第五章
「まっ、俺のしみったれた話は、ひとまず置いといて……月読さんをどこへ案内するか、なんだけどよ」
猿田彦は鼻を啜ると、ここからが本題だとばかりに真剣な顔をした。
「しみったれてなどいませんよ。私も天宇受売さんがどのような方かは知りませんが、見つけた時には、あなたに一報入れますから」
「知らなきゃ、見つけようがねぇだろうが……。まあ、いいさ。そん時はよろしく頼むわ」
猿田彦は照れ隠しでもするように、頭を掻いた。
「でな。あんたの行き先は、やっぱり東京ってところがいいと思うんだよ」
「とうきょう?」
「ああ。この国を統べる者がいる……らしい。俺も、そこんところはよく分からねぇけどよ。とにかく人間が大勢いるから、そこへ連れていってやる」
猿田彦はそう言うと、再びバイクをブンッと唸らせ、上空へ舞い上がった。
私は振り落とされぬよう、猿田彦の巨大な背中にしがみつく。
眼下へ目を向けると、大きさの違う二つの岩が海から顔を出し、遠ざかっていく私たちを見上げているように思えた。
猿田彦は振り返らなかった。
ただ前だけを見つめ、何かを振り切ろうとするかのように、乱暴にバイクを走らせている。
「……逢えるとよいですね」
私がそう呟くのと、猿田彦が地上を指さすのは、ほとんど同時だった。
「見ろ。あっこらへんが、東京ってところらしい。恐ろしいくらい明るいだろう? あっこらへんは、夜でも昼間みてぇに明るいんだ。人も大勢いる」
「すごいですね。目が潰れてしまいそうなほど眩い。あれほど明るいということは、人々は宴でもしているのか?」
「ふははっ。宴なんかじゃねぇよ。あれが、いつものことなんだ」
「いつも?」
「あれは火じゃなくて、電気ってものでな。夜でも昼間みてぇに、辺りを明るく照らすんだ。天照大神が眠っている間にも、人は光を手に入れた。良くも悪くもな……」
「そうか。あれは、人が手に入れた力なのか。すごいな……」
人は、夜の闇を明るく照らす力を手に入れていた。
私がこれまで目にしてきた華やかな街は、神の力で作られたものではない。人々が自ら手に入れた力を用い、作り上げたものだったのだ。
私は、そのことを初めて知った。
眼下に広がる景色を前に言葉を失っていると、猿田彦が言った。
「いきなり、あの光り輝く街のど真ん中へ月読さんを下ろしてやってもいいんだがよ。ちょいと確かめたいこともある。少し端になるが、一度そこへ降りてみよう」
光り輝く地の中心から、少し離れた場所へ降り立った。
すると猿田彦が、辺りを見回しながら言った。
「見ろ。ここは東京の端にある町だ。ここにも人は大勢いるが、中央ほどじゃねぇ。月読さん、あんたには何が見える?」
私たちが降り立ったのは、宙に浮かぶ橋の上だった。
周囲には、山のように大きな城がそびえ立っている。よく見ると、一つの城ではない。見渡すかぎり、四方にいくつもの城が並び立っていた。
方角までは分からないが、城と城の間から、一筋の大きな道が真っ直ぐ延びている。その道に沿って、さらに多くの城が続いていた。
どの城も様々な光を放ち、目が眩むほど明るい。
大きな道には、白い光を灯した箱と赤い光を灯した箱が、二手に分かれて列を成していた。
「はぁ……素晴らしいな。どこもかしこも、光り輝いている」
「感動してるところ悪いんだけどよ。人は? 人間は見えてるか? 今、この橋の上にも、下にも、大勢歩いてるんだけどな」
「えっ?」
私の目には、白や赤の灯りを放つ箱も、色とりどりに輝く城も、確かに見えている。
だが、人間の姿は一人として見当たらなかった。
「人は……私たちと同じような姿をしていると聞いたが……どこにも……」
「やっぱりなぁ。そんな気がしてたんだよ」
猿田彦は、大きな溜め息をついた。
