第六章
「おばさん! ぶつかってきたのは、そのガキだろうが! あー、足痛ぇわ。右足、捻挫したわ。これは慰謝料だな。ほら、さっさと金出せよ」
「ぶつかったことは謝ります。ですが、ぶつかっただけで慰謝料なんて……」
「あぁ? 俺が痛いって言ってんだから、痛ぇの。分かる? おばさん、顔だけじゃなくて頭も悪いのかなぁ? いいから早く金出せよ、ばばあ」
見ると、二人の男が、女と子どもに向かって怒鳴っている。
何か問題が起きたのだろうか。
私は、ひとまず彼らに話しかけてみることにした。
「どこか怪我をしたのですか? その割には、お元気そうに見えますが」
「あぁ? 何だよ、お前。関係ねぇ奴は出てくんなよ。痛い目見たくなけりゃ、引っ込んでろ……って、何だよ、その格好! 何のコスプレだよ! ギャハハ、ウケる!」
「うぇ、おお! 俺知ってる! これ、あれだ。自分のことを『マロ』とか言う……あれ……おじゃる丸! でっけぇおじゃる丸だ! ギャハハハ!」
何やら、二人の男は私を見て楽しそうに笑っている。
随分と品のない顔ではあるが、これほど元気に笑えるのなら、怪我とやらも大したことはないのだろう。
「女、そして子よ。この者たちの怪我は、大したことがなさそうだ。よかったな。ここは人が多いから、これからは気をつけて歩くとよい。もっとも、私もただいま練習中だが」
私が女と子どもにそう告げると、男たちの笑い声がぴたりと止んだ。
二人とも、こちらを睨んでいる。
「おい。勝手に何言ってんだ、お前。俺は足を捻挫して、歩くたびに激痛が走ってんの。そのガキにぶつかられたせいでな。だから慰謝料をよこせって言ってんだよ!」
「慰謝料だそうだ、女。ところで、慰謝料とは何だ?」
先ほどから男たちを睨みつけている女へ、振り返って尋ねてみた。
だが、女は答えられるような状態ではないらしい。子どもを背に庇ったまま、男たちを睨んでいる。
「ですから、謝ったじゃないですか。子どもがぶつかったのは事実です。でも、あなたたちがわざと、この子の方へぶつかってきたんでしょう!」
「何だと! クソばばあ、黙って金をよこせよ。あんまりふざけたこと言ってると、間違って痛い目に遭わせちゃうかもしれないよ? あくまで、間違ってだけどな」
見ると、女も子どもも震えていた。男たちに怯えているらしい。
「女、そして後ろの子どもよ。もう心配はいらない。ひとまず私が、この者たちの話を聞こう」
「お前、さっきから何なんだよ! うぜぇな! 訳分かんねぇことばっかり言ってないで、さっさとどっか行けよ! ぶん殴んぞ!」
「ぶんなぐんぞ? 『ぶんなぐんぞ』とは何だろうか?」
私は真面目に尋ねているだけなのだが、この男は、なぜかますます怒っているようだった。
怪我をしたという足も、苛立ちに任せて何度も地面を蹴っている。どう見ても元気そうだ。
魂に若干の氣枯れは見えるものの、魔が入り込んでいる様子はない。
「なぜ怒っているのか分からないが、その足は怪我をしているようには見えない。女も、お前に謝罪したのであろう? ならば、もうよいではないか」
私は女と子どもへ向き直った。
「女、子ども。もう帰ってよいぞ」
その時、女が叫んだ。
「危ない!」
ガッ――!
