【第11話:確信という名の呪縛】
第11話から第2章の開幕です!
古寺での激突を経て、お互いが「本物」であると確信した父と子。
しかし、その確信こそが二人の自己犠牲の暴走を加速させていきます。
切なさが加速する展開をお楽しみください。
「もう一度、見せてくれ、武藤」
「主君、すでに何度もお改めになられました。
そうして凝視されるたびに、お心が乱れるばかりです。
これ以上の深追いは、あなた様を破滅へと導きかねません」
「構わん。私の眼が、私の心が、これを見ることを求めているのだ。
何度見ても、これは夢ではないと、魂に刻み込まねばならんのだ」
薄暗い陣幕の中、
父親は擦り切れるほど擦り合わせた木簡を再び灯火にかざした。
鋭い小刀の刃先で、震える手によって深く刻まれた、
あの異郷で生きていた我が子の筆跡。
あの過酷な陸奥の山々の中で、我が子が蝦夷の若き指導者として立ち、
自分の名前を呼び続けていた。
その決定的な宿命に、父親の魂は歓喜のあまり激しく震えていた。
だが、生き抜いてくれたという生存の喜びは、
次の瞬間には冷酷な絶望へと姿を変え、彼の胸を木っ端微塵に叩き割った。
「朝廷が目指すこの陸奥の平定は、資源の独占と律令の掟を敷くため……。
大和という国家が存続するための絶対の命題だ。
従わぬ蝦夷は、老いも若きも、女子供であっても容赦なく殲滅される。
それが、この国の冷徹な意志だ。あの子はその標的になっている」
「主君……」
「これ以上、あの子の居場所を奪ってはならない。
ようやく見つけた我が子の生きる未来を、私のこの手で潰すことなど、
死んでもできるものか。私は大和の将である前に、あの子の父親なのだ」
父親の眼眸に、自らのすべてを投げ出すような、仄暗い決意の炎が灯る。
「武藤、明日の進軍計画だが、糧食を運ぶ路の安全が未だ確認できていない。
これを理由に、本隊の発向を少なくとも三日は遅らせる。
さらに、軍糧を収めたる営処を前方ではなく、
後方へ一段下げろ。意図的に軍の歩みを鈍らせる」
「主君、それでは、本国の主戦派貴族たちが黙ってはおりませぬ。
『戦を恐れる腰抜け』『敵に通じる逆賊』と、
朝廷内でのあなた様の立場は失われ、ますます誹謗中傷の嵐が巻き起こりましょう。
最悪の場合、罷免もあり得ます」
「罵りたければ罵るがいい。孤立など、今更恐れるに足りん。
私は私の職責を果たすまでだ」
父親の言葉は、自らの破滅を完全に覚悟した、冷徹な響きを帯びていた。
しかし、その悲壮な背中を見つめる武藤の双眸には、
全く異なる歪んだ感情が宿っていた。
『主君は、あえて自ら泥をかぶろうとされているのだ。
国家の無駄な消耗を防ぎ、この不毛な戦を大局的な見地から終わらせようとする、
なんと孤高の忠義……! これこそが真の武人の姿だ』
武藤は深く頭を垂れ、感極まったように拳を強く握りしめた。
「何があろうとも、この武藤、主君の盾となって死ぬ覚悟にございます。
本国の凡愚どもが何を言おうと、
何者にも、あなたの行く手を阻ませはいたしません。
私があなた様の大義をお守りします」
「……すまんな、武藤」
部下の致命的な誤解に満ちた、しかし純粋すぎる忠誠の言葉に、
父親はただ静かに目を伏せ、ため息を呑み込むしかなかった。
己の計略が、部下の忠義によって美化されていく。
同じ刻、月明かりに青白く照らされた蝦夷の陣営でも、
一人の若者が狂おしい呪縛に囚われていた。
「親父……。なんで、よりによって朝廷軍の将なんだよ。
なんで俺たちの前に立ちはだかるんだ」
息子は、親父の筆跡が残された布切れを、
指の骨が白くなるほど強く握りしめていた。
かつて過ごしたあの世界で、自分が狂ったように大好きだった、
球を打つ遊戯の不格好な印。
生きろという、殴り書きの文字。
親父が自分を狙う側にいる。
その事実が、息子の胸を鋭い錐のように抉り続けていた。
「親父を、人殺しにさせちゃいけない。
実の我が子を手に掛けたという、
永き世の業をあの人に背負わせるわけにはいかないんだ。
これ以上、あの人の手を血で汚させるわけにはいかない。
それに……俺を慕ってくれる、この蝦夷の仲間たちを、
これ以上の悲惨な戦火に巻き込むわけにもいかないんだ」
たった一人で冷たい夜風に吹かれながら、息子はぽつりと呟いた。
「俺が……すべての泥をかぶって死ねばいいんだ。
蝦夷の長である俺の首を朝廷に差し出せば、大和の面目も立ち、戦は終わる。
親父の将としての立場も守れる。
それしか、みんなを救う道はないじゃないか」
その自己犠牲の決意は、あまりにも悲痛で、
あまりにも確固たるものだった。
しかし、粗末な布帳の影からその言葉を聞き、
ただならぬ焦燥を察していた者たちがいた。
「若……! 何を仰いますか!」
アツシを筆頭に、蝦夷の猛者たちが次々と暗闇から姿を現した。
その目には、堪えきれない大粒の涙が浮かんでいる。
「アツシ……お前たち、いつからそこに。聞いていたのか」
「若が一人で、我ら一族の、そしてご自身の全ての苦しみを背負おうとされている!
そんな悲しいことを、我らが許すとお思いか!
俺たちは若のおかげで生き延びられたんだ!」
「そうだ、若! あんたは俺たちの光だ!
あんたを死なせるくらいなら、俺たちが盾になる!」
「若の身に万が一のことがあっては、蝦夷の未来は完全に潰える!
おい、若の警護をこれまでの倍にしろ!
一歩も陣から出させるな! 影のようにお護りするのだ!」
「待て、お前たち! 俺の話を聞け! 俺が死ぬのが一番丸く収まるんだ!」
息子の必死の制止も虚しく、蝦夷の戦士たちは涙を流しながら、
若を守るための警備をより一層厳重に固めていってしまった。
彼らの忠義の眼差しは、絶対に若を死なせないという鉄の決意に満ちていた。
お互いに「相手を生かすために、自らを捨て石にしよう」と狂奔する。
だが、そのあまりにも誠実で、命を惜しない生き方ゆえに、
皮肉にも周囲からの絶大な信頼と忠誠を集めてしまうのだった。
朝廷の陣営では、武藤をはじめとする忠臣たちが「孤高の主君」を守るために
結束を強め、父親の身動きを縛っていく。
将軍の身の安全のためにと、徹底的な護衛陣が敷かれる。
蝦夷の陣営では、アツシら猛者たちが「慈悲深き若」を決して死なせないと、
鉄壁の守護で息子を包囲していく。
自由に行動することすら許されない。
相手を救いたいという純粋な想いが、周囲を巻き込み、
皮肉にも己の身を縛る巨大な檻となっていく。
「死ぬことすら許されない」という、愛ゆえの皮肉な呪縛。
父親と息子は、互いを想う深さの分だけ、
自らが作り出した目に見えない鎖に締め付けられ、身動きの取れぬまま、
無情にも足元から忍び寄る決戦の足音を聴き続けるのだった。
お読みいただきありがとうございます!
お互いに自分を犠牲にしようとするのに、優秀さと人徳のせいで
周りに命懸けで守られてしまうジレンマ。
歴史の不条理の中で、父子の孤独な戦いが本格化します。