「月読さんよ。あんた、何か目的があって現世へ来たんだよな?」
「はい」
「その目的ってのは、人間が見えなくても果たせるものか?」
「……いいえ」
現世で生きる人間の暮らしを見なければ、生まれ変わりを拒む魂が増えている原因など、突き止められるはずもない。
まさか、私には現世の人間が見えないとは。
「ちっ、仕方ねぇな。ちょいと目を閉じな。見えるようにしてやるから」
猿田彦は忌々しそうに舌打ちしたものの、人間が見えるようにしてくれるらしい。
私はその言葉に安堵し、両の目を閉じた。
猿田彦の手が、私の右目に優しく当てられた。
それから、ほんの数秒。
「もういい。目を開けてみな」
両目を開いた途端、目の前に人の姿が飛び込んできた。
その数、数十人。
皆、なぜか私をじろじろと見ている。
これほど見られる理由が分からず猿田彦へ目を向けると、彼は手で左目を隠したり、右目を隠したりして遊んでいた。
「猿田彦、何をして遊んでいるんだ? それに、なぜ皆、私をじろじろと見ている?」
「ん? ああ。月読さん、さっきから人間にずっと見られてたよ。珍しいんだろ、神が」
「そうなのか?」
「それより、あんたには人間が、こんなふうに見えてたんだな。これが、黄泉に住まう者の力か」
「ん? どういうことだ?」
「誰でもいい。そこを歩いている人間を見ながら、右目を手で塞いでみろ」
猿田彦に言われたとおり、一人の人間を見ながら右目を手で塞いだ。
すると、それまで歩いていたはずの人間の姿が消えた。
代わりに、黄泉でもよく見た光の玉――いわゆる魂が、ふよふよと私の前を横切っていく。
右目を覆っていた手を退けると、再び人間の姿が現れた。
その腹の辺りには、身体を透かすように魂が浮かんでいる。
「これは……」
「人間と話したいのに、人間が見えないんじゃ話にならないだろ? だから、俺の右目と月読さんの右目を交換してやったの」
「目を……交換?」
「俺も、うずめちゃんを捜してるからな。両目ともやるってわけにはいかねぇ。片目だけだ」
「わぁ……わぁ! 猿田彦は、見た目は厳ついのに、心根は優しいんだね。ありがとう。感謝するよ。これで人間と話せるかな?」
「知らねぇよ。現世の神で、人間と話したいなんて物好き、俺の周りにはいねぇもん」
「あ、冷たい言い方ですね」
猿田彦の素っ気ない返事に少しばかり腹を立てながら、私は辺りを見回した。
「それより、我々が歩いていると、すれ違う人々がこちらをじろじろ見て、手に持った四角いものを向けてくるのですが。あれは何でしょう?」
「知らね……」
ぶっきらぼうに答えかけた猿田彦が、ふいに言葉を止めた。
「あ――」
その目が、私の背後にある何かを捉える。
次の瞬間、猿田彦は勢いよく走り出した。
「猿田彦?」
置いていかれまいと、私も必死に後を追った。
だが、私の倍ほどもある体躯の猿田彦は、見た目に似合わず恐ろしく足が速い。追いつくことなどできぬまま、その大きな背中を見失ってしまった。
「ああ、あの体格で、足まで速いとは。彼は武闘派なのですね」
感心している場合ではない。
「困りました。私はこれから、どこへ向かえばよいのでしょうか」
人々を避けながら、猿田彦が駆けていったと思われる方向へ足を進めた。
先ほど橋の上から見た、白や赤の灯りを灯す箱の中にも、人間が乗っていることが分かった。
相変わらず、人々は私をじろじろと見ては、手にした四角いものをこちらへ向けてくる。
しかし、誰一人として話しかけてはこなかった。
(困ったな……)
「やめてください!」
ふいに、そんな声が聞こえた。
声のした方へ目を向ける。
灯りの少ない横道。その薄暗い奥から、数人の人間の声が聞こえてきた。
いや、話し声というより――怒鳴り声だ。
私は、声のする方へ足を向けた。




