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北天の彩雲〜征夷の花と蝦夷の月〜  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第2話:都の正義、北の誇り】

前回は親子それぞれの転生を描きましたが、

今回は彼らが置かれた「立場」と「価値観のズレ」を深掘りします。

なぜ朝廷は北を目指し、なぜ蝦夷は拒むのか。

それぞれの「生の理屈」が激突し始めます。

「これ以上の追撃は不要かと。

降伏の意志を示す者、また戦う力を持たぬ非戦闘員への刃は、

厳に慎むべきです」


「甘いな、お前は。だから前線上がりの武官は困るのだ」


 大和朝廷の軍幕、灯明皿の火が揺れる薄暗い一角で、

都から派遣された監軍の公卿が冷笑を浮かべた。


 父親――いまや朝廷の若き副将として

征夷大将軍・坂上田村麻呂の側近にまで登りつめた男は、

拳を固く握りしめ、卓上の陸奥の地図を見つめていた。


「監軍、これは単なる土地の奪い合いではありません。

過度な略奪は、彼らの反発を不必要に強めるだけです」


「黙れ。

これはな、国家の存亡がかかった『収支の勘定』なのだよ。


大仏に塗る金がどれほど不足しているか知っているか? 

それに、都の貴族が求める駿馬の利権もだ。


なによりも、朝廷の律令から逃げ出した農民どもが、

あの北の空白地帯に流れ込んでいる。戸籍という檻に奴らを縛り付け、

税を毟り取らねば、律令という国家の仕組みそのものが崩壊するのだ」


「……仕組み、ですか」


 その言葉は、前世で嫌というほど耳にした

「利益至上主義」の経営陣のロジックと完全に重なっていた。

大義名分の裏にある、生々しい経済的欲望と保身。


「そうだ。

天皇による天下統一の理念、それを守るために蝦夷を

『良民』として管理せねばならん。


お前はその仕組みの一部として、

ただ冷酷に命令を遂行すればいいのだ」


「……御意」


 頭を下げ、軍幕を出た父親の背中に、

冷たいみちのくの夜風が吹きつける。

男は、己の手のひらを強く噛み締めた。血が滲む。


(これが都の正義か。俺は何のために、

またこんな理不尽な組織の犬をやっている……)


「副将。お顔の色が優れませんな」


 影のように佇んでいた部下、叩き上げの兵である武藤が、

心配そうに声をかけてきた。


「武藤か。すまないな、少し考え事をしていた」


「監軍の言葉など、気になさるな。

我ら現場の兵は、皆、副将についていくと決めております。


副将が夜を徹して作られたあの軍律……

不必要な略奪を禁じ、兵の給養まで細かく定めたあの法こそが、

我らの命を救ってくれています。


お人好しだと笑う者もいますが、

私は、副将のその不器用な誠実さを、心の底から尊敬しております」


「……ありがとう、武藤。

お前にそう言ってもらえると、救われるよ」


 父親は武藤の肩を叩き、微かに微笑んだ。

しかし、その視線は遠い北の闇へと向けられていた。


(秩序を守るための戦争、か。

拓海……もしお前がこの世界のどこかにいるなら、どうか、

この大義の波に巻き込まれないでくれ……)


 *

 同じ頃、その北の闇の奥深く。

霜の降り始めた蝦夷の集落では、篝火の爆ぜる音が響いていた。


「若き長よ! 見てくれよ、この貯蔵庫! 

お前の言った通りに風通しを良くしたら、

去年の倍の干し肉がカビずに残ってるぞ!」


「本当だ。これなら、今年の冬は誰も飢えずに済むね」


 青年へと成長した息子――

拓海は、木造の頑丈な貯蔵庫を見上げて満足そうに頷いた。


「それだけじゃない。お前が『井戸の周りを綺麗にしろ』とか

『水は一度沸かしてから飲め』ってうるさく言うからさ、

今年は村の子供たちが一人も腹を壊して死ななかったんだ。


みんな、お前のことを大地の神の使いだって噂してるぜ」


 そう言って豪快に笑ったのは、

手先は不器用だが怪力無双の蝦夷の男・アツシだった。


「神の使いなんて、大袈裟だよ。

俺はただ、前世の……いや、ちょっとした知識を使っただけさ。

アツシ、俺たちの幸せって何だと思う?」


「あ? 幸せぇ? 

