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北天の彩雲〜征夷の花と蝦夷の月〜  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第12話:大義の冷徹、システムの罠】

第12話です。

今回は朝廷軍がなぜ陸奥を侵略しなければならないのか、

その「生の理屈」と国家の冷酷なシステムを具体的に描きます。

父と子が背負う、決して分かり合えない価値観のズレが浮き彫りになります。

「これ以上の武力蹂躙は、朝廷の徳を損なうだけにございます。

陸奥に生きる蝦夷の民は、決して好戦的ではありませぬ。


彼らの独自の営みや山野の風習を尊び、時間をかけて大和の教化を促すべきです。

力による平定は、かえって根深い遺恨をこの地に残すのみ!

何卒、今一度ご再考を!」


朝廷軍を率いる別将や軍監たちが物々しく居並ぶ軍議の座において、

父親は声を大にして上申していた。


彼の悲痛なまでの訴えは、しかし広大な陣幕の空間に虚しく響くだけだった。

正面の豪奢な床几に座る、都から直々に派遣された主戦派の公卿たちは、

父親の必死の形相を冷ややかに見つめ、せせら笑うかのように扇で口元を隠した。


「……相変わらず生ぬるいな、武藤の主よ。

これだから、坂東の武者というものは困る。


地元の蛮族と触れ合ううちに、哀れな情でも移りやすいと見える。

将軍ともあろう者が、そのような私情を神聖なる軍議に持ち込むとは嘆かわしい」


「情ではございませぬ!

私はただ、この陸奥の地をこれ以上不毛に疲弊させることの愚を説いているのです!

力で圧したところで、彼らの反発を強めるだけにございます!」


「黙られよ!」


冷酷な一喝が、会議の場を完全に凍りつかせた。

中央にどっしりと腰を下ろしている公卿の首領が、

怜悧な眼眸で父親をまっすぐに射抜く。


その視線には、一人の武将の意見など塵芥に等しいという

絶対的な傲慢さが満ちていた。


「貴殿は物事の表面しか見ておらぬ。

我が大和がなぜ、これほどまでに莫大な兵力と物資を投じ、

陸奥の平定を急ぐか。

その真意が本当に分からぬわけではあるまい」


「それは……」


「西を見よ。

海の向こうには『唐』や『新羅』という巨大な帝国が

虎視眈々と牙を剥いている。


奴らが北方からこの日ノ本へ、

いつ侵略の触手を伸ばしてくるか分からぬのだ。


もしその時、この広大な陸奥の地が

朝廷の統制下にない無法地帯のままであればどうなる?


敵に背後を突かれ、我が国はひとたびにして瓦解しよう。

ここは国家の存亡をかけた、絶対に譲れぬ防衛線なのだ。

一つにならねば、国そのものが破綻する」


「しかし、それならばなおのこと、

対話によって蝦夷の協力を得るべきで――」


「甘いな。

さらに言えば、先年の大仏造営を支え、今なお都の維持に不可欠な

『金』の資源確保、そして新たなる平安の都の造作。


軍力を支える駿馬の徴収。

何より、過酷な庸調の税から逃亡した大和の農民が、

この蝦夷の地へ流入することを防がねばならん。


民が勝手に律令の掟から逸脱することを許せば、

大和の国力は内側から腐る。


天下の秩序を維持するためには、例外など一切認められんのだよ。

大和の秩序に一つにまとまるか、さもなくば滅びるか。

それ以外に道は無いのだ」


公卿の放った言葉は、個人の感情など一切挟み込む余地のない、

冷徹な国家の論理そのものだった。


「……天下の法網(ほうもう)、か」


父親は、自身の拳が血が滲むほど

白く握りしめられていることに気づいた。


前世の記憶。個人的な情愛。

我が子を救いたい、死なせたくないという悲痛な祈り。


それらすべてが、国家の安全保障と律令体制の維持という、

個人では到底抗いきれない巨大な構造的不条理の壁に、

無惨にも打ちのめされていく。


大義という名の冷徹な刃が、父親の心をずたずたに切り刻んでいた。

どれだけあがこうとも、大和という巨大な怪物の歯車は、

我が子を踏み潰すために回り続けている。

同じ頃、息子の率いる蝦夷の陣営は、静かな、しかし確実な熱気に包まれていた。


「若! この拠点ならば、朝廷軍の包囲網を完全にいなすことができます!

我らの地の利を最大限に活かせます!」


山奥に新しく構築された山野の険阻に深く潜む拠地で、

アツシが興奮気味に羊皮紙の地図を指差した。


「ああ。前世の、

いや、俺がかつて知っていたあの異郷の戦術知識をこの地形に応用した。


朝廷側の糧道をあえて断ち切り、無駄な直接戦闘を避けるための防御に特化した布陣だ。

わざわざこちらから打って出る必要はない。

じわじわと敵の補給を枯渇させれば、これで奴らは自滅する」


息子の見事な集落の営みの刷新の手腕と、

味方の血を流さずに敵を退ける圧倒的な戦果は、

またたく間に陸奥の深い山々に轟いていった。


しかし、その輝かしい結果は、息子が全く望まぬ方向へと

事態を急速に動かし始めていた。


「若! 我が邑(むら)も、ぜひ若の傘下に加えていただきたい!

あなた様と共に歩みたい!」


「俺たちの村もだ!

若、あんたこそが朝廷の魔手から俺たちを救ってくれる、

北の民の救世主だ!」


息子の築いた強固な拠点をひと目見ようと、

次々と周辺の集落の首長たちが集まり、息子の前に深々と平伏していく。


「待ってくれ、お前たち、顔を上げてくれ。

俺はそんな大層な人間じゃない。救世主なんて器じゃないんだ。

ただ、みんなで大和の脅威に怯えず、静かに暮らしたいだけで……」


「いいえ、若! ご謙遜を!

もはやあなたは、この陸奥の希望そのものなのです!


あなた様が立たねば、我らはバラバラに引き裂かれ、

大和に奴隷のように扱われるだけでございます!」


アツシや周囲の猛者たちの眼差しは、単なる指導者への敬意を超え、

狂信的とも言える熱狂的な崇拝へと変わっていた。


気付けば息子は、本人の意思とは無関係に

「北の民を率いる若き救世主」として、完全に神格化され始めていた。


民を巨大な秩序という名の檻の中に閉じ込めようとする「朝廷のシステム」。

誰にも支配されずに、ただ山と風の中で自分たちの営みと

家族を守りたいと願う「蝦夷の自由」。


二つの幸せの定義は、根本から致命的にズレていた。

どちらも、それぞれの生きる正義のために引くことができない。


「親父……どうしてこうなっちまうんだよ。

俺はあんたとも、この世界の誰とも、戦いたくなんてないのに」


夜風が吹き抜ける天幕のなか、

息子は父親の不格好な筆跡が残る布切れを愛おしそうに見つめ、

ぽつりと呟いた。


どれだけ対話を望んでも、どれだけ互いを想い合っても、

彼らが否応なく背負わされた「律令の法網」と「一族の救世主」という

構造そのものが、二人が手を取り合うことを絶対に許さない。


構造という名の冷酷な宿命が、父と子を、

決して避けることのできない血塗られた決戦の舞台へと、

容赦なく引きずり込んでいくのだった。

「秩序」を求める父と、「自由」を掲げる子。

どちらにも譲れない正義があるからこそ、歴史の濁流は止まりません。

次話、父親は息子の部隊を救うため、自らの地位を投げ出す危険な賭けに打って出ます。

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