episode6
メガ・ソニック・アリーナ当日。
五万人を収容する巨大ドームのバックヤードは、本番特有の殺気と、スタッフたちの怒号、そして様々なアーティストたちの熱気でむせ返るようだった。
私たちの控室は、大トリである『Lumina』のすぐ隣に配置されていた。
壁一枚隔てた向こうからは、彼女たちの円陣を組む楽しげな声や、「みんなで最高の笑顔を届けようね!」というキャピキャピとした掛け声が聞こえてくる。
こちらの控室はといえば、まるで通夜のように静まり返っていた。
サエはソファでアイマスクをして微動だにせず、レイカは鏡の前で念入りにリップを引き直し、マコは胃薬を水で流し込んでいる。アカリはスマホで自分の見え方を最終チェックし、ランは目を閉じてひたすらにステップのイメージトレーニングを続けていた。
「……気持ち悪い」
壁越しに聞こえてくるルミナの笑い声に、ランが吐き捨てるように呟いた。
「みんなで一緒に、なんて甘ったれたこと言ってるから、いつまで経ってもパフォーマンスの底が見えてるのよ。あんな生ぬるい仲良しごっこ、私の光で一瞬で焼き払ってやるわ」
「ふふっ、ランちゃん怖いですよぉ。でも、私もあの『作られたいい子ちゃん』たちは大嫌いですから、今日は本気で食い殺しちゃいますねっ」
アカリが、手鏡越しにゾッとするような流し目を送る。
「出番まであと十分。スタンバイお願いします!」
スタッフが扉を開けて叫んだ。
私たちは無言で立ち上がり、暗い廊下へと足を踏み出した。
その時だった。
「あ……ランちゃん?」
隣の控室から、純白とピンクを基調とした、天使の羽のようなフリルをあしらった衣装の五人組が現れた。Luminaのメンバーたちだ。
その中心に立つ、花のようにおっとりとした笑顔の少女。Luminaの絶対的センター、優花が、パッと顔を輝かせてランに駆け寄ってきた。
「やっぱりランちゃんだ! デビューしたって聞いてびっくりしたよ。しかも、私たちの前で歌うなんてすごいね!」
優花は悪意の欠片もない、100パーセントの善意で手を差し出してきた。
かつてランと同じオーディション番組出身で、誰からも愛される『正解』のトップアイドル。
しかし、ランはその手を冷酷な視線で見下ろした。
「……馴れ馴れしく話しかけないでくれる? 優花」
「えっ……」
「私はあなたたちのお友達じゃないの。あなたたちが築き上げたその退屈な城を、今日、完膚なきまでに叩き壊しに来た反逆者よ」
優花が傷ついたように顔を歪め、Luminaの他のメンバーたちが「ちょっと、何よその言い方!」と色めき立つ。
しかし、ランはそれ以上相手にする価値もないというように、ヒールを鳴らしてステージ袖へと歩き出してしまった。
「……ごめんなさいね。うちのエース、狂犬なもので」
私が優花の肩を軽くポンと叩き、すれ違いざまに耳元で囁いた。
「でも、彼女の言う通りよ。せいぜい今のうちに、大トリの余裕を楽しんでおきなさいな。私たちのステージが終わった後、あなたたちに向けられる歓声が残っているとは限らないから」
私は怯えるLuminaのメンバーたちを残し、GlitcHの列へと加わった。
ステージ袖に到着すると、信じられないほどの地鳴りが足元を揺らした。
MCが『続いてのアーティストは……』と声を張り上げた瞬間、五万人の観客がLuminaの登場を今か今かと待ちわびて、会場全体が彼女たちのイメージカラーであるピンク色のペンライトで埋め尽くされていた。
完全なるアウェー。
メガ・ソニック・アリーナは、すでにLuminaを迎え入れるための『巨大な城』として完成しきっているのだ。
「……さあ、GlitcHの皆さん、どうぞ!」
MCの紹介とともに、私たちの前にステージへの階段が示された。