振り返ると、男の一人が棒のようなものを握っていた。
その先端は、私の右腕の、ちょうど肘の辺りにめり込んでいる。
だが、腕を押さえて叫び声を上げたのは、棒を振り下ろした男の方だった。
「うがぁぁああ! ひぃぃぃ!」
カラン、カラーン――。
棒が地面に転がった。
目の前では、男が右腕をあらぬ方向へ曲げ、地面をのたうち回っている。
ああ、なるほど。
どうやら私は、ぶんなぐられたらしい。
「『ぶんなぐんぞ』とは、攻撃するという意味か……なるほど。先にそう言えば、止めたものを……」
私は、のたうち回る男の前にしゃがみ込んだ。
「私への攻撃は、やめておいた方がよい。何の効果も得られぬどころか、その痛手はすべて、お前自身が負うことになる」
「ふざけんな! お前、こいつに何しやがった!」
「ふざけてなどいない。私をどうにかしようとは思わぬことだ。すべて自分に返ってしまうぞ」
「あぁ!? ふざけんなよ! ぶっ殺す!」
もう一人の男が、衣服の隙間からきらりと光るものを取り出した。
どうやら、小刀らしい。
これは困った。大事になってしまう。
男は逆上し、今にも飛びかかってきそうだ。女も刃物を見て、顔を引きつらせている。
はて、どう収めたものか。
そう考えていると、煌びやかな通りの方から声が聞こえてきた。
「わりぃ、わりぃ! うずめちゃんだと思ったら、違ったわぁ。すっげぇ似てると思ったんだけどよぉ……って、あれ? 月読さん? 何してんの?」
身の丈が私の倍ほどもある猿田彦が、こちらへ歩いてくる。
もともと大きな身体が、近づくにつれてますます巨大に見えた。
「猿田彦、ちょうどよいところに。この男に説明してやってくれ。この者は私を殺すと言うのだが、私を殺そうとすれば、この男自身が死んでしまう。私が説明しても、分からないようなのだ」
猿田彦は、足元で右腕を押さえて呻いている男と、目の前で小刀を構える男を交互に見た。
「ちょっといねぇ間に、面倒くせぇことになってんじゃねぇか……」
深い溜め息をつき、小刀を持った男へ向き直る。
「おい、お前。まあ、落ち着いて聞いてくれ。こいつが言ってるのはな、因果応報の短縮版だ。な? 分かるだろ?」
「分かんねぇよ! 誰だよ、てめぇ! いきなり出てきて、うるせぇんだよ!」
猿田彦は、わざとらしく溜め息をついた。
心底、面倒くさいらしい。
「お前がいいことをすりゃ、後でいいことが起きる。逆に、悪いことをすりゃ、後で悪いことが起きる。親に教えてもらわなかったか? 例えば――」
「うるせぇぇえ! ぶっ殺してやる!」
猿田彦が話し終えるより先に、小刀を握った男が突進した。
猿田彦は右の掌を差し出し、その切っ先を真正面から受け止めた。
その瞬間、血飛沫が上がる。
しかし、右手を押さえて呻いたのは、小刀を突き出した男の方だった。
「うわぁぁあ! 痛ぇぇえ!」
右の掌から血を流し、男がその場に蹲る。
猿田彦は、自分の右の掌に突き刺さった小刀を、左手の指で摘まんで引き抜いた。
当然ながら、その掌には傷一つ残っていない。
「お前、相手の話は最後まで聞けって、親から教わらなかったのか?」
そう言いながら猿田彦が男の前にしゃがみ込むと、男は「ひぃっ」と声を上げて後退った。
傍から見れば、こちらが悪者に見えなくもない。
煌びやかな通りには、いつの間にか人だかりができていた。
皆、例の四角いものをこちらへ向けているが、誰一人として近づいてこようとはしない。
やがて、人だかりを掻き分けるようにして、二人の男が現れた。
二人とも、濃い青色の同じ衣服を身につけている。
それを見た女の背後で、子どもが声を上げた。
「あ、おまわりさん来た」
(この女と子どもの知り合いが来たのか。して、どちらが『おまわりさん』という者なのだろう? まあ、何にせよ、これで一安心だ)
そう思ったのも束の間だった。
おまわりさんという者たちは「詳しい話を聞かせてください」と言い、私と猿田彦を連れていった。
そして私たちは、上半分が白く、下半分が黒い箱へ乗せられた。箱の上では赤い灯りが点滅し、けたたましい音を鳴らしている。
その騒々しい箱に運ばれ、私と猿田彦は、大きな城の中へと連れていかれた。




