episode11
ステージ裏の暗闇に続く階段を下りた瞬間。
ピンと張り詰めていた糸が完全に切れたように、マコがその場に崩れ落ちた。
「あ、足が……もう、一歩も、動きません……っ」
大粒の涙と汗をボロボロとこぼしながら、コンクリートの床に突っ伏す。
普段なら「汚いわよ」と顔をしかめるはずのレイカも、文句を言う気力すら残っていないのか、マコのすぐ隣に座り込み、ドレスの裾が汚れるのも構わずに荒い息を繰り返していた。
「はぁっ、はぁっ……! 当たり前よ、二時間ぶっ通しで狂ったステップ踏まされたんだから……! 酸欠で死ぬかと思ったわ……っ」
サエはスタッフから受け取ったバスタオルにくるまり、そのままパイプ椅子の上で気絶するように眠りに落ちている。
アカリは壁にもたれかかり、完全に瞳のハイライトを消した放心状態で「……ふふっ、もう、一ミリも可愛く笑えません……」と虚空に向かって呟いていた。
そして私も、膝の震えを隠しきれず、冷たい壁に背中を預けてズルズルと座り込んだ。
心臓が肋骨を突き破りそうなほど激しく脈打ち、肺が焼けるように痛い。三十歳の中身がどれだけ精神論を唱えようと、肉体は完全にシャットダウン寸前だった。
「……情けない顔ね、プロデューサー」
頭上から、かすれた声が降ってきた。
見上げると、ランが膝に手をつき、肩で激しく息をしながら私を見下ろしていた。彼女の純白の衣装は汗で重く肌に張り付き、完璧にセットされていたはずの髪も乱れきっている。
それでも、彼女の瞳に宿る絶対的な光だけは、一ミリも翳っていなかった。
「あんたこそ、強がらないの。足、震えてるじゃない」
私が口の端を歪めて笑うと、ランは「……あなたについていくには、これくらい当然よ」と鼻で笑い、そのまま私の隣にドサリと腰を下ろした。
私たちは無言で並んで座り、ドームの壁越しにまだ鳴り止まない「GlitcH」コールを聞いていた。
誰も馴れ合わない。でも、この限界を超えた戦場を共に生き抜いたという、血の味がするような確かな連帯感が、私たち六人を強く結びつけていた。
「……お前たちという奴は、本当に……!」
通路の奥から、鮫島プロデューサーが大量のスポーツドリンクを抱えて走ってきた。
普段のしかめっ面はどこへやら、その顔は興奮と歓喜で真っ赤に上気している。
「最高だった! トラブル一つないどころか、演出の想定を遥かに超えてきやがった! 見ろ、今ネットは阿鼻叫喚だぞ。お前たちは今日、間違いなく日本のライブエンターテインメントの歴史を塗り替えたんだ!」
鮫島が興奮気味に見せてきたタブレットの画面には、信じられないほどの数のトレンドワードと、熱狂に当てられて語彙力を失ったファンたちの悲鳴が滝のように流れていた。
予定調和のない二時間の殺し合い。
MCなし、水飲みタイムなしのノンストップ・パフォーマンス。
アイドルという枠組みを完全に破壊した私たちのステージは、音楽業界全体を震撼させる「事件」として、瞬く間に世界中へと拡散されていったのだ。
翌日。
私たちが泥のように眠りこけている間にも、世界は完全にGlitcHを中心に回り始めていた。
朝のニュース番組はこぞって私たちのライブ映像を特集し、辛口で知られる音楽評論家たちが「数十年ぶりの本物の怪物」「既存のシステムへの完璧なアンチテーゼ」と手放しで絶賛した。
そして一週間後。
事務所の最も広い会議室の大きなテーブルは、山のような書類で埋め尽くされていた。
「……これが全部、私たちへのオファー?」
レイカが、信じられないという顔で書類の山を見下ろす。
「ああ。大手企業のCMから、バラエティ番組の冠オファー、そして……」
鮫島プロデューサーが、一番上に置かれた重厚な黒い封筒を指差した。
「国内最大級の音楽祭『ジャパン・ミュージック・アワード』。今年の最優秀新人賞、そして……大賞へのノミネートの打診だ」
その言葉に、会議室の空気がピリッと引き締まった。
大賞。
それは、その年の日本の音楽シーンで最も影響力と実績を持ったアーティストただ一組に贈られる、絶対的な称号。
もちろん、昨年の大賞受賞者は、あの絶対王者『Lumina』だ。
「……運営側は、メガ・ソニック・アリーナでの『Lumina対GlitcH』の構図を、年末の国民的番組で再びやりたいんだ。数字(視聴率)が取れるからな」
鮫島が渋い顔で説明する。
「なるほどね。大人の悪趣味な見世物にされるってわけだ」
私が鼻で笑うと、ランがスッと立ち上がり、その黒い封筒を手に取った。
「見世物で結構よ。むしろ、望むところだわ」
ランの瞳が、獲物を見つけた肉食獣のようにギラリと光った。
「Luminaの城を完全に解体して、私たちが名実ともにこの国の頂点に立つ。……そのためには、最も相応しい舞台じゃない」
「ふふっ、ランちゃんったら血の気が多いんですからぁ。でも、私も賛成ですっ。年末のゴールデンタイムで、全国のお茶の間を真っ黒に染めてあげましょうよ」
アカリが悪魔のような笑顔で同調する。
私はソファに深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべてメンバーたちを見回した。
「決まりね。鮫島さん、オファー受けて。私たちは、予定調和のアイドル業界を終わらせる『引導』を渡しに行くわ」
何者でもなかった三十歳の私が、五人のバケモノたちを従えて、ついに業界の絶対的頂点に手をかける。
私たちの放つ猛毒は、もはや一つの狂乱の『時代』を創り出そうとしていた。
年末の音楽祭へ向けた、最後の宣戦布告。
GlitcHの容赦ない快進撃は、いよいよクライマックスへと加速していく。




