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笑わないと噂の侯爵様は、私の前ではよく笑う  作者: 九葉(くずは)


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13/15

第13話 言葉にすると、難しい

 冬の終わりに、エドガー様は三十歳になった。

 大きな宴は開かず、家族だけで夕食を取ることになっていた。

 アデラ様に私の両親、それから伯母様という、気を張らなくてよい顔ぶれだった。なのに私は朝から落ち着かなかった。


 贈り物を、まだ渡せずにいたのだ。


「朝食のあとにお渡しするのでは?」


 ミーナが、机の上の箱を見た。


「そのつもりだったの」

「では、なぜ」

「食堂に持っていきそびれたのよ」


 持っていこうとしたところで、大げさに包みすぎただろうか、子供っぽい贈り物ではないだろうかと迷ってしまった。結局、彼が呼びに来るまで箱を眺めていた。


 箱の中には、薄い灰色のハンカチが二枚入っている。

 端に小さく名前の頭文字と、蔦の葉を刺繍した。

 色を間違えてほどいた、あの刺繍だった。


 実用品なら、いくつあっても困らない。

 そう考えたときはよい案に思えたのに、できあがると、あまりにも普通だった。

 侯爵家には、もっと上等なものがいくらでもある。


「奥様」


 ミーナが私の顔を覗き込んだ。


「旦那様は、きっとお喜びになります」

「そうかしら」

「では、確かめていらしては? 箱を開けたり閉めたりしているうちに、お昼になってしまいますよ」


 もっともだった。

 私は箱を持って、執務室へ向かった。



 エドガー様はちょうど書類を片づけているところだった。

 今日の仕事は午前で終えると、約束してくださっていた。


「もう昼食の時間ですか?」

「いいえ。お時間を、少し」


 私の手元を見て、彼が立ち上がった。

 近づいてくる前に、私は箱を差し出した。


「お誕生日、おめでとうございます」


 彼の顔が、すぐに和らいだ。


「ありがとう。開けても?」

「はい」


 彼はゆっくりと紐を解いた。早く中を見ていただきたいのに、蓋へ手がかかると身構えてしまう。自分でも呆れるほど落ち着かなかった。


 蓋を開けたエドガー様は中身を見つめ、それから私へ顔を向けた。


「あなたが?」

「刺繍だけです。生地は、仕立屋にお願いしました」


 彼は一枚取り上げ、端の葉に指を滑らせた。


「これを、作っていたのですね」


 そう言われて、顔が熱くなる。

 何度か、私が急いで布を隠したことを、見逃してくださっていたらしい。


「もっと、立派なものも考えたのですが」

「十分、立派です」

「よくご覧になると、葉の大きさが少し違います」

「本物の葉も、そうでしょう」


 私は笑ってしまった。

 彼も笑い、それからハンカチを丁寧に畳んだ。


「今日から使います」

「今日はご家族しかいらっしゃいません」

「では、見せびらかす相手に困らない」

「エドガー様!」


 本気でおっしゃっている気がして、慌てた。

 彼は私を見て、ますます楽しそうに笑った。


「見せるのはいけませんか」

「少しだけにしてくださいね」

「難しい注文ですね」


 箱を机へ置いた彼が私の手を取った。

 刺繍の針が当たって、指先に小さな傷が一つ残っていた。

 彼の親指が、その少し横を撫でる。


「ありがとう、リディア。大事にします」


 彼は私の手をそっと離すと、ハンカチを使いやすいように折り直して上着の内側へしまった。その手つきを見ていると、今朝まであれほど迷っていたのが嘘のようだった。

 何度も糸をほどいたことまで話したくなるほど嬉しかったのに、口をついて出たのは違う言葉だった。


「わたくし、エドガー様が好きです」


 自分で言っておきながら驚いて、私は唇を結んだ。


 彼も、一瞬だけ動きを止めた。

 私は慌てて続ける。


「ご存じだとは思いますけれど、今日はどうしてもお伝えしたくなって」

「知っているつもりでしたが、聞けると嬉しい」


 彼の声が近づいた。


「もう一度、お願いできますか」

「何度も言うことでは」

「私は何度でも聞きたいです」


 私は困って、彼の上着の襟を見つめた。

 そこに答えが書いてあるわけではないのに。


「好きです。とても」


 言葉にしてしまうと、どうしようもなく恥ずかしい。

 でも、彼の顔を見たら、言ってよかったと思った。


 エドガー様は私を抱き寄せた。


「私も、あなたを愛しています」


 胸がいっぱいになった。

 結婚を申し込まれた日にも、式の日にも、嬉しいことはたくさんあった。

 それでも、今のひと言は、また別に嬉しかった。


「そちらの言い方は、ずるいです」

「どちらの?」

「わたくしが、まだ言えていない方です」


 彼の胸が、笑いで少し揺れた。


「待っています」


 急かされないと、かえって言いたくなる。

 私は彼の上着を少し握って、小さな声で言った。


「愛しております、エドガー様」


 抱きしめる腕に、少し力がこもった。

 返事の代わりに、髪へ口づけられる。

 私は目を閉じて、その腕の中にいた。



 夕食の席で贈り物を尋ねられると、彼は本当にハンカチを見せた。

 アデラ様に見せたかと思うと、今度は私のお母様、続いて伯母様へと披露する。


 少しだけ、とお願いしたはずなのに。


「よい出来だね」


 お父様まで目を細めて言うものだから、私はもう、顔を上げられなかった。


「大変、気に入っています」


 夫は、普段の真面目な顔で答えた。

 自慢しているのに、お仕事の報告をするような顔だった。私だけが照れているのは不公平ではないかしら。


 卓の下で、彼の袖を軽く引く。

 彼は私を見て、口元だけで笑った。


「少しだけです」


 小声で言われて、私は睨むつもりだった。

 でも、結局、笑ってしまった。


 卓の下で彼の手を探すと、すぐに握り返してくれた。夕食が済んだら、もう一度二人きりでお祝いを言おう。今度は、昼間より少し大きな声で。

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