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北天の彩雲〜征夷の花と蝦夷の月〜  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第1話:遥かなる北天の兆し】

本日より新連載『北天の彩雲 〜征夷の花と蝦夷の月〜』をスタートします。

歴史の濁流に呑まれる親子の切ない宿命を描く大長編です。

まずは彼らの新たな生の始まりを、どうぞお楽しみください!

「おい、しっかりしろ! 目をあけろ、拓海!」


「……おや、じ……?」


 耳を突き刺す急ブレーキの音と、視界を真っ赤に染めたトラックのヘッドライト。

あれが、俺たちの人生の終わりだったはずだ。

どこにでもある、凡庸なサラリーマンの父親と、反抗期を抜けきらない高校生の息子。

その二人の命は、現代日本の冷たいアスファルトの上で、同時に潰えた。

 だが。


「……動くな。まだ傷が塞がっておらぬ」


 低く、ひどく威厳のある声が鼓膜を震わせた。

 ゆっくりと目を開けた男――前世で父親であった男は、自分の視界に飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 コンクリートの天井はない。

代わりにあったのは、粗く編まれた麻の軍幕だ。

微かに漂うのは、汗と、鉄錆と、お香の匂い。


「ここは……どこだ? 俺は、死んだはずでは」


「何をうわ言を言っている、田村麻呂様の副官たるお前が。

お前はみちのくの地で、蝦夷の奇襲を受け、頭を強く打ったのだ」


 男の前に立っていたのは、

豪奢な甲冑に身を包んだ、冷徹な目つきの公卿だった。


その背後には、ずらりと並ぶ朝廷の兵たちが

物々しく得物を構えて控えている。


(みちのく……坂上田村麻呂……。

まさか、延暦の、桓武の帝が治める時代か……!?)


 男は自分の手を見た。

サラリーマン特有のマメのない白い手ではない。

無数の刀傷が刻まれた、武人の手だった。


「おい、聞いているのか。京の公卿たちは焦っておられるのだぞ」


 公卿は苛立たしげに扇子で卓を叩いた。


「唐や新羅の動きが不穏な今、

この陸奥を『空白の地』にしておくわけにはいかん。

天皇のまつりごとを全土に広げ、神国として一つにならねば、

我が国の威信は地に落ちる。

従わぬ蛮族どもは、容赦なく踏み潰さねばならんのだ」


「……国の、威信、ですか」


 男は、かつて日本企業の戦戦恐恐とした会議室で聞いたような、

冷酷な組織のロジック――

上層部の自己防衛のためのシステム論をそこに感じ取っていた。


「そうだ。律令という絶対の法の下に、この地を組み込む。

それこそが、民を真に安寧へと導く唯一の道だ。

お前も武官なら、その大義のために命を捧げよ」


「……分かりました。

法による秩序、それだけがこの混沌を終わらせる仕組みだというのなら、

私はその歯車になりましょう」


 男は静かに立ち上がった。

前世の記憶をその胸に抱いたまま、

彼は朝廷の若き副将として、冷徹な国家の大義に身を投じることを決意した。


すべては、この理不尽な世界を生き抜くために。

 大和朝廷の軍営が殺気立つその頃。

 そこから遥か北へ進んだ、険しい山々に囲まれた蝦夷の集落。


「産まれたぞ! 元気な男児だ!」


「大地の神に感謝を!」


 燃え盛る篝火の周りで、毛皮をまとった人々が歓声をあげていた。

 産声をあげた赤ん坊――

前世で高校生の「拓海」だった少年は、

大人の腕のなかで、必死に周囲を見回していた。


(嘘だろ……なんで俺、生きてるんだ? 親父は……親父はどこだよ!?)

