↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北天の彩雲〜征夷の花と蝦夷の月〜  作者: 塩塚 蘭仮名


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/8

【第3話:境界に響く風の噂】

第3話です!

ついに、広大な陸奥の戦場を隔てて、互いの「痕跡」が噂となって届き始めます。

直接会えない距離だからこそ、

間接的な情報から相手を特定していくサスペンスをお楽しみください。

「報告します! 

胆沢城、西方の警備に当たっていた我が隊の斥候が、

北の境界付近で蝦夷の小規模な部隊と交戦しました!」


 建設中の胆沢城。丸太が乱雑に積み上がり、

土埃が舞う本陣の軍幕内に、息を切らせた兵の叫びが響いた。


 治安維持と物資調達の任務に就いていた父親――

大和朝廷の副将は、卓上の木簡から顔を上げた。


「……交戦か。我が方の被害は」


「それが、死者はゼロ、軽傷者が数名です。

ただ、その……非常に妙なことが起きまして」


 報告に上がった武藤が、怪訝そうに眉をひそめる。


「妙なこと? 包み隠さず言え、武藤」


「はっ。我が方の斥候は、蝦夷の精緻な罠に嵌まり、

完全に退路を断たれたそうです。


誰もが死を覚悟したその時、

敵の若き指導者が現れ、攻撃を止めさせたのだとか」


「無駄な殺戮を避けたというのか。

まつろわぬ民にしては珍しいな」


「それだけではありません。

捕虜となった我が兵の傷口を、彼らは手厚く治療したのです。


それも、ぐつぐつと煮え滾る湯に浸した布を使い、

『これで毒を消すんだ』と。

その後、全員を五体満足で解放したと報告が入っております」


「……煮沸した、布で、消毒……?」


 父親の身体が、指先から凍りついたように硬直した。

前世の現代医療、その基礎的な衛生概念が、なぜこの古代の陸奥にある。


「さらに不可解なのは、その指導者が配下に指示を出す際の言葉遣いです。

生還した斥候のひとりが、震えながらその怪しげな声を憶えておりました。


『ぴいぢいしいええを回せ』という不気味な響きの呪文の後に、

『お前たちの命は、誰かの富ではなく、俺たちの誇りだ』と、

奇妙な格言を口にしていた、と」


「――っ!」


 父親の心臓が、肋骨を突き破らんばかりに激しく波打った。

 PDCA。そして、前世の過酷なサラリーマン時代、

反抗期の息子が「お前ら大人は会社の奴隷だ」と突っかかってきた夜、

父親が必死に言い返した独特の口癖。


「副将? お顔が真っ白です。どこかお悪いのですか」


「いや……なんでも、ない。

武藤、その若き指導者の外見は、何か分かっているか」


「背が高く、目つきの鋭い少年、としか……。

ですが、神業のような弓の手練れだそうです」


「そうか……。すまない、少し、一人にしてくれ」


 武藤が怪訝そうな顔のまま一礼して下がると、

父親は卓に両手をつき、激しく息を吐き出した。視界が歪む。


(拓海……なのか? お前、生きているのか。

あの事故のあと、俺と同じように、このみちのくの地に……。

それも、大和の敵として……!)


 恐怖と、狂おしいほどの歓喜が、

父親の胸の内でぐちゃぐちゃに混ざり合う。

だが、その歓喜は一瞬で、冷酷な焦燥感へと変わった。


(待てよ。だとしたら、あの子は今、

朝廷軍が総力を挙げて殲滅しようとしている『蛮族の長』ということになる。

もし、次の戦いで俺の部隊があの子を囲んだら……。


いや、絶対に死なせてなるものか。

何をしてでも、俺が盾になってでも、あの子だけは生き延びさせる!)


 父親は拳を血が滲むほど強く握りしめ、まだ見ぬ敵陣の空を睨みつけた。


 *

 その頃、北の原生林。鬱蒼と茂る木々の隙間から、

冷たい木漏れ日が差し込む蝦夷の隠れ里。


「若き長よ! 京から潜り込ませた間諜から、

大和の新しい副将の噂が入ったぞ!」


 巨体を揺らしながら、

アツシが興奮した様子で息子の天幕へと飛び込んできた。


 息子――拓海は、木簡に刻んでいた現代の文字を隠すようにして、

アツシを振り返った。


「落ち着いてよ、アツシ。

大和の副将がどうしたの? また残酷な焦土作戦の計画?」


「いや、それが真逆なんだよ! 

