第12話 言い直しても、いいですか
髪を下ろし、楽な室内着に着替えてから、私は居間へ向かった。
廊下の角を曲がったところで、エドガー様と鉢合わせた。
彼はカップ二つと薄く切ったパンを載せた盆を持ち、私を見て足を止めた。
「夕食をほとんど召し上がっていなかったので。厨房に頼んできました」
あんな言い方をしたあとでも、食事のことを気にかけてくださっていた。盆を支える手を見ていたら、謝りたい気持ちがいっそう強くなった。
「ありがとうございます」
「少し、話せますか」
「はい。わたくしも、お話ししたくて」
二人で居間へ入った。
先ほどまで客人が座っていた部屋とは違う、普段の小さな居間だった。
エドガー様が盆を置き、私はその向かいに座る。
カップから、薄い湯気が上がっていた。
口をつけると、喉が温まって、やっと言葉が出そうになった。
「先ほどは、申し訳ありませんでした」
彼が顔を上げる。
「笑っていればいいだなんて、エドガー様はそんなことをおっしゃっていないのに」
私は膝の上の手へ目を落とした。薬指の指輪を見つめていると、あなたと暮らしたいと言ってくださった日のことを思い出した。機嫌の悪い日もあると、そのときから話していたのに。
「今日は、ただ、褒めていただきたかったのです。よくできたと、言っていただきたくて」
「そうでしたね。すぐに別の話をしてしまいました」
私は指輪から目を上げた。
「褒めてくださったのは分かっています。ただ、普段のままでよかったと伺って、頑張ったことが余計だったように聞こえてしまいました」
彼は黙って聞いていた。
その沈黙に、急いで言葉を足す必要はなかった。
「私の言い方が、よくありませんでした」
エドガー様は少し身体を前へ傾けた。
「準備してくれたことは、ありがたかった。ご夫人が楽に座れるようにしたことも、食事の好みを確かめてくれたことも、助かりました」
足を痛めたご夫人が、安心した顔で椅子に腰を下ろしたのを思い出した。あのとき、彼も見ていてくださったのだ。涙が出そうになって、私はカップを置いた。
「それとは別に、私にもずいぶんよそよそしかったので、寂しくなってしまったのです」
意外で、顔を上げた。
「寂しかったのですか」
「ええ。あの劇の話なら、いつものあなたが笑ってくれるかと思った」
彼は困ったように眉を寄せた。
「今考えると、自分勝手でした。あなたは客人を迎えている最中だったのに」
そんな気持ちまであったとは思わなかった。彼は私の笑顔が見たくて、あの劇の話を持ち出したのだ。
嬉しくて口元が緩んだけれど、今日の緊張までなかったことにはできなかった。
「わたくしも笑いたかったです。けれど、皆様に失礼がないか気になって、それどころではなくて」
「そうでしたか」
「侯爵夫人があんなふうに笑ったら、軽々しく見えるのではないかと思ったのです」
芝居の話をしたときも、私が覚えていたのはエドガー様と笑い合ったことだった。それを口にする勇気がなくて、舞台装置の話へ逃げてしまった。
「あなたが笑ったくらいで、ヴァレン家は傾きません」
私は彼を見た。
エドガー様は真面目な顔をしていた。
「それに、私もあの場面では笑いました。軽々しいなら、二人ともです」
堪えきれずに笑うと、彼もようやく笑った。
「では、次はお話を引き受けてくださいませ。わたくしも温かいうちにお料理をいただきたいです」
「ええ。今夜も、もっと早くそうすればよかった」
食事中に彼へ頼めばよかったのだ。私ばかりで頑張っていたことが恥ずかしくなったけれど、もう一つだけ伝えておきたかった。
「笑わない日にも、こうしてお話ししてくださいね」
彼が静かに頷いた。
「もちろんです」
私は頷いて、ようやくパンに手を伸ばした。言い直すためにここへ来てよかった。向かいの彼もカップを持ち上げ、ゆっくりお茶を飲んだ。
一口食べたら、急に空腹が戻ってきた。
エドガー様が、私の皿へもう一切れ載せる。
「次の晩餐は、私も準備の打ち合わせに加わります」
「お忙しいのでは」
「全部は難しくても、席順と話題くらいは。私の知人も来るのですから」
私は頷いた。
「では、献立をご覧になって、嫌いなお料理だけを外そうとなさらないでくださいね」
「そのように信用されていたとは」
「菜園では、食べる係とおっしゃいました」
彼が笑って、椅子を私の隣へ寄せた。
少し肩が触れた。
私は今度こそ、その肩へ自然に身体を預けた。
翌朝、アデラ様から短い手紙が届いた。
昨夜の晩餐はよい席だった、客人の一人から早速礼を言われたと書かれている。
私は嬉しくなって、朝食の席でエドガー様に見せた。
「よかった」
彼は手紙を読み、私へ返した。
「今度は私を、打ち合わせから頼ってください」
「はい」
そう答えてから、私は少し考えた。
「次は、若草色のドレスにいたします」
「昨日の青も、似合っていました」
「でも、わたくしが好きなのは、若草色の方ですから」
彼は頷いた。
「では、私もそちらを楽しみにしています」
次の晩餐でも、きっと名簿を何度も読み返すだろう。それでも、好きなドレスを着て、困ったら隣の彼に話を振ってみようと思えた。
食事を終えて立ち上がると、エドガー様が私の手を取った。
「昨夜は、お疲れさまでした」
私は今度こそ、まっすぐに笑って答えた。
「ありがとうございます。エドガー様も」
彼が私の手の甲へ唇を寄せる。
廊下には使用人がいるし、食堂の扉も開いている。
私が慌てて周りを見ると、彼は少し楽しそうに笑った。
「今のは、軽々しかったでしょうか」
「もう、お仕事を始めるお時間ですわ!」
顔が熱くなった私を置いて、彼は機嫌よく執務室へ向かった。
笑わない侯爵様なんて、一体どなたのことなのだろう。