 いくら叫んでも、口から出るのは赤ん坊の泣き声だけだった。


      *


 それから、十数年の歳月が流れた。


「若き長(おさ)よ! またそんな新しい罠を考えたのか!」


 巨体のがっしりした蝦夷の男・アツシが、

無邪気な笑顔で少年に駆け寄ってきた。


「ああ。これなら、大和の連中が重い甲冑を着て攻めてきても、

一歩も山に入らせずに追い返せる。

俺たちの村は、絶対に渡さない」


 少年は、今や蝦夷の若き指導者へと成長していた。

前世の記憶を持つ彼は、現代の知識を少しずつ

集落の防衛や内政に組み込み、民から「若」と慕われていた。


「さすがは我らが光だ。

大和の奴らは、俺たちのことを『まつろわぬ蛮族』と呼んで蔑むが、

俺たちにはこの山と、風と、誰にも支配されない自由がある。


奴らの戸籍に縛られ、畑を耕す奴隷にされるくらいなら、

俺は弓を執ってこの山で死ぬぞ」


「死ぬなんて簡単に言うなよ、アツシ。

俺たちは生きるために戦うんだ。

自然と共生して、美味い飯を食って、ただ静かに暮らす。

それ以上の幸せなんて、この世にないだろ」


「はは、違いない! 

お前の言うことは、いつも不思議だが、胸が熱くなる!」


 アツシは少年の肩をがっしりと抱いた。

蝦夷の人々は温かく、何よりも血族の絆を大切にする。


少年は、この理不尽な時代に落とされた孤独を、

彼らの無条件の愛によって癒やされていた。


(親父……もし生きてるなら、どこにいるんだよ。

俺は今、こんな世界の、こんな場所にいるぞ……)


 少年は、北の冷たい風に吹かれながら、

二度と会えないはずの家族の面影を追い続けていた。

 ある夜のことだった。

 朝廷の最前線基地の軍幕から、一人の男が夜空を見上げていた。


「副将、夜風が冷え込みます。そろそろ中へお戻りください」


 部下の武藤が、心配そうに上着を持ってきた。


「いや、いいんだ。……武藤、あれを見てくれ」


 男が指差した先、月と太陽の残光の狭間で、

雲が赤や緑、黄色といった鮮やかな虹色に輝いていた。


「おぉ、これは……なんと美しい。吉兆でしょうか」


「彩雲(さいうん)、というんだ。前世で、いや、昔な。

あいつと一緒によく見上げた雲だ。一瞬で消えてしまう、

儚い奇跡のような雲さ」


 男の目に、かすかな涙が浮かぶ。


「あいつは……私の息子は、どこかで元気にやっているだろうか。

もし、この同じ空を見上げているなら、それだけでいいんだが」


「副将……」


 武藤は、いつも冷徹に軍略を練る主君が魅せた、

脆いほどの人間味に、無言で深く頭を下げた。

 時を同じくして、遥か北の山嶺。


「何を見ているんだ?」


 アツシが、岩頭に立つ少年に声をかけた。


「……彩雲だよ、アツシ。太陽の近くの雲が、虹色に光る現象だ」


 少年は、美しくも儚く燃える北の空を見つめていた。


「へえ、綺麗だな。大和との戦が迫ってるっていうのに、空は呑気なもんだ」


「親父がさ、よく言ってたんだ。

『どんなに辛いことがあっても、空を見上げれば彩雲が出る。

あれが見えたら、明日はきっといい日になる』って。


不器用で、仕事ばかりの親父だったけど……

あの言葉だけは、今でも覚えてる」


 少年の胸に、狂おしいほどの情愛と、

消えない後悔が押し寄せる。


「会いたいな、親父……。もし生きてるなら、今すぐ現れてくれよ……」


「お前……」


 アツシは、若き指導者の背中に漂う、

底知れない孤独の深さに、静かに拳を握りしめた。


 互いが、すぐ近くの敵陣に別れて存在していることなど、

二人はまだ知る由もない。


 国家の大義という「秩序」を背負わされた父と、

民の誇りという「自由」を掲げた子。


 どれだけ互いを想い、どれだけ優しくあろうとも、

二人が背負う「幸せの定義」は、あまりにも残酷にズレていた。


 北の冷たい大地に、いよいよ開戦を告げる法螺貝の音が、

重々しく響き渡る。

 交わることのない二人の運命の歯車が、漆黒の夜のなかで、

静かに、そして容赦なく回り始めた。

第1話をお読みいただき、本当にありがとうございます!

現代から異世界の古代東北へと転生した父と子。

これから二人がどのような運命を辿るのか、じっくり描いていきます。

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