは、この世界で神と呼ばれる存在だった。
誓約。
契約。
制約。
そういったものを結ぶとき、人々の前に現れる謎の声。
人々は、その声を神と呼んでいた。
『ただで力を与えることは不可能だ。縛りを結ばなければならない』
『……このようなものはどうだ』
『お前の魔力は、通常の魔器とは別の場所に、成長に伴って蓄積されていく』
『そして――『ウヴォルニェーニ』を合言葉とすることで、その魔力を解放する』
赤子に声を出す力はない。
それでも、その思いは神へ届いた。
『よかろう』
『ただし、大いなる力には代償が伴う』
『その代償が貴公にとって大きいものか、小さいものかは、我には分からん』
そして――
『貴公の誓約を、ここに結ぶ』
『我、――――の名において』
その瞬間。
男は産声を上げた。
男は両親から、「テクスト」という名を授かった。
やがて――
テクスト・アインという、一人の騎士となる。
だが。
生まれたばかりの彼を待っていたのは、祝福ではなかった。
「申し上げにくいのですが……」
医師らしき人物が、テクストの両親へ告げる。
「テクスト様に、魔力はございません」
両親は言葉を失った。
テクストには魔器だけではなく、魔力の流れすら確認できなかった。
一見すれば、大賢者と同じようにも見える。
しかし、実際はまるで違う。
大賢者には魔器がなくとも、魔力はある。
テクストには――通常の魔力が存在しなかった。
もちろん。
両親は、交わされた誓約のことなど知るはずもなかった。
テクスト・アイン。
彼はこの世界で、前代未聞の『欠陥児』として生まれた。
そして――
彼の人生は、努力から始まった。
アイン家に伝わる剣術を叩き込まれた。
走った。
剣を振った。
学んだ。
そして、また走った。
魔力を持つ兄弟たちよりも、何倍も努力した。
血を流してでも、剣を握った。
それでも――届かなかった。
兄には勝てない。
三歳下の弟にすら勝てない。
兄からは軽蔑された。
弟からは罵倒された。
何度も泣いた。
誰にも見られたくないから、部屋の隅で泣いた。
そして。
泣いた後は、また剣を握った。
なぜ、そこまでして努力するのか。
答えは一つだった。
生まれたばかりの自分を見つめ、泣いていた両親の姿。
その姿だけが、ずっと頭から離れなかった。
自分は、何かを期待されて生まれた。
ならば――応えなければならない。
だから、調べた。
魔力について。
魔法について。
そして、自分にもいつか魔力が宿ったとき、その力を使いこなせるように。
さらに――魔力がなくても王牙流を使えるようにするため、自分の身体だけで王牙流を再現しようとした。
十三歳。
練習を始める。
十四歳。
十五歳。
十六歳。
そして――十七歳。
劣化した形ではあるものの、ついにテクストは王牙流を扱えるようになった。
魔力がないなら、技術で埋めればいい。
届かないなら、届くまで努力すればいい。
そうして十八歳になったテクストは、第三王女――シエル・レーヴェ・ケーニヒの騎士となった。
だが。
この頃のテクストには、仲間という概念がなかった。
騎士は王族に仕えるもの。
ならば、必要なのは忠誠と実力だけ。
仲間など必要ない。
仕事を与えられればこなす。
命令されれば従う。
冷静で、優秀な騎士。
それが、テクスト・アインだった。
だが同時に。
彼は、人を寄せ付けない男でもあった。
自分一人で戦う。
自分一人で勝つ。
それでいい。
そう思っていた。
そんな彼が、十九歳になったある日。
シエルの命を狙う者たちが現れた。
テクストは先陣に立った。
一人。
また一人。
敵を斬り伏せる。
だが――敵は多かった。
テクストは人間だ。
そして、魔力を持たない。
一人ならば勝てる。
二人でも。
三人でも。
だが、数が増えるほど身体は削られていく。
それでも、退かなかった。
