【第4話:泥をかぶる覚悟】
第4話をお読みいただきありがとうございます。
お互いが「自分が泥をかぶって死ねば、相手を救える」と信じて
極秘裏に動き出します。
この狂おしいほどのすれ違いの構造が、物語の熱量を一気に高めていきます。
「これ以上の強硬策は、
みちのくの地に決して消えぬ怨恨の種を撒くだけです!
田村麻呂様、今一度、時間をかけた懐柔の策を……っ!」
大和朝廷軍の本陣。幾重にも張られた天幕の奥で、
父親――朝廷の副将は、征夷大将軍の前に平伏していた。
しかし、床几に腰掛けた坂上田村麻呂は、
苦渋に満ちた表情で首を振るだけだった。
「お前の言い分は分かっている。
だがな、都からの圧力が限界なのだ。
公卿どもは陸奥の金と駿馬を一日も早く毟り取りたがっている。
これ以上の作戦遅延は、我ら全員の更怠を意味するぞ」
「しかし……!」
「下がれ。
明後日には、主戦派の貴族たちが立案した
『蝦夷殲滅のための総攻撃』の命が正式に下る。
お前も武官なら、腹を括れ」
夜の冷気が、
軍幕を出た父親の身体を容赦なく突き刺した。
天を仰げば、墨を流したような夜空に、
かつて息子と見上げたあの鮮やかな彩雲の幻影が脳裏をよぎる。
(総攻撃だと……? そ
んなことをされたら、あの子の部隊は、拓海は確実に死ぬ……!)
父親は自分の軍幕へ戻ると、狂ったように筆を執った。
白布の上に、朝廷軍の極秘の進軍ルートを克明に書き写していく。
一歩間違えれば、一族郎党すべてが極刑に処される、明らかな売国行為だった。
「副将、夜食をお持ちしました。
……っ、それは、何をしておられるのですか」
お盆を抱えた武藤が、音もなく軍幕に入ってきた。
父親は咄嗟に白布を隠したが、
その額からは尋常ではない冷汗が流れていた。
「……何でもない。武藤、お前は今夜の警備に戻れ」
「隠されましても無駄です。
副将、その紙に書かれているのは……まさか、次の進軍路ですか」
「黙れ! これ以上詮索するなら、軍律に則って処分する!」
「処分ならいくらでもお受けします!
ですが、私は見ておられんのです!」
武藤はお盆を床に叩きつけるように置き、
父親の前に膝をついた。その目には、熱い涙がたまっていた。
「副将は、このみちのくの民を、
そして我が大和の兵を無駄に死なせぬために、
お一人でこの国の行く末を憂いておられる。
都の公卿どもの理不尽な命令に、
お一人で泥をかぶって抗おうとされている!
私は……私はその孤高なるお覚悟に、どこまでも付き従うと決めております!」
「武藤、お前は勘違いを……」
「勘違いなどではありません!
副将のそのお労しいほどの横顔を見れば、
どれほどの重荷を背負っておられるか、
我ら現場の兵には痛いほど伝わります。
どうか、お一人で苦しまないでください!」
父親は、白布を握りしめたまま絶句した。
目の前の忠臣は、自らの『売国行為』を、
国家の未来を想う至高の忠義だと誤解し、
その瞳には盲信的なまでの信愛の光が宿っている。
(違うんだ、武藤。
俺はただ、父親として、自分の子供を救いたいだけなんだ……。
国のためなんかじゃない、最低の裏切り者なんだよ、俺は……)
喉まで出かかった本音を、
父親は血が出るほど唇を噛んで飲み込んだ。
深夜の灯明が、父親の悲壮な横顔を、どこまでも暗く照らし出していた。
*
同じ時刻。北の原生林の奥深く、蝦夷の隠れ里。
息子――拓海もまた、アツシら仲間に隠れて、孤独な決意を固めていた。
「大和のあの副将が親父なら……
戦争が始まったら、親父をこの手で殺すことになるかもしれない。
それだけは、絶対に避けなきゃいけないんだ」
息子は、現代の知識で書き進めていた作戦書を
すべて篝火の中に投げ入れた。
赤々と燃える炎を見つめながら、少年は静かに呟く。
「俺が、すべての責任を負って、
大和の陣営に『人質』として単身で降伏する」
「な、何を馬鹿なことを言っているんだ、若き長!!」
背後の闇から、地鳴りのような声が響いた。
振り返ると、アツシが形相を変えて立っていた。
その巨大な拳は、怒りと恐怖で小刻みに震えている。
「アツシ……いつからそこに」
「若き長、今、降伏するって言ったか!?