新しく胆沢城の物資調達に就いた大和の副将はさ、

これまでの冷酷な武官どもとはまるで違うらしい。


非戦闘員の村からの略奪を厳しく禁じてるんだ。

それだけじゃねえぞ」


「略奪を禁止……? あの朝廷軍が?」


「ああ。さらに、兵の食事に妙な指図をしてるんだってよ。

『身に力が漲る薬菜や、血肉となる魚肉を混ぜて、飯の偏りをなくせ』と


奇妙な下知を飛ばして、麦飯に山菜や魚の干物を

無理やり混ぜた配給を作らせてるらしい。

おかげで大和の兵どもの病気が激減したって噂だ」


「……飯の、偏り、だって……?」


 息子の眼が見開かれた。身体の芯が、

言葉にできない衝撃でガタガタと震え出す。


「まだあるぜ。

その副将、夜中に一人で軍幕で呟いてるのを警護の奴が聞いたらしいんだ。


『のるまは達したが、かみのプレゼンが通らん』とかいう

謎の呪文を口にしていたらしくてさ。


だけど、兵が失敗したときには、

『お前の代わりはいくらでもいるが、お前の命は世界に一つだけだ、

このバカ野郎』って怒鳴ったって」


「――親父……っ」


 木簡を握る息子の指先が、白く強張った。

 ノルマ。プレゼン。

そして、前世の家庭環境が最悪だった時期、仕事ばかりの父親に

「俺なんてどうでもいいんだろ、代わりがいるもんな」と吐き捨てた時、

父親が泣きそうな顔で殴り飛ばしながら言った、

あの懐かしい冗談混じりの激昂。


「お前? どうしたんだよ、急に泣きそうな顔して。

大和の言葉がそんなに不気味だったか?」


「アツシ……その副将の名前は。

身なりは、どんな風だって言ってた!?」


「いや、名前までは分からねえ。

ただ、白髪が交じり始めた、いつも酷く疲れた顔をした男だってよ。

だが、目だけは妙に真っ直ぐで、大和の兵たちからは尊ばれてるらしい」


 息子は敷いた毛皮から跳ね起き、思わず天幕を飛び出した。

 北の冷たい風が、少年の長い髪を乱暴に揺らす。

見上げる空は、あの日見た彩雲と同じ、どこまでも高い青だった。


(親父なんだろ……。

あの朝廷軍の中で、大義の真ん中で戦ってるの、親父なんだろ……!?)


 涙が頬を伝い、地面の枯葉を濡らす。

親父が生きていた。この世界の、すぐ近くに。


その事実は、十数年の孤独を吹き飛ばすほどの救いだった。

 だが、すぐに息子の脳裏に、冷徹な現実が突き刺さる。


(朝廷軍は、俺たち蝦夷を皆殺しにするつもりだ。

もし、俺の仕掛けた罠に親父が嵌まったら。

もし、俺の仲間が親父をその弓で射抜いたら……。


そんなの、絶対に耐えられない。俺はどうなってもいい。

たとえ、この村の連主に裏切り者だと刺し殺されることになっても、

俺の命と引き換えにしてでも、親父だけは絶対に死なせない!)


 一触即発の危機が迫る陸奥の大地。

 国境を挟んで対峙する二人の胸には、

全く同じ「生きて再会したい」という熱い情念と、

それを遥かに領駕する「相手を絶対に死なせてはならない」という

凄まじい自己犠牲の焦燥感が湧き上がっていた。


 それぞれの忠臣たちが見守るなか、

父と子は、お互いのために自らの命を投げ出す覚悟を秘めて、

残酷な運命のチェス盤の上を、一歩ずつ歩み出し始めるのだった。

お互いに「まさかアイツでは……」と気づいた瞬間の衝撃。

ここから二人の行動の原動力を「親子の情愛」が支配していきます。

しかし、彼らの優秀さが皮肉な事態を招くことに。次回も目が離せません!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。