退けば――自分の弱さが露呈する。
だから、前へ出る。
また一人。
さらに一人。
そして――
「……っ!」
ついに、テクストの動きが止まった。
息が上がる。
腕が重い。
それでも剣を握る。
敵が迫る。
その瞬間だった。
「アインさん!」
聞き慣れた声が響いた。
次の瞬間。
テクストの前に、シエルが立った。
「王女様!?」
「何をしているのですか!」
「ここは私が――」
「貴方一人で何とかしようとするから、こうなったのでしょう?」
「……私は騎士です。王族を守るのが役目です」
「では、なぜ一人で守ろうとするのですか?」
テクストは黙った。
「貴方は十分に強い」
シエルは続ける。
「ですが、魔力がない。そのことを誰よりも貴方自身が理解しているから、無理をしているのでしょう?」
テクストは答えなかった。
「その焦りで、自分の命まで失いかねません」
「…………」
「それだけではありません」
シエルは、テクストを真っ直ぐに見つめる。
「貴方は、自分が弱いから誰かを守れないと思っていますね」
「……」
「違いますか?」
テクストは、初めて目を逸らした。
図星だった。
ずっと怖かった。
自分の弱さで、何かを失うことが。
魔力がない。
兄に勝てない。
弟にすら勝てない。
両親に褒めてもらえない。
だから――
強くならなければならない。
誰にも負けないほど。
誰にも何も奪われないほど。
「貴方は、何をそんなに恐れているのですか?」
その問いに。
テクストは答えられなかった。
シエルは、そんな彼へ手を差し出した。
「テクスト・アイン」
「……はい」
「貴方も私も、家系の中では劣勢です」
テクストが目を見開く。
「ですが――だから何だというのですか?」
シエルは笑った。
「不利なら、覆せばいい」
「…………」
「私は第三王女」
そして。
「貴方は、魔力を持たない騎士」
シエルは手を差し出したまま言う。
「どちらも、最初から恵まれているわけではありません」
「ならば――」
テクストが顔を上げる。
シエルは笑った。
「二人で、ひっくり返してやりましょう」
「……二人で」
「ええ」
「ですが、それは――」
シエルは、首を横に振った。
「二人だけで、という意味ではありません」
「……?」
「私たちには、仲間がいるのですから」
その言葉が、テクストの胸に残った。
仲間。
その言葉を、テクストは知っていた。
意味だって理解していた。
だが。
自分には必要ないと思っていた。
自分一人で戦えばいい。
自分一人で強くなればいい。
そうすれば――誰も失わない。
そのときだった。
「シエル様ー! 無事ですか!」
遠くから声が響いた。
テクストが振り返る。
戦場の向こうから、数人の騎士が駆けてくる。
先頭にいたのは――ゴウだった。
「遅くなりました!」
ゴウが戦場へ飛び込む。
その姿を、テクストはただ見つめていた。
一人ではない。
シエルには、仲間がいる。
自分が前に出ている間に、別の誰かが別の場所を守る。
自分が守れない場所を、誰かが守る。
誰かが守れない場所を、自分が守る。
一人ではできないことを。
二人ならできる。
二人でできないことも。
三人ならできる。
テクストは、初めて理解した。
自分がずっと求めていた「力」は――何も、圧倒的な力だけではないのかもしれない。
「……これが」
テクストは、小さく呟いた。
「仲間……」
その言葉を口にしたとき。
胸の奥にあった何かが、初めて少しだけ軽くなった。
テクストは剣を収める。
そして、その場で跪いた。
「……シエル様」
「何でしょう?」
「私はこれまで、自分一人の力だけで、何とかしようとしていました」
「ええ」
「ですが――」
テクストは、自分の手を見る。
剣を握り続けてきた手。
何度も傷ついた手。
それでも、剣を手放さなかった手。
「一人では、届かないものもあるのですね」
