第14話 皆様の知らない侯爵様
春の夜会で、私は若草色のドレスを着た。
エドガー様が選んでくださった小さな耳飾りをつけ、最後に鏡の前で振り返る。
「いかがですか」
夫は部屋の入口で、こちらを見ていた。
「綺麗です」
「最近、そればかりではありませんか!」
「毎回、そう思うので」
ミーナが後ろで、何かを堪えるように俯いた。
私は彼女を見ないことにして、エドガー様へ近づいた。
「エドガー様も、お似合いです」
「ありがとう」
「今夜は、お仕事のお話ばかりになりませんように」
「努力します」
差し出された腕へ手を添える。
去年の夜会では、この方を見つけるまで落ち着かなかった。
今夜は一緒に出かけて、一緒に帰る。
その違いだけで、ずいぶん気楽だった。
会場には、見知った顔が多かった。
挨拶をし、近況を交わしているうちに、エドガー様は知人の男性に呼び止められた。
どうやら、領地の道の整備について相談したいらしい。
私は彼と目を合わせ、少し離れた場所にいる伯母様を示した。
行ってきます、と目で伝えると、彼は頷いた。
以前なら、勝手に離れてよいのか迷ったかもしれない。
今夜はこのあと踊る約束をしているし、伯母様への挨拶が済めば戻ってくればいい。
「素敵な色ね、リディア」
伯母様が、ドレスを褒めてくださった。
お礼を言うと、隣にいたご夫人が微笑む。
「侯爵夫人とは、初めてゆっくりお話ししますわね。ご新婚でいらっしゃるから、夜会も楽しいでしょう」
「ええ。今夜を楽しみにしておりました」
「でも、ヴァレン侯爵は、お忙しい方ですものね。ご一緒にいらしても、すぐにお仕事のお話になってしまうのでは?」
ご夫人は悪戯っぽく、夫の方を見た。
エドガー様は真面目なお顔で、二人の男性の話を聞いている。
「そういうこともございます」
「お屋敷でも、あのようなご様子なのかしら」
私は少し考えた。
仕事をしているときは、確かにあのお顔だ。
けれど、朝に寝ぼけた私を起こすときや、物語の感想を言い合うときは違う。昨夜も本を閉じたあと、私が寝る支度を忘れるほど、二人で笑っていた。
「家では、よく笑います」
ご夫人が驚いた顔をした。
伯母様は初めから知っていたという顔で頷いている。
「まあ、あの方が?」
「はい」
言ってしまうと、なんだか自慢をしたようで恥ずかしかった。
でも、嘘ではない。
そのとき、エドガー様がこちらへ戻ってきた。
ご夫人に挨拶をすると、彼女は楽しそうに言った。
「奥様から、意外なお話を伺いましたのよ」
私は少し慌てた。
「何も、おかしなことは申し上げておりません」
「どのような話でしょう」
「侯爵は、お家ではよくお笑いになると」
彼が私を見た。
私は知らないふりで扇を開いた。
「リディアがいると、そうなります」
さらりと答えられて、扇の陰でも顔の熱さを隠せなくなった。
伯母様が声を立てて笑う。
「二人で踊っていらっしゃい。今なら、まだ曲が始まる前でしょう」
追い出されるように、私たちはその場を離れた。
腕を取られながら、私は夫を見上げる。
「皆様の前で、あのようなことを」
「あなたも、私のことを話していたでしょう」
「事実を申し上げただけです」
「私もです」
言い返せない。
私は扇を閉じて、抗議の代わりに彼の腕をきゅっと掴んだ。
踊っているあいだ、私たちはあまり話さなかった。
楽団の音が近くで響き、彼の手が腰に添えられる。去年と同じ踊りなのに、今はずっと彼の動きが分かる。
曲の途中、私たちの横を、ひどく緊張した若い男女が通った。
男性が数を数えているのが、かすかに聞こえた。
彼女も、その声に合わせて一生懸命に足を動かしている。
二人で懸命に拍子を合わせているのが微笑ましくて、エドガー様を見上げた。
彼も気づいていたらしい。
「私たちも、あのように見えたでしょうか」
小さな声で尋ねると、彼は首を横に振った。
「あなたは、私を見るたびに、足が遅れていました」
「覚えていらっしゃるのですね!」
「嬉しかったので」
私は今度こそ足を間違えかけた。
彼が笑いながら支える。
「ほら」
「エドガー様が、余計なことをおっしゃるからです」
「それは失礼しました」
少しも反省していない顔だった。
私は笑ってしまって、もう、間違えたことも気にならなくなった。
曲が終わると、彼は私を窓辺へ連れていった。
少し涼しい風が入ってきて、熱くなった頬に心地よい。
「疲れましたか」
「少しだけ。楽しくて、つい夢中になってしまいました」
彼は頷き、近くの椅子を勧めた。
私は腰を下ろし、隣に座った彼へ身体を向ける。
「楽しいです」
「私も」
私は扇で風を送りながら、彼にも届くよう少し向きを変えた。
向こうでは、先ほどの若い二人が、ほっとした顔で笑い合っていた。
私はそれを見て、夫の手へそっと触れた。
「帰ったら、何か温かいものを飲みませんか」
「ええ。お腹は?」
「少し空いております」
「では、帰る前に従僕を使いに出しておきましょう」
夜会の帰りに何を食べるか相談しているなんて、周囲の方は思いもしないだろう。
そう思うとおかしくて、扇の陰で笑ってしまった。
「でも、その前にもう一曲お願いいたします」
「喜んで。休んでからにしましょう」
帰る楽しみができたら、今度は踊るのを終えてしまうのが惜しくなった。欲張りなお願いなのに、彼は嬉しそうだった。
私は夫の手を握り直した。
エドガー様は何も尋ねず、同じ強さで握り返してくれた。




