第13話 言葉にすると、難しい
冬の終わりに、エドガー様は三十歳になった。
大きな宴は開かず、家族だけで夕食を取ることになっていた。
アデラ様に私の両親、それから伯母様という、気を張らなくてよい顔ぶれだった。なのに私は朝から落ち着かなかった。
贈り物を、まだ渡せずにいたのだ。
「朝食のあとにお渡しするのでは?」
ミーナが、机の上の箱を見た。
「そのつもりだったの」
「では、なぜ」
「食堂に持っていきそびれたのよ」
持っていこうとしたところで、大げさに包みすぎただろうか、子供っぽい贈り物ではないだろうかと迷ってしまった。結局、彼が呼びに来るまで箱を眺めていた。
箱の中には、薄い灰色のハンカチが二枚入っている。
端に小さく名前の頭文字と、蔦の葉を刺繍した。
色を間違えてほどいた、あの刺繍だった。
実用品なら、いくつあっても困らない。
そう考えたときはよい案に思えたのに、できあがると、あまりにも普通だった。
侯爵家には、もっと上等なものがいくらでもある。
「奥様」
ミーナが私の顔を覗き込んだ。
「旦那様は、きっとお喜びになります」
「そうかしら」
「では、確かめていらしては? 箱を開けたり閉めたりしているうちに、お昼になってしまいますよ」
もっともだった。
私は箱を持って、執務室へ向かった。
エドガー様はちょうど書類を片づけているところだった。
今日の仕事は午前で終えると、約束してくださっていた。
「もう昼食の時間ですか?」
「いいえ。お時間を、少し」
私の手元を見て、彼が立ち上がった。
近づいてくる前に、私は箱を差し出した。
「お誕生日、おめでとうございます」
彼の顔が、すぐに和らいだ。
「ありがとう。開けても?」
「はい」
彼はゆっくりと紐を解いた。早く中を見ていただきたいのに、蓋へ手がかかると身構えてしまう。自分でも呆れるほど落ち着かなかった。
蓋を開けたエドガー様は中身を見つめ、それから私へ顔を向けた。
「あなたが?」
「刺繍だけです。生地は、仕立屋にお願いしました」
彼は一枚取り上げ、端の葉に指を滑らせた。
「これを、作っていたのですね」
そう言われて、顔が熱くなる。
何度か、私が急いで布を隠したことを、見逃してくださっていたらしい。
「もっと、立派なものも考えたのですが」
「十分、立派です」
「よくご覧になると、葉の大きさが少し違います」
「本物の葉も、そうでしょう」
私は笑ってしまった。
彼も笑い、それからハンカチを丁寧に畳んだ。
「今日から使います」
「今日はご家族しかいらっしゃいません」
「では、見せびらかす相手に困らない」
「エドガー様!」
本気でおっしゃっている気がして、慌てた。
彼は私を見て、ますます楽しそうに笑った。
「見せるのはいけませんか」
「少しだけにしてくださいね」
「難しい注文ですね」
箱を机へ置いた彼が私の手を取った。
刺繍の針が当たって、指先に小さな傷が一つ残っていた。
彼の親指が、その少し横を撫でる。
「ありがとう、リディア。大事にします」
彼は私の手をそっと離すと、ハンカチを使いやすいように折り直して上着の内側へしまった。その手つきを見ていると、今朝まであれほど迷っていたのが嘘のようだった。
何度も糸をほどいたことまで話したくなるほど嬉しかったのに、口をついて出たのは違う言葉だった。
「わたくし、エドガー様が好きです」
自分で言っておきながら驚いて、私は唇を結んだ。
彼も、一瞬だけ動きを止めた。
私は慌てて続ける。
「ご存じだとは思いますけれど、今日はどうしてもお伝えしたくなって」
「知っているつもりでしたが、聞けると嬉しい」
彼の声が近づいた。
「もう一度、お願いできますか」
「何度も言うことでは」
「私は何度でも聞きたいです」
私は困って、彼の上着の襟を見つめた。
そこに答えが書いてあるわけではないのに。
「好きです。とても」
言葉にしてしまうと、どうしようもなく恥ずかしい。
でも、彼の顔を見たら、言ってよかったと思った。
エドガー様は私を抱き寄せた。
「私も、あなたを愛しています」
胸がいっぱいになった。
結婚を申し込まれた日にも、式の日にも、嬉しいことはたくさんあった。
それでも、今のひと言は、また別に嬉しかった。
「そちらの言い方は、ずるいです」
「どちらの?」
「わたくしが、まだ言えていない方です」
彼の胸が、笑いで少し揺れた。
「待っています」
急かされないと、かえって言いたくなる。
私は彼の上着を少し握って、小さな声で言った。
「愛しております、エドガー様」
抱きしめる腕に、少し力がこもった。
返事の代わりに、髪へ口づけられる。
私は目を閉じて、その腕の中にいた。
夕食の席で贈り物を尋ねられると、彼は本当にハンカチを見せた。
アデラ様に見せたかと思うと、今度は私のお母様、続いて伯母様へと披露する。
少しだけ、とお願いしたはずなのに。
「よい出来だね」
お父様まで目を細めて言うものだから、私はもう、顔を上げられなかった。
「大変、気に入っています」
夫は、普段の真面目な顔で答えた。
自慢しているのに、お仕事の報告をするような顔だった。私だけが照れているのは不公平ではないかしら。
卓の下で、彼の袖を軽く引く。
彼は私を見て、口元だけで笑った。
「少しだけです」
小声で言われて、私は睨むつもりだった。
でも、結局、笑ってしまった。
卓の下で彼の手を探すと、すぐに握り返してくれた。夕食が済んだら、もう一度二人きりでお祝いを言おう。今度は、昼間より少し大きな声で。