歓声は……まばらだった。
「泥水のMVの子たちだよね?」「ちょっと怖いんだよな」という、好奇心と警戒心が入り混じったざわめき。会場の空気は明らかに冷えている。
「マコ、震えてる暇はないわよ。行くわよ」
「ひっ、はいぃっ!」
私たちは、ピンクの光の海の中へ、六つの黒い異物として足を踏み入れた。
所定の立ち位置につく。
普通なら、ここで「皆さーん! 盛り上がってますかー!」と煽りを入れるところだ。
しかし、私はあらかじめ音響スタッフに指示を出していた。
「……暗転」
私のインカム越しの声に合わせて、ドーム内の照明が【完全に】落とされた。
「えっ?」「何? 機材トラブル?」
観客がざわめく。
ピンクのペンライトの光だけが、暗闇の中で不気味に揺れている。
私はマイクを握り、ゆっくりと口を開いた。
「……その生ぬるいピンクの光、目障りね」
私の低く冷たい声が、ドーム全体に響き渡った。
「ここは、あなたたちが大好きな可愛いお姫様を待つための待合室じゃないわ。……ペンライト、全部消しなさい」
五万人の観客が息を呑むのがわかった。
新人アイドルが、観客に対して「ペンライトを消せ」と命令したのだ。前代未聞の暴挙に、会場が水を打ったように静まり返る。
しかし、NILとしての私の声に込められた圧倒的な『圧』に当てられ、一人、また一人と、戸惑いながらペンライトの電源を落としていく。
やがて、五万人を収容する巨大ドームは、文字通りの『完全な暗闇』と『静寂』に包まれた。
「……いい子ね。それじゃあ、私たちの毒に溺れなさい」
私が指を鳴らした瞬間。
ドォォォォン!!!
腹の底を突き破るような重低音のビートとともに、ステージに血のような赤いレーザーが縦横無尽に走り抜けた。
デビュー曲『ERASURE』のイントロ。
暗闇を切り裂くように、ランが暴力的なステップでセンターへと躍り出る。
ピンクの可愛い光など一切必要ない。彼女自身の肉体が放つ圧倒的な輝きが、一瞬にして五万人の視線を強制的に強奪した。
「キャアアアアッ!?」
「なにこれ、ダンスやばっ!?」
悲鳴にも似た歓声が上がる。
それに被せるように、アカリがモニターに大写しになり、舌を出してあの狂気の笑みを叩きつけた。
「さあ、壊れちゃいましょう!」
サエのノイズ混じりの絶唱がドームの空気を震わせ、レイカとマコが完璧なシンクロで陣形を歪ませていく。
私は重い足取りで前へ進み、客席を睨みつけながら重低音のラップを浴びせかけた。
ここはもう、Luminaの城ではない。
私たちが作り上げた、狂気と熱狂の泥沼だ。
観客は、ペンライトを振ることも忘れ、ただ棒立ちになって私たちのステージに魅入られていた。
いや、魅入られているのではない。完全に『捕食』されているのだ。
予定調和のアイドル文化に飼い慣らされていた彼らの脳髄に、GlitcHという猛毒が直接注射されていく。
曲が終わり、赤い照明がゆっくりとフェードアウトしていく。
最後に残ったのは、荒い息を吐きながら前を睨みつける私たちの姿だけだった。
一秒の静寂。
そして。
地響きのような、ドームの屋根を吹き飛ばすほどの凄まじい歓声と拍手が爆発した。
誰も、私たちのことを「次のLuminaまでの前座」だなんて思っていない。
五万人の観客の顔には、未知の怪物に脳を揺さぶられた興奮と熱狂が刻み込まれていた。
私は、ステージ袖で呆然と立ち尽くしているLuminaのメンバーたちに向かって、マイクを通さずに唇を動かした。
【 さあ、次はあなたたちの番よ 】
私たちは、誰にも媚びず、誰とも手をつながず、焼け野原になったステージを降りた。
絶対王者の顔面を泥で殴りつける、最高の王座簒奪劇の幕開けだった。




