第11話 侯爵夫人らしく
晩餐の日が近づくにつれ、私の机の上には、書きつけが増えていった。
席順や献立をまとめた紙に、来客のご家族の名前や最近のお祝い事を書き留めた紙が重なる。
エドガー様に尋ねれば、彼は分かることを教えてくれたし、アデラ様も助けてくださった。
それでも、女主人として自分から声をかける場面を思い浮かべると、確かめておきたいことが次々に出てきた。
私は何度も名簿を読み返し、当日の衣装を選び直した。
少し明るすぎるだろうか。もう少し落ち着いた色の方が、侯爵夫人らしいだろうか。
「お好きなのは、こちらではありませんか」
ミーナが、柔らかな若草色のドレスを示した。
「好きだけれど、今度はもう少し落ち着いた色にするわ」
結局、私は濃い青のものを選んだ。
鏡の中では、いつもよりしっかりした人に見えた。
これなら大丈夫と、自分に言い聞かせた。
当日、招かれた方々は時間どおりに到着した。
私はエドガー様と並んで出迎え、挨拶をし、一人ずつ応接室へ案内した。
足を痛めているご夫人は、座る場所が用意されていることを、とても喜んでくださった。
その笑顔を見て、少し安心した。
食事も滞りなく進んだ。
話が途切れそうになるたび、覚えておいた話題を出す。
侯爵家の葡萄畑から冬の音楽会、先月王都へ戻った親戚の話へと移っていく。
ご家族の名前も取り違えていないし、話題も喜んでいただけている。そう一つずつ確かめながら笑っていると、隣からエドガー様の視線を感じた。
「リディア、少し召し上がった方が」
小声で言われ、私は皿を見た。
ほとんど手をつけていなかった。
「はい。大丈夫です」
笑って返すと、彼は何か言いたそうにして、それから客人の話へ戻った。
食後、客人の一人が古い劇場の話をした。
ちょうど、私たちが喜劇を見た場所だった。
「春にかかっていた喜劇は、随分と評判がよかったそうですね」
私が頷くと、エドガー様がこちらを見た。
「椅子の場面を、覚えていますか」
床へ座り込んだあの主人を思い出した途端、笑いそうになった。
でも、全員がこちらを見ていたので、私は口元を整えた。
「ええ。大変よくできたお芝居でした」
エドガー様の表情が、ほんの少し変わった。
何か間違えただろうか。
私は続けて、衣装や舞台装置の話をした。
客人も衣装の話に加わってくださり、会話は途切れずに続いた。エドガー様も相槌を打っていたので、私はうまくいったのだと思った。
最後の馬車を見送り、屋敷へ戻ったときには、足が重かった。
それでも、失礼なく終えられたことが嬉しかった。
「皆様、楽しんでくださったでしょうか」
隣を歩くエドガー様に尋ねると、彼は頷いた。
「ええ。料理も、席の用意も、よかった。ありがとう」
私にもできたのだと、ほっとした。お礼を言おうとしたところで、彼が続けた。
「ただ、少し頑張りすぎたのではありませんか」
胸に残っていた喜びが、そこで止まった。
「初めてでしたから」
「分かっています。ですが、普段のあなたでよかったのに」
普段の私でよいと言ってもらえるのは、本当なら嬉しいことのはずだった。
でも、何日も考えて、練習して、ようやく終えた今は、素直に受け取れなかった。
「普段のわたくしでは、おもてなしはできませんわ」
「そういう意味では」
「お名前も話題も、覚えなければ分かりません。わたくしには、エドガー様のような長いお付き合いがあるわけではありませんもの」
声が少し硬くなった。
彼も、それに気づいた。
「準備のことを言っているのではありません。あなたが、ずっと緊張していたから」
「緊張くらい、いたします」
言い返すほどのことではないと分かっているのに、声が尖ってしまう。今夜はようやく肩の荷を下ろせたところだった。あと少しだけ、うまくできたと喜んでいたかった。
「劇の話をしたときも、あなたは笑わなかった」
そのひと言が、疲れた頭の中で、変な方へ転がった。
「では、何も考えずに笑っていればよろしかったのですか!」
言った瞬間、彼の顔が強張った。
こんな言い方をしたかったのではないのに、強い声が廊下に響いてしまった。
「そんなことを、言ったつもりはありません」
静かな声だった。
その静かさが、かえって胸に痛かった。
エドガー様が、ただ笑っていろとおっしゃる方でないことくらい、分かっている。でも、うまく言い直せなかった。
「少し休ませてください」
私はそう言って、自分の部屋へ戻った。
彼は止めなかった。
扉を閉めたあと、ようやく息が乱れた。
今日一日、我慢していたものが、一度に出てきた気がした。
ミーナが入ってきて、髪の飾りを外してくれた。
何も聞かれないのが、ありがたかった。
「お疲れさまでした、奥様」
そのひと言に、涙が出そうになった。
「私、嫌な言い方をしたわ」
ミーナの手が止まる。
「旦那様に?」
「ええ」
彼女は少し考えてから、髪を梳き始めた。
「お伝えになるのなら、髪を下ろしてからの方が、少し楽にお話しできると思います」
鏡の中の私はいかにも立派な侯爵夫人という顔をしていた。
今は、それがひどく窮屈だった。
私は頷いて、耳飾りを外した。明日の朝まで、このままでいるのは嫌だった。怒ったままだと思われる前に、こちらから話しに行こう。




