episode8
「……正気か。デビューからわずか数ヶ月の新人だけで、二万人規模のアリーナを埋めろと言うのか」
鮫島プロデューサーは、私が提出した企画書を震える手でめくりながら呻いた。
「埋まりますよ。むしろ、二万人でも足りないくらいです」
私が自信を持って言い切ると、鮫島は深く息を吐き、デスクの上の電話を一瞥した。事実、メガ・ソニック・アリーナでの騒動以降、事務所の電話は鳴り止まない状態だった。抗議の電話と同じくらい、いや、それ以上の数のスポンサーやメディアからのオファーが殺到しているのだ。
「お前たちが劇薬であることは、もう疑いようがない。……分かった。上層部には俺から掛け合う。だが、二時間の単独公演となれば、一曲や二曲の勢いだけじゃ誤魔化しきれないぞ。体力、構成、そして観客を飽きさせない演出。少しでも綻びを見せれば、今度こそアンチたちに袋叩きにされる」
「心配無用です。そのための『円形闘技場』ですから」
私が企画書のページを開いてみせると、覗き込んだメンバーたちが息を呑んだ。
そこに描かれていたのは、通常のアリーナによくある「正面」のステージではない。
会場のど真ん中に設置された、巨大な円形のセンターステージ。観客席はそれを三百六十度ぐるりと取り囲む、すり鉢状の構造になっている。
「正面が存在しないステージ……?」
レイカが怪訝そうな顔をする。
「そう。つまり、どこを向いても観客の視線に晒されるし、どこにいても誰かの『背中』を見ることになる。……私たちは仲良く並んで歌うグループじゃない。この円形ステージの上で、自分の魅力を一番見せつけるための『ポジションの奪い合い』を二時間ぶっ続けでやるのよ」
私の説明を聞いて、ランの瞳が歓喜に燃え上がった。
「最高じゃない。どこから見られていようと、私が一番美しく、一番激しく光り輝いてみせるわ。あなたたちはせいぜい、私の引き立て役として死に物狂いで食らいついてきなさい」
「ふふっ、ランちゃんこそ、後ろから私に美味しいところを全部奪われないように気をつけてくださいねぇ。三百六十度、どこからでもカメラアピールできるなんて、私のためのステージみたいなものですっ」
アカリも舌なめずりをして笑う。
「体力のないサエとマコにとっては地獄の二時間になるわね。レイカ、基礎練のメニュー、今の三倍に増やして。死人が出ない程度にね」
「……はぁ。本当に、とんでもないグループに入っちゃったわね。マコ、今日から毎日走り込みよ。私のステップに一秒でも遅れたら承知しないから!」
「ひぃぃっ! わ、わかりましたぁ!」
悲鳴を上げるマコの手をレイカが強引に引き、サエは「……お姉さんのバカ。休ませてくれない」と恨めしそうに私を睨みながらも、静かに立ち上がった。
単独公演『ERROR CODE:000(エラーコード・ゼロ)』の開催がゲリラ告知された直後、チケットサイトはわずか三分でサーバーダウンし、二万枚のチケットは文字通り一瞬で蒸発した。
定価の十倍以上の値段で裏取引されようとするチケットが続出し、運営が慌てて本人確認システムを厳重化する事態にまで発展した。
そして、過酷なリハーサルが始まった。
深夜の貸しスタジオ。
二時間のセットリストを通しで練習するのは、想像を絶する苦行だった。
「ストップ! マコ、動きが鈍いわよ! そこはサエのボーカルを立たせるために、もっと低く沈み込みなさい!」
「は、はいっ……!」
汗で床に水たまりができるほど激しいレッスン。
特に、Fチーム出身で元々ポテンシャルの低かったマコの疲労はピークに達していた。ステップがもつれ、床に膝をついてしまう。
「ご、ごめんなさい……っ」
「……ちょっと、ミオ。いくらなんでもペースが速すぎるわ」
レイカが、息も絶え絶えのマコを庇うように私の前に立ち塞がった。
「マコはランやアカリとは違うのよ。これ以上追い込んだら、本番前に壊れちゃうわ」
誇り高いお嬢様であるレイカが、泥臭く這い上がってきたマコを本気で心配している。オーディションの頃には考えられなかった光景だ。
私は冷たく言い放った。
「レイカ。あなたがマコを庇うのは勝手だけど、本番のステージの上では誰も助けてくれないわよ。正面のないステージで、マコが少しでも隙を見せたら、ランやアカリに完全に存在を消される。……マコ、あなたはどうなの? ここで休む?」
私が問うと、マコはレイカの背中に隠れていた顔を上げ、フラフラと立ち上がった。
そのウサギのように怯えた目は、しかし、決して折れない芯の強さを宿していた。
「……やります。私、レイカちゃんにも、みんなにも、もう足手まといだなんて思われたくない。私の声を、二万人の心臓に突き刺すって決めたんです」
「マコ……」
レイカが驚いたように息を呑む。
「……いい目になったじゃない。レイカ、マコのフォーメーション移動、あなたのアシストでもう少し無駄を省けるはずよ。二人の連携で、ランの死角を突きなさい」
「ふん、言われなくてもそのつもりよ。……ほらマコ、立つわよ。私の背中から絶対に離れないで」
「はいっ!」
天才たちの光と狂気に、凡人たちが泥臭い執念と連携で食らいつく。
6つの歯車は、互いに激しく削り合いながら、恐ろしいほどの熱量を帯びて回転し始めていた。
そして、単独公演本番の日。
二万人を飲み込んだ巨大アリーナは、異様な熱気と殺気に包まれていた。
客席を埋め尽くすファンたちは、ペンライトの代わりに公式グッズである「黒いリストバンド」を身につけ、今か今かと開演の時を待っている。
ステージ裏の暗闇。
巨大な円形ステージの真下に用意された六つの昇降機に、私たちはそれぞれ乗り込んだ。
「……震えてる?」
隣の昇降機に立つランが、暗闇の中で私に尋ねた。
「武者震いよ。三十年生きてきて、今日が一番血が沸騰してるわ」
「そう。……せいぜい私の邪魔にならないようにね、プロデューサー」
ランの不敵な笑みが見えた気がした。
「全セリ、上昇五秒前。……三、二、一、GO!」
機械音が鳴り、私たちの体が押し上げられる。
視界が急激に開け、二万人の観客の怒号のような大歓声が、全方位から物理的な圧力となって襲いかかってきた。
まばゆい照明が、円形ステージの上に立つ六人の怪物を照らし出す。
「――さあ、バグった世界へようこそ」
私の低く歪んだマイクパフォーマンスを皮切りに、二時間の狂宴が幕を開けた。
互いのエゴをぶつけ合い、観客の視線を奪い合う、前代未聞のコロッセオ。
GlitcHという猛毒は、この日、日本のエンターテインメントの歴史に決して消えない深い傷跡を刻み込むことになる。




