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笑わないと噂の侯爵様は、私の前ではよく笑う  作者: 九葉(くずは)


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12/15

第12話 言い直しても、いいですか

 髪を下ろし、楽な室内着に着替えてから、私は居間へ向かった。

 廊下の角を曲がったところで、エドガー様と鉢合わせた。


 彼はカップ二つと薄く切ったパンを載せた盆を持ち、私を見て足を止めた。


「夕食をほとんど召し上がっていなかったので。厨房に頼んできました」


 あんな言い方をしたあとでも、食事のことを気にかけてくださっていた。盆を支える手を見ていたら、謝りたい気持ちがいっそう強くなった。


「ありがとうございます」

「少し、話せますか」

「はい。わたくしも、お話ししたくて」


 二人で居間へ入った。

 先ほどまで客人が座っていた部屋とは違う、普段の小さな居間だった。

 エドガー様が盆を置き、私はその向かいに座る。


 カップから、薄い湯気が上がっていた。

 口をつけると、喉が温まって、やっと言葉が出そうになった。


「先ほどは、申し訳ありませんでした」


 彼が顔を上げる。


「笑っていればいいだなんて、エドガー様はそんなことをおっしゃっていないのに」


 私は膝の上の手へ目を落とした。薬指の指輪を見つめていると、あなたと暮らしたいと言ってくださった日のことを思い出した。機嫌の悪い日もあると、そのときから話していたのに。


「今日は、ただ、褒めていただきたかったのです。よくできたと、言っていただきたくて」

「そうでしたね。すぐに別の話をしてしまいました」


 私は指輪から目を上げた。


「褒めてくださったのは分かっています。ただ、普段のままでよかったと伺って、頑張ったことが余計だったように聞こえてしまいました」


 彼は黙って聞いていた。

 その沈黙に、急いで言葉を足す必要はなかった。


「私の言い方が、よくありませんでした」


 エドガー様は少し身体を前へ傾けた。


「準備してくれたことは、ありがたかった。ご夫人が楽に座れるようにしたことも、食事の好みを確かめてくれたことも、助かりました」


 足を痛めたご夫人が、安心した顔で椅子に腰を下ろしたのを思い出した。あのとき、彼も見ていてくださったのだ。涙が出そうになって、私はカップを置いた。


「それとは別に、私にもずいぶんよそよそしかったので、寂しくなってしまったのです」


 意外で、顔を上げた。


「寂しかったのですか」

「ええ。あの劇の話なら、いつものあなたが笑ってくれるかと思った」


 彼は困ったように眉を寄せた。


「今考えると、自分勝手でした。あなたは客人を迎えている最中だったのに」


 そんな気持ちまであったとは思わなかった。彼は私の笑顔が見たくて、あの劇の話を持ち出したのだ。

 嬉しくて口元が緩んだけれど、今日の緊張までなかったことにはできなかった。


「わたくしも笑いたかったです。けれど、皆様に失礼がないか気になって、それどころではなくて」

「そうでしたか」

「侯爵夫人があんなふうに笑ったら、軽々しく見えるのではないかと思ったのです」


 芝居の話をしたときも、私が覚えていたのはエドガー様と笑い合ったことだった。それを口にする勇気がなくて、舞台装置の話へ逃げてしまった。


「あなたが笑ったくらいで、ヴァレン家は傾きません」


 私は彼を見た。

 エドガー様は真面目な顔をしていた。


「それに、私もあの場面では笑いました。軽々しいなら、二人ともです」


 堪えきれずに笑うと、彼もようやく笑った。


「では、次はお話を引き受けてくださいませ。わたくしも温かいうちにお料理をいただきたいです」

「ええ。今夜も、もっと早くそうすればよかった」


 食事中に彼へ頼めばよかったのだ。私ばかりで頑張っていたことが恥ずかしくなったけれど、もう一つだけ伝えておきたかった。


「笑わない日にも、こうしてお話ししてくださいね」


 彼が静かに頷いた。


「もちろんです」


 私は頷いて、ようやくパンに手を伸ばした。言い直すためにここへ来てよかった。向かいの彼もカップを持ち上げ、ゆっくりお茶を飲んだ。


 一口食べたら、急に空腹が戻ってきた。

 エドガー様が、私の皿へもう一切れ載せる。


「次の晩餐は、私も準備の打ち合わせに加わります」

「お忙しいのでは」

「全部は難しくても、席順と話題くらいは。私の知人も来るのですから」


 私は頷いた。


「では、献立をご覧になって、嫌いなお料理だけを外そうとなさらないでくださいね」

「そのように信用されていたとは」

「菜園では、食べる係とおっしゃいました」


 彼が笑って、椅子を私の隣へ寄せた。

 少し肩が触れた。

 私は今度こそ、その肩へ自然に身体を預けた。



 翌朝、アデラ様から短い手紙が届いた。

 昨夜の晩餐はよい席だった、客人の一人から早速礼を言われたと書かれている。


 私は嬉しくなって、朝食の席でエドガー様に見せた。


「よかった」


 彼は手紙を読み、私へ返した。


「今度は私を、打ち合わせから頼ってください」

「はい」


 そう答えてから、私は少し考えた。


「次は、若草色のドレスにいたします」

「昨日の青も、似合っていました」

「でも、わたくしが好きなのは、若草色の方ですから」


 彼は頷いた。


「では、私もそちらを楽しみにしています」


 次の晩餐でも、きっと名簿を何度も読み返すだろう。それでも、好きなドレスを着て、困ったら隣の彼に話を振ってみようと思えた。


 食事を終えて立ち上がると、エドガー様が私の手を取った。


「昨夜は、お疲れさまでした」


 私は今度こそ、まっすぐに笑って答えた。


「ありがとうございます。エドガー様も」


 彼が私の手の甲へ唇を寄せる。

 廊下には使用人がいるし、食堂の扉も開いている。

 私が慌てて周りを見ると、彼は少し楽しそうに笑った。


「今のは、軽々しかったでしょうか」

「もう、お仕事を始めるお時間ですわ!」


 顔が熱くなった私を置いて、彼は機嫌よく執務室へ向かった。

 笑わない侯爵様なんて、一体どなたのことなのだろう。

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