そんなの、毎日腹いっぱい美味い飯を食って、

仲間と笑って、この山の中で支配されずに静かに暮らすことだろ」


「そうだよね。

誰にも縛られず、自然の掟に従って生きる。

それだけでいいはずんだ」


 息子の表情が、ふと曇った。

懐から、大和朝廷の動きを記した間諜の報告書を取り出す。


「でも、大和の連中はそれを許してくれない。

奴らは『秩序』とか『天下統一』とかいう綺麗な言葉を使って、

俺たちを戸籍っていう窮屈な檻の中に閉じ込めようとしてる。

言葉を奪い、文化を奪い、税を毟り取るためにね」


「冗談じゃねえ! 

そんな『大和の平和』なんて、家畜の生き方だ! 

俺は絶対に御免だね!」


「うん。だから、戦わなきゃいけないんだ。

アツシ、俺は俺を信じてくれたこの村の仲間を、

絶対に死なせたくない。

そのためなら、どんな泥だってすするよ」


 その張り詰めた横顔を見て、

アツシは胸の奥を熱い感情で満たした。

アツシは息子の前に跪き、その荒々しい手を胸に当てた。


「若き長。俺は頭が悪いから、大義なんてのは分からねえ。

だけどな、お前のその優しさと、

村を想う真っ直ぐな心は、本物だ。


俺はお前のためなら、いつでも命を床に投げ出すぜ。

影のように、どこまでも付き従ってやる」


「アツシ……ありがとう。でも、死ぬなよ。みんなで生き残るんだ」


 息子はアツシの厚い手を握り返し、立ち上がった。


(親父……。現世の俺は、親父に反抗ばかりして、

まともに話すこともできなかった。


だけど、今なら分かるよ。

大切なものを守るために、頭を下げて、泥をすする大人の覚悟が。

俺はここで、俺の誇りを守るために戦う。親父、俺を見ていてくれ――)


 *

 それから数日後。

 国境を隔てる広大な川を挟んで、

大和朝廷軍と蝦夷の軍勢の距離は、

いよいよ一触即発のところまで狭まっていた。


「副将、前方に蝦夷の防衛陣地を確認。

妙に統制が取れており、

こちらの兵糧の運搬路を断つような配置です」


「……油断するな、武藤。

敵の指導者は、ただの蛮族ではない。

こちらの出方を完璧に見切っている。

全軍、軍律に従い、防陣を崩すな」


 父親は馬上で兜の紐を締め直し、川の対岸を見据えた。


「若き長、大和の先鋒が見えたぞ。

あの軍旗の男……これまでの連中とは違う。

略奪を一切せず、恐ろしいほど整然と陣を敷いてやがる。

名将の気配だ」


「慌てるな、アツシ。

向こうが『秩序』で押してくるなら、

俺たちはこの自然の『掟』で迎え撃つ。

罠の準備は万全だ。誰一人、ここから先へは通さない」


 息子は弓を強く引き絞り、迫り来る朝廷軍の指揮官を睨みつけた。

 朝廷が求める「秩序への帰属」と、蝦夷が望む「支配されぬ自由」。


 根本的な幸せの定義がズレている二つの勢力は、

歴史の必然として、血塗られた最前線で激突しようとしていた。


 国境の川に、冷たい逆風が吹き荒れる。

 父親と息子は、互いの生存を、

そしてすぐ目の前にいるという事実を未だ知らぬまま、

それぞれの正義の刃を突き出し合うのだった。

朝廷の冷酷な大義を背負う父と、自由を愛する民を率いる子。

どちらが悪とも言えない歴史の切なさがここから本格化します。

次回、ついに二人の耳に「奇妙な噂」が届き始めます……!お楽しみに!

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