episode3
関東近郊の地下深くにある、巨大な未完成の放水路トンネル。
それが、予算を削られた私たちが選んだミュージックビデオの撮影現場だった。
地下数十メートル。太陽の光が一切届かないコンクリートの巨大空間には、足首まで浸かるほどの冷たい泥水が薄く溜まっていた。反響する水音だけが不気味に響き、吐く息が白くなるほど冷え切った場所。
「……ちょっと、嘘でしょ。ここで踊るって言うの?」
純白の衣装の裾を必死に持ち上げながら、レイカが顔を引きつらせた。
「そうよ。予算がないから豪華なセットは組めない。なら、一番汚くて生々しい場所で、綺麗に着飾ったアイドルが泥まみれになっていく『過程』そのものを芸術にするの」
私は、個人で雇ったアンダーグラウンド界隈のフリーランスのカメラマンに指示を出しながら答えた。照明は、あえて持ち込んだ数本の無骨な赤色LEDの投光器のみ。青白いコンクリートの壁に、血のような赤い光が反射している。
「マコ、震えてるけど寒いの?」
「ひっ、冷たいのと、ここ、お化けが出そうで怖くて……っ」
ガタガタと震えるマコを見て、アカリがふふっと笑った。
「いい顔ですねぇ、マコちゃん。その『本気で怯えてる顔』、曲の雰囲気にぴったりですよぉ。そのままの表情でカメラの前に立ってくださいね」
アカリはそう言うと、自分も泥水の中にためらいなく足を踏み入れた。純白のドレスの裾が、一瞬にして黒い泥に染まる。しかし彼女の顔には、この異常な空間すらも自分の狂気を際立たせるためのスパイスだと理解している、背筋の凍るような笑みが浮かんでいた。
「サエは、そこのコンクリートの瓦礫の上に座って。歌う時以外は死んだように目を閉じてていいから」
「……ん。わかった。ここ、暗くて静かだから好き」
サエは泥水など気にする素振りも見せず、指定された瓦礫の上に丸くなり、まるで打ち捨てられた人形のように目を閉じた。
最後に、ランが泥水の中央へと歩み出てきた。
泥が跳ね、彼女の美しい衣装を容赦なく汚していく。普通のアイドルなら泣き出すような状況。しかし、ランの凛とした表情は一切崩れなかった。むしろ、その瞳は薄暗い地下空間で、獲物を見つけた肉食獣のようにギラギラと光を放っていた。
「悪くないわね。綺麗に飾られたお城の中で踊るより、よっぽど血が騒ぐわ」
「そう言ってくれると思ったわ。……さあ、カメラ回して」
私の合図で、赤い投光器が強烈に点滅を始め、重低音のトラックが地下空間に爆音で鳴り響いた。
泥水の中での激しい群舞。
それは、凄惨な儀式のようだった。
ランの完璧なステップが泥水を蹴り上げ、黒い飛沫が彼女の純白の衣装や顔に容赦なく降り注ぐ。それでも彼女は一切瞬きをせず、泥に塗れるほどにその神々しいまでの「光」を増していった。
その背後で、アカリが泥を顔に塗りたくりながら狂気的に微笑み、サエが瓦礫の上で退廃的なハミングを響かせる。レイカは泥への嫌悪感を怒りに変えて鋭い眼光を放ち、マコは極限の恐怖と寒さから本物の涙を流しながら、必死にウィスパーボイスを紡ぎ出した。
そして私は、手持ちの小型カメラを自ら握り、踊りながらメンバーの顔にギリギリまで接近して、彼女たちの息遣いや皮膚の震え、瞳孔の開き具合までも、荒々しいフレームワークで記録していく。
予定調和の笑顔など一つもない。
あるのは、生き残るために牙を剥き出しにした6人の怪物の、泥臭くて美しい生存競争の記録だけだった。
数時間後。泥まみれになり、全員が寒さで唇を紫にしながらも、撮影は誰一人欠けることなく終了した。
「……最高よ、あんたたち。これ以上の映像は絶対に撮れないわ」
カメラのモニターを確認しながら私が言うと、ランが疲れ切ったように泥水の中に座り込み、ふっと笑った。
「当然よ。私がいるんだから」
レイカは「もう二度とこんな場所来ないからね!」と叫びながらマコに抱きつき、アカリは泥だらけの顔で自撮りをしていた。
それから三日後。
私たちは、完成したミュージックビデオを、事務所の公式チャンネルではなく、私たちが勝手に開設した『GlitcH』の独立チャンネルに、何の事前告知もなく深夜0時にゲリラ公開した。
タイトルは『 ERASURE 』。
プロデュース、NIL。
暗闇に鳴り響く重厚なベース音。赤いストロボ。
泥水に塗れながらも圧倒的な輝きを放つランと、狂気を振り撒くアカリ、そして全てを深い闇へ引きずり込む私のラップ。
公開からわずか1時間。
SNSのタイムラインは、見たこともないほどの巨大な熱狂の渦に飲み込まれていた。
【 トレンド 】
1位: GlitcHデビュー曲
2位: NILプロデュース
3位: 泥まみれの天使
4位: アカリの狂気顔
5位: 音楽業界バグった
【 SNSの反応 】
@night_owl
待って、深夜になんかやばい動画上がってるって教えられて見たけど、これ本当にデビュー曲!? 完全にアイドルって概念をぶっ壊しに来てる。泥水の中で踊るラン様、神々しすぎて鳥肌立った。
@subcal_girl_99
プロデューサーNILって、あの伝説の!? 嘘でしょ、GlitcHの曲書いてるとかヤバすぎる。曲の重低音が内臓に響くし、サエちゃんの声が入った瞬間のゾクゾク感がたまらない。
@idol_watcher_A
事務所の金掛かったピカピカのMVじゃなくて、地下の廃墟でドキュメンタリーみたいに撮ってるの、生々しすぎて息するの忘れた。マコちゃん本当に泣いてるし、アカリちゃんは完全にイっちゃってる。最高すぎる。
@saori_oshikatsu
これ、日本の音楽史のターニングポイントになる絶対。予定調和の可愛いアイドルは今日で終わった。GlitcHっていう猛毒が、ついに世界に放たれた。
事務所の大人たちは、事前告知なしの勝手なゲリラ公開に最初は激怒したらしい。
しかし、翌朝には急上昇ランキング1位を独走し、海外のリアクション動画が次々とアップロードされるという異常なバズを前に、彼らは完全に口を閉ざすしかなかった。
「……ふふっ。どうやら、世界中が私たちの毒に感染したみたいね」
寮のリビング。
タブレットで凄まじい勢いで回り続ける再生回数のカウンターを見つめながら、私はコーヒーを一口飲んだ。
システムが用意したお遊戯会は、完全に終わった。
私たちのエゴと執念で作られたデビュー曲は、既存のエンターテインメントの壁を破壊し、プロの芸能界という荒野に、強烈な一撃を叩き込んだのだ。
GlitcHの『バグ』は、ここからさらに世界を侵食していく。