大和に首を差し出すって言ったのか!?
冗談じゃねえぞ! 俺たちは、お前の知恵のおかげで冬を越せて、
生きる希望を持てたんだ!
そのお前を、大和の檻に引き渡すなんて、絶対に許さねえ!」
「落ち着いてくれ、アツシ。
これは、みんなを救うための、確実な計算なんだ。
俺が人質になれば、引き換えに蝦夷の民の安全と、
あの副将の陣営との間に、互いに兵を動かさぬという
誓約をもぎ取れる。
俺一人が犠牲になれば、民も、親父も……みんなが助かるんだよ!」
息子の叫びに、アツシは一歩も引かなかった。
むしろ、その距離を詰めると、少年の肩を痛いほどに掴み、むせび泣いた。
「計算だと!?
そんな冷てえ言葉で、自分の命を捨てる言い訳をするな!
お前はいつもそうだ。
自分なんかどうなってもいいって顔をして、
俺たちのことばかり守ろうとする!
その優しさが、俺たちにとってどれほど重いか、分かってねえのか!」
「アツシ……」
「俺はお前を英雄にするために戦ってるんじゃねえ!
お前と一緒に、この山で生きて、美味い飯を食いたいから戦ってるんだ!
勝手に一人で泥をかぶろうとするな。
俺たち蝦夷の戦士を、主一人守れねえ意気地なしにする気か!」
アツシの剥き出しの忠愛の重さに、息子は息が詰まった。
親父を救うため、民を救うために練り上げた
「完璧な自己犠牲の計画」。
しかし、それは彼を無条件に愛し、
尊敬する仲間たちにとっては、
魂をへし折られるほどの裏切りでしかなかったのだ。
「若き長。俺はお前を絶対に一人で行かせねえ。
もし行くなら、俺たち全員、大和の陣に総突撃して死んでやるからな」
アツシはそう吐き捨てると、天幕の入り口に、
まるで集落の御神木のごとく頑強に立ち塞がった。
息子を絶対に大和へ渡さないための、過保護なまでの壁。
息子は崩れるように座り込み、自らの手のひらを見つめた。
(親父……。俺たちは、お互いを救うために、
同じように自分の命を投げ出そうとしてる。
なのに、どうしてこんなに周りの人たちに縛られて、動けなくなるんだ……)
皮肉にも、二人の不器用で利他的な動きは、
それぞれの忠臣たちを激しく動かしていた。
主君の「自分を省みない優しさ」を
ずっと見守ってきた武藤とアツシは、
それぞれの陣営で、主君のただならぬ気配を敏感に察知し、
その身を文字通り命懸けで囲い込もうとしていた。
お互いが「自分が死ねば相手が助かる」と信じ、
闇の中で策謀を巡らせる父と子。
しかし、その純粋すぎる親子の情愛は、
彼らを愛する者たちの忠誠という名の足枷によって、
一歩も身動きの取れない、残酷な迷宮へと引きずり込まれていくのだった。
親は子のために、子は親のために、己のすべてを投げ出す覚悟を決めます。
しかし、彼らを心から慕う部下たちが、
それを黙って見ているはずがありませんでした。
次回、最高に切ないジレンマが始まります!




