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笑わないと噂の侯爵様は、私の前ではよく笑う  作者: 九葉(くずは)


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11/15

第11話 侯爵夫人らしく

 晩餐の日が近づくにつれ、私の机の上には、書きつけが増えていった。

 席順や献立をまとめた紙に、来客のご家族の名前や最近のお祝い事を書き留めた紙が重なる。

 エドガー様に尋ねれば、彼は分かることを教えてくれたし、アデラ様も助けてくださった。

 それでも、女主人として自分から声をかける場面を思い浮かべると、確かめておきたいことが次々に出てきた。


 私は何度も名簿を読み返し、当日の衣装を選び直した。

 少し明るすぎるだろうか。もう少し落ち着いた色の方が、侯爵夫人らしいだろうか。


「お好きなのは、こちらではありませんか」


 ミーナが、柔らかな若草色のドレスを示した。


「好きだけれど、今度はもう少し落ち着いた色にするわ」


 結局、私は濃い青のものを選んだ。

 鏡の中では、いつもよりしっかりした人に見えた。

 これなら大丈夫と、自分に言い聞かせた。


 当日、招かれた方々は時間どおりに到着した。

 私はエドガー様と並んで出迎え、挨拶をし、一人ずつ応接室へ案内した。


 足を痛めているご夫人は、座る場所が用意されていることを、とても喜んでくださった。

 その笑顔を見て、少し安心した。


 食事も滞りなく進んだ。

 話が途切れそうになるたび、覚えておいた話題を出す。

 侯爵家の葡萄畑から冬の音楽会、先月王都へ戻った親戚の話へと移っていく。


 ご家族の名前も取り違えていないし、話題も喜んでいただけている。そう一つずつ確かめながら笑っていると、隣からエドガー様の視線を感じた。


「リディア、少し召し上がった方が」


 小声で言われ、私は皿を見た。

 ほとんど手をつけていなかった。


「はい。大丈夫です」


 笑って返すと、彼は何か言いたそうにして、それから客人の話へ戻った。


 食後、客人の一人が古い劇場の話をした。

 ちょうど、私たちが喜劇を見た場所だった。


「春にかかっていた喜劇は、随分と評判がよかったそうですね」


 私が頷くと、エドガー様がこちらを見た。


「椅子の場面を、覚えていますか」


 床へ座り込んだあの主人を思い出した途端、笑いそうになった。

 でも、全員がこちらを見ていたので、私は口元を整えた。


「ええ。大変よくできたお芝居でした」


 エドガー様の表情が、ほんの少し変わった。

 何か間違えただろうか。

 私は続けて、衣装や舞台装置の話をした。


 客人も衣装の話に加わってくださり、会話は途切れずに続いた。エドガー様も相槌を打っていたので、私はうまくいったのだと思った。



 最後の馬車を見送り、屋敷へ戻ったときには、足が重かった。

 それでも、失礼なく終えられたことが嬉しかった。


「皆様、楽しんでくださったでしょうか」


 隣を歩くエドガー様に尋ねると、彼は頷いた。


「ええ。料理も、席の用意も、よかった。ありがとう」


 私にもできたのだと、ほっとした。お礼を言おうとしたところで、彼が続けた。


「ただ、少し頑張りすぎたのではありませんか」


 胸に残っていた喜びが、そこで止まった。


「初めてでしたから」

「分かっています。ですが、普段のあなたでよかったのに」


 普段の私でよいと言ってもらえるのは、本当なら嬉しいことのはずだった。

 でも、何日も考えて、練習して、ようやく終えた今は、素直に受け取れなかった。


「普段のわたくしでは、おもてなしはできませんわ」

「そういう意味では」

「お名前も話題も、覚えなければ分かりません。わたくしには、エドガー様のような長いお付き合いがあるわけではありませんもの」


 声が少し硬くなった。

 彼も、それに気づいた。


「準備のことを言っているのではありません。あなたが、ずっと緊張していたから」

「緊張くらい、いたします」


 言い返すほどのことではないと分かっているのに、声が尖ってしまう。今夜はようやく肩の荷を下ろせたところだった。あと少しだけ、うまくできたと喜んでいたかった。


「劇の話をしたときも、あなたは笑わなかった」


 そのひと言が、疲れた頭の中で、変な方へ転がった。


「では、何も考えずに笑っていればよろしかったのですか!」


 言った瞬間、彼の顔が強張った。

 こんな言い方をしたかったのではないのに、強い声が廊下に響いてしまった。


「そんなことを、言ったつもりはありません」


 静かな声だった。

 その静かさが、かえって胸に痛かった。


 エドガー様が、ただ笑っていろとおっしゃる方でないことくらい、分かっている。でも、うまく言い直せなかった。


「少し休ませてください」


 私はそう言って、自分の部屋へ戻った。

 彼は止めなかった。


 扉を閉めたあと、ようやく息が乱れた。

 今日一日、我慢していたものが、一度に出てきた気がした。


 ミーナが入ってきて、髪の飾りを外してくれた。

 何も聞かれないのが、ありがたかった。


「お疲れさまでした、奥様」


 そのひと言に、涙が出そうになった。


「私、嫌な言い方をしたわ」


 ミーナの手が止まる。


「旦那様に?」

「ええ」


 彼女は少し考えてから、髪を梳き始めた。


「お伝えになるのなら、髪を下ろしてからの方が、少し楽にお話しできると思います」


 鏡の中の私はいかにも立派な侯爵夫人という顔をしていた。

 今は、それがひどく窮屈だった。


 私は頷いて、耳飾りを外した。明日の朝まで、このままでいるのは嫌だった。怒ったままだと思われる前に、こちらから話しに行こう。

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