episode27
「本番、一分前!」
スタッフの怒号が飛び交うステージ袖。
スモークを焚くためのドライアイスの匂いと、大量に消費されるヘアスプレーの人工的な香りが、むせ返るように充満していた。
暗がりの中、私たちは円陣を組むこともなく、それぞれが自分の戦いに向けて静かに牙を研いでいた。
私がデザインしたラフスケッチを元に、一流のスタイリストが徹夜で仕上げた衣装。
それは、一見すると王道の純白のドレスに見えるが、裾から黒いタールのようなインクが這い上がり、美しい白絹を無残に侵食していくという、極めて退廃的なデザインだった。
「……震えてるの、マコ」
私が声をかけると、隣でマコがビクッと肩を跳ねさせた。
「あ、ち、違いますっ! これは武者震いで……っ」
「嘘おっしゃい。顔面蒼白じゃないの」
レイカが呆れたように言いながらも、自分の冷たい手でマコの震える両手をギュッと握り込んだ。レイカ自身の指先も、微かに強張っている。
「……ねえ、ミオちゃん」
不意に、暗闇の中からアカリが私を呼んだ。
振り向くと、彼女はすでに「完璧な天使」と「狂気」のスイッチを半押しにしたような、ゾクゾクするほど艶やかな笑みを浮かべていた。
「今日のステージで、私が一番ハネたら……センター、代わってもらいますからね」
「ふふっ。100年早いわよ」
私が鼻で笑うと、反対側に立っていたランが、純白のグローブをはめた手をパチンと鳴らした。
「勘違いしないで。ミオを引きずり下ろしてセンターに立つのは、この私よ。……あなたたちは、せいぜい私の光の引き立て役になりなさい」
傲慢で、美しく、一切の妥協を許さない絶対女王。
その言葉を合図にするように、サエが小さく「……お姉さんたち、うるさい。早く歌お」と呟き、ゆっくりとステージへと続く階段へ足を向けた。
「本番、十秒前! スタンバイ!」
私たちは、誰も手をつなぐことなく、それぞれの定位置であるセリ(昇降機)に乗り込んだ。
暗闇の中、真横に立つランと視線が交差する。
言葉はない。ただ、お互いを絶対に食い殺すという、極上の殺意と信頼だけがそこにあった。
「……いくわよ、怪獣たち」
ウィィィィン……という低い機械音とともに、セリが上昇していく。
視界が急激に開け、ドームを埋め尽くす五万人の観客の歓声が、物理的な衝撃波となって私たちの全身を殴りつけた。
♪〜
静寂を切り裂く、重厚なパイプオルガンのイントロ。
巨大なLEDモニターに、私たちがプロデュースした映像のノイズが走る。
ステージに七筋のピンスポットライトが突き刺さった。
最初に動いたのは、ランだった。
「――っ!!」
彼女がステップを踏み出した瞬間、ドームの空気が完全に『浄化』された。
これまでの「異端」や「バグ」といったコンセプトを一切排除した、圧倒的で暴力的なまでの王道アイドルとしての『光』。
髪の毛一本に至るまで完全にコントロールされた彼女のダンスに、五万人の観客が息を呑み、歓声を上げるのすら忘れて魅入られていく。
審査員席の七瀬みやびが、震える声で「……完璧すぎる」と漏らしたのが、マイクを通してかすかに聞こえた。
誰もが、白鳥ランという太陽にひれ伏しそうになった、その時。
曲がBメロに差し掛かり、テンポが不規則に歪む。
ランの背後にできた一瞬の影から、アカリが滑り出た。
カメラがアカリの顔を大写しにする。
彼女は、ランが作り上げた神聖な空気をあざ笑うかのように、首をコトリと傾げ……あの、血の凍るような狂気の笑みを浮かべた。
「キャアアアアアッ!?」
客席から悲鳴が上がる。
それを合図に、サエの不協和音のフェイクが空間を切り裂き、レイカとマコが美しい群舞の陣形を意図的に「歪ませ」ていく。
純白のステージが、少しずつ、確実に黒い毒に侵食されていく。
そして、サビ。爆発的な転調。
私は、重い泥を引きずるようなステップで、ランの真横――ダブルセンターの位置へと躍り出た。
「〜〜〜ッ!!」
ランがハイトーンを張り上げ、私はそこに地を這うような重低音を叩きつける。
光と闇が正面から激突し、火花が散る。
観客の熱狂が最高潮に達し、ドームの屋根が吹き飛ぶかと思われた、その瞬間だった。
(……今よ)
ドンッ!! という重いビートの区切り。
私たち七人は、完全に揃っていたダンスの動きを――コンマ五秒だけ、全員で一斉に止めた。
「えっ……!?」
客席が、いや、日本のテレビの前でこの生放送を見ている数千万人が、一瞬自分の目を疑ったはずだ。
放送電波が乱れたのか? 配信がラグを起こしたのか?
映像のフレームレートがガクンと落ちたかのような、極めて人工的で不自然な『静止』。
しかし、次の瞬間には、七人は再び完璧なシンクロ率で激しいステップを再開していた。
「……ッ!!」
審査員席の鮫島プロデューサーが、ガタッと音を立てて立ち上がった。
それが放送事故などではなく、私たちが意図的に組み込んだ「視覚的なバグ(ノイズ)」の振付だと気づいたのだ。
完璧な光が、一瞬にしてノイズにまみれて崩壊する、極上のグロテスク。
「ハハッ……!」
私はマイクに乗らない声で嗤った。
三十年分の、陽の目を見なかった私のクリエイティビティが、今、七人の怪物の肉体を通して、世界を完全にハッキングしたのだ。
大サビ。
もはやそこには、王道も異端もない。
ただ、自分のエゴを極限まで押し出し、隣にいるメンバーのパートを食い殺そうとする七人の『戦闘狂』がいるだけだった。
ランの汗が光り、アカリの瞳がギラつき、私の三十年分の執念がドームの空気を黒く染め上げる。
ダァァァァン……!!
曲の終わり。
最後の一音が鳴り響き、ステージの照明が完全に落ちる。
暗闇の中、私たち七人は、肩で激しく息をしながら、誰一人目を合わせることなく、ただ己の立ち位置で前だけを睨みつけていた。
一秒。二秒。三秒。
ドームは、水を打ったような完全な静寂に包まれていた。あまりの衝撃に、五万人が言葉を、歓声を失っていたのだ。
やがて、誰かが泣き叫ぶような声で「……ミオォォッ!」と叫んだのを皮切りに。
「うわああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ドーム全体がひっくり返るような、地鳴りのような絶叫と拍手の嵐が爆発した。
私は、暗闇の中でゆっくりと息を吐き、隣で荒い呼吸を繰り返すランの気配を感じながら、スッと目を閉じた。
(……これで、本当に証明したわ)
何者でもなかった三十歳の私が、この狂った世界で一番眩しい「異物」になれるということを。
新たな時代の象徴。
完璧な嘘を終わらせる、七つのエラーコード。
『GlitcH』の伝説は、この割れんばかりの熱狂の底から、今、完璧な産声を上げたのだ。




