第2話 二度目のお茶には、質問を一つ
「笑ったのですか?」
翌朝、髪を梳いていた侍女のミーナが、鏡の中で目を丸くした。
「ええ」
「あのヴァレン侯爵様が?」
「ほかにどなたとお会いしたのよ」
ミーナは私が十六の頃から仕えてくれている、二つ年上の侍女だ。
昔から遠慮がない。私が無理に元気なふりをしていると、一番先に気づくのも彼女だった。
「お嬢様がお帰りになってから、ずっと考え込んでいらしたので。何か嫌なことを言われたのかと」
「違うわ。失礼なことを言ったのは、私の方」
昨日の発言を思い返すと、今でも額を押さえたくなる。
責任を半分持ってほしいだなんて。もう少し可愛らしい言い方はなかったのだろうか。
でも、侯爵様は笑ってくださった。
あのときの目元を思い出すと、気を遣って笑ってくださっただけとは思えなかった。
「またお会いするのですか?」
「まだ分からないわ」
答えた直後、扉が叩かれた。
届いたばかりだという手紙を受け取って、封蝋に刻まれた家紋を見る。
ヴァレン侯爵家のものだった。
ミーナが、櫛を持ったまま笑った。
「分かりましたね」
「まだ開けていないでしょう!」
丁寧に封を切る。
昨日の礼と、来週もお会いしたいという言葉。そのあとに、一文が添えられていた。
『次は、粉砂糖のついていない菓子をご用意いたします』
私は手紙を膝に伏せた。
そのままでは、顔まで全部読まれそうだった。
二度目のお茶は、侯爵家の屋敷で開かれた。
伯母様が付き添ってくださり、出迎えた先代侯爵夫人アデラ様と、すぐに懐かしそうなお話を始めた。
大きな窓に面した席に通され、私は侯爵様の向かいに座る。
今日は粉砂糖のない小さなバター菓子が並んでいた。
「ご安心いただけましたか」
「はい。でも、まだ緊張しております」
「私もです」
即答だったので、思わず顔を上げた。
侯爵様はいつもの、落ち着いたお顔をしている。
「とても、そうは見えませんわ」
「顔に出ないだけです」
「便利ですわね」
「よく誤解されますから、便利とも限りません」
彼はカップに目を落とした。
「先日は、何を聞けばよいか考えすぎました。初めは天気の話しかできなくて」
「わたくしもです」
「あなたは、会話の半分を私に任せてくださった」
「それは忘れていただけませんか!」
「残念ですが、気に入っています」
そんなふうに言われると、どこを見ればいいのか困る。
せっかく二度目だから、今度こそ落ち着いてお話ししようと思っていたのに。
「今日は、質問を考えて参りました」
「私に?」
「はい」
「どうぞ」
彼が姿勢を正したので、私まで背筋が伸びた。
いけない、これでは試験のようになってしまう。
「侯爵様はお休みの日にも、そのようにきちんとお座りになるのですか?」
読書のことを聞こうとしたはずなのに、何を聞いているのだろう、私は。
彼は自分の膝に目をやると、椅子の背へゆっくり身体を預けた。
「気づきませんでした。あなたのおかげで、楽になりました」
「お役に立てたのでしたら、何よりです」
「あなたも、どうぞ」
勧められて、私は肩の力を抜いた。
すると、窓の外で鳴く鳥の声が、急によく聞こえた。
部屋に入ってから、ずっと息を詰めていたらしい。
「本当は、ご本のお話を伺うつもりでした」
「それは、座り方を聞くより難しかったのですか」
「わたくしにも分かりません」
侯爵様は今度こそ、口元も隠さずに笑ってくださった。
この方の笑った顔が、私は好きだ。まだ二度しか会っていないのに、口元がほころぶのを見るだけで嬉しくなってしまう。
彼が最近読んだという本は、古い航海記だった。
行ったことのない土地の話を読むのがお好きらしい。
「旅をなさるのですか?」
「領地と王都の往復がほとんどです。ですから、せめて本の中では」
「わたくしは、お話を読む方が好きです。特に、結末が幸せなものを」
「先に確かめるのですか」
「ええ。悲しい結末でしたら、元気な日に読もうと思って」
侯爵様は少し考え、それから頷いた。
「確かに、読む日に向き不向きはありますね」
馬鹿にせずに聞いてくださるのが嬉しくて、私は身を乗り出した。
「結末を確かめるようになったのは、悲しいお話を寝る前に読んでしまったからなのです。翌朝、目が腫れてしまって」
「それは災難でしたね」
「お母様には、夜更かしをしたからだと言われました」
「夜更かしもなさった?」
「どうしても結末が気になりましたので」
「では、二つの原因が重なった」
もっともなご意見に、言い返せない。
私が黙ってお菓子を口に運ぶと、彼は可笑しそうに目を細めた。
話しているうちに、窓の外の陽が傾いていた。
こんなに長く喋ったつもりはなかったのに、伯母様に声をかけられて、もう帰る時間なのだと知る。
立ち上がりかけた私へ、侯爵様が言った。
「王都の西通りに、よく行く書店があります。次は、そちらへご一緒しませんか」
次も誘ってくださるのだ。あまりに自然に言われたので、返事が遅れてしまった。
「よろしいのですか?」
「私がお誘いしています」
「今日は、取り留めのないお話ばかりしてしまいましたから」
侯爵様はすぐには答えなかった。
けれど、その沈黙は、最初の日ほど怖くなかった。
「あなたがどんな本を、どんなふうに読むか。私の知らなかった話を聞けました」
彼は私の顔を覗き込んだ。
「楽しかったです。あなたは?」
礼儀として同じことを返すのでは、もったいないと思った。
「わたくしも、楽しかったです。またお話ししたいです」
侯爵様の表情が和らいだ。
それを見て、自分の返事を彼も待っていたのだと、ようやく分かった。
帰りの馬車で、伯母様は窓の外を見ながら言った。
「今度は、私も本を買おうかしら」
「伯母様」
「付き添いにも楽しみが必要でしょう?」
反対側の窓へ顔を向けた私を、伯母様はそれ以上からかわなかった。
頬の熱さが収まらないまま、私は当日着ていく服を考えていた。今度は、何を着たら彼に似合うと言っていただけるだろう。