シエルは答えない。
ただ、テクストの言葉を待った。
「私は――貴方の剣になります」
テクストは頭を下げる。
「貴方が王座を目指すのであれば、その道を切り開く」
「私の剣で、貴方の道を守りましょう」
それが――テクスト・アインが、初めて誰かに忠誠を誓った瞬間だった。
そして。
それは、テクストが初めて――一人で戦うことをやめた瞬間でもあった。
かつて、母親の腹の中で。
彼が望んだものは――
圧倒的な力だった。
だが。
十九歳のテクスト・アインが初めて知った力は――
一人では生み出せない力だった。
だが、それだけ魔力への渇望がなくなったわけではない。
時は進む。
20歳。
21歳。
そして現在は22歳。
テクストはその3年間、修行を絶えず続け、シエルの剣として生き続けていた。
そして、その年。
シエルが一人の男を連れてきた。
「新しい仲間を連れてきたの。名前はカイセン」
「ほう」
テクストはカイセンを見る。
(シエル様が連れてきた男だ。変なことはしないだろう)
「私はテクスト・アインだ。よろしく頼むよ、カイセン殿」
「よろしくなアイン殿?」
(私はまだアインの名で呼ばれるほど強くないさ)
「テクストでいいさ」
テクストは軽く会釈する。
「そうか。ならこっちもカイセンでいい」
「して、カイセンはどれくらいの実力者なのですか?」
その問いに答えたのはナイン・レインだった。
「魔力量なら、相当なものですよ」
(魔力がなければ相手の魔力量もわからない。全く不便なものだ)
「魔力量が多いのか。ほう……」
テクストは興味深そうにカイセンを見る。
「それほどの魔力を持っているのか。ならば、強いのだろうな。ぜひ、お手合わせ願いたい」
「実力を聞かれても、俺は魔法の戦い方も知らないぞ」
「なに……?」
テクストの表情が固まる。
(膨大な魔力を持つ未熟者と、魔力を持たない努力者。知りたい。どちらが上なのか)
テクストが考えている間にも話は進み、カイセンはナインの元で魔法の使い方を学ぶこととなった。
「ならば、二週間後にでも模擬戦をやってみないか?」
テクストの提案にカイセンは食いつく。
「二週間後?」
「ああ。魔法を覚えた状態で、一度実力を確かめたい」
(流石に魔力の使い方も知らない者に勝っても嬉しくないのでな)
「おう。いいぜ。実戦あるのみって言うからな」
「では、二週間後。また会おう、カイセン」
――二週間後。
「魔法は扱えるようになったかね?」
カイセンが部屋に入ってくるのを見て、テクストは尋ねる。
「ああ。基礎は覚えてきたぜ」
(基礎か……)
「そうか」
テクストは剣に手を添える。
「ならば……残念だ」
カイセンは疑問の表情だ。
「この私を基礎だけで倒せると思っているなんてね」
「そこまで言うなら、やってみるか?」
「ああ」
テクストの相槌と共にナインが合図を出す。
「それでは、始めます!」
テクストは剣を抜く。
「始め!」
(さあ、どうやってくるか)
カイセンから闇属性の基本攻撃魔法、初級が放たれる。
「甘い」
テクストは一歩踏み込む。
そして、迫ってきた黒球を剣で斬り裂いた。
そしてテクストは間合いを詰める。
それにカイセンの防御魔法で対応する。
「こんなもので私を止められるとでも?」
テクストはカイセンの防御魔法を破壊し、勢いを止めないまま進み続ける。
(黒い剣!)
カイセンの手元には、先ほどまでなかった黒剣がある。
テクストはカイセンの作戦にハマった。
しかし、それだけで対応できなくなるほどテクストは弱くない。
「騎士である私が剣で負けるわけがない」
カイセンの黒剣を弾き飛ばす。
そのまま剣先をカイセンに向ける。
(二週間でこれほど使いこなせるとはなかなかだな)
カイセンは葛藤する様子を見せるが。
「まいりました」
「いい判断だ」
テクストはカイセンに手を差し出す。




