第三十九章
氷川神社の岩山で、緊急の神議りが開かれた。
集まった神々を前に、素戔嗚は高天原で起きたことを話した。
天照大神に成り代わっていたイザナミのこと。
国を生み直すため、天と地を黄泉へ沈めようとしていたこと。
そして、黄泉を統べる月読が、それを認めなかったこと。
「この国は、沈まねぇ」
素戔嗚が告げると、部屋のあちこちで声が上がった。
安堵する者もいれば、黙って俯く者もいた。
素戔嗚は、その顔を一柱ずつ見た。
「だが、人間に愛想が尽きたお前たちに、無理やりここへ残れとは言わねぇ。地を離れ、高天原へ行く。それも一つの選び方だ」
神々は互いの顔を見た。
やがて、一柱が立ち上がった。それに続く者もいた。
素戔嗚は引き止めなかった。
「天照には、俺から話を通しておく」
地を離れると決めた神々は、一礼して部屋を出ていった。
その背を見送ったあと、素戔嗚は残った神々へ向き直った。
「ここに残るからといって、人間を好きになれとは言わねぇ。俺だって、まだ好きにはなれない奴がいる」
幾柱かが顔を上げた。
「神のすることは、すべてが是だ。だが、何をしたところで、あとに何も残らねぇわけじゃない」
素戔嗚は一度言葉を切った。
「己のしたことで、誰かを失うこともある。その時に残る思いまで、是の一言で消せるわけじゃねぇ。それだけは、覚えておいてくれ」
神々は黙って聞いていた。
素戔嗚も、それ以上は言わなかった。
神議りが終わり、部屋の外へ出ると、境内には柔らかな光が差していた。
素戔嗚は石段を下りかけて、銀杏の幼木へ目を留めた。
まだ細い幹に、小さな葉が幾枚もついている。
そのそばまで歩き、腰を屈めた。
「爺さん」
幼木は静かに立っていた。
「あの、しょっぴんぐもーるとかいうところの姉ちゃんが、あんたに礼を言ってたぞ」
素戔嗚は葉の一枚へ指を寄せた。
「ありがとうございます、ってさ」
少し笑って、念を押す。
「ちゃんと伝えたからな!」
風は吹いていなかった。
それでも幼木は葉を揺らし、心地よさそうに細い枝を動かした。
「おう。元気に育てよ」
素戔嗚が立ち上がると、境内へ参拝客が入ってきた。
母親と、その隣を歩く子どもだった。
素戔嗚は二人を見て、口元を緩めた。
母子が拝殿の前へ来るより先に、賽銭箱の裏へ回り込む。
硬貨の落ちる音がした。
続いて、がらんがらんと鈴が鳴った。
母子は二度頭を下げ、手を打ち、静かに祈りを捧げた。
素戔嗚は声色を変え、賽銭箱の裏から告げた。
「次に来る時は、ぷりんを所望す~」
一瞬、辺りが静かになった。
すぐに小さな足音が近づいてきた。
子どもが賽銭箱の裏を覗き込み、声を上げる。
「素戔嗚!!」
素戔嗚はしゃがんだまま、顔をしかめた。
「佑~。見つけんの早すぎだわ」
「何してんの、そんなところで!」
「神様っぽくしてたんだよ」
佑は笑った。
少し離れたところで、神田が驚いたまま固まっていた。
素戔嗚は賽銭箱の裏から立ち上がり、片手を上げた。
「おう。久しぶり」
「……素戔嗚さん」
神田はその姿を確かめるように見つめた。
やがて、ゆっくりと顔がほころぶ。
「ここに、いらしたんですね」
「ここは俺のところだろうが」
佑が素戔嗚の袖を引いた。
「素戔嗚、プリン食べたいの?」
「ちげ~わ。なんか、あいつが食べたがってる気がしただけだ」
「月読さん?」
素戔嗚は答えず、少しだけ空を見上げた。
それから佑へ目を戻す。
「まあ、持ってきたら俺が預かってやるよ」
「素戔嗚が食べちゃうんじゃないの?」
「お前、神様を疑うのかよ」
佑の笑い声が境内に響いた。
神田も、その隣で笑っていた。
銀杏の幼木が、小さな葉を揺らした。
今日も、この境内は清々しい氣で満たされている。




