↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょ、月読命さん。スウェット上下で何してますの?  作者: もちむぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/40

第三十六章

「存外、早く見破ったのう」


 イザナミは笑った。


 月読は座敷を見つめたまま、動かなかった。


 隣の素戔嗚が月読の顔を見て、それから座敷へ向き直る。その目が大きく開いた。


「……お前が、なぜここに」


 イザナミは袖を口元へ寄せた。


「少し下がれ。お前の氣は、どうにも障る」


 素戔嗚は眉を寄せたが、半歩退いた。


 月読が母を見上げる。


「なぜ、あなたが高天原においでなのです」


「修理固成」


 返ってきたのは、そのひと言だけだった。


 月読はしばらく黙っていた。


 かつて父と母が命じられた、国生み。


「……すべてを流し、新たに国を生むおつもりか」


「そうだ」


 イザナミは静かに頷いた。


「新たな国には、穢れを祓った魂だけを置く。氣が枯れることもなく、常に良き氣に満ちた国となろう」


「待て。その前に、天照はどこだ」


 素戔嗚が口を挟んだ。


「岩戸の内におる」


「なぜだ」


「自ら入ったのだ。私が押し込めたわけではない」


 素戔嗚は口を引き結んだ。


「俺は、天照に会うことさえできずに追い返された。その俺が暴れ、織物をしていた側仕えを死なせたからだと聞いた。どういうことだ」


「そのように伝わっておるのう」


「俺は、その側仕えの顔さえ知らねぇ」


 イザナミは素戔嗚を見ていた。


 やがて、その顔から目を逸らす。


「天照は、お前と戦うつもりであった。だが、そうなれば天と地の戦となる。争わずとも、他の神々にお前を追放させれば済むことよ」


「それと、岩戸に入ることに何の関係がある」


「天照が隠れれば、世界は闇に閉ざされる。光を取り戻したくば、素戔嗚を高天原から追放するほかない。久延毘古がそう神々に進言した」


 素戔嗚の口が、わずかに開いた。


「……久延毘古が?」


「知識の神の言葉だ。天照は是として、自ら岩戸を閉めた」


「俺が何をしたか、確かめもせずにか」


 答えはなかった。


 素戔嗚は拳を握った。座敷へ踏み出しかけた足を止め、イザナミを睨みつける。


 月読はその横顔を見てから、母へ向き直った。


「天照を退け、あなたがここに座るための策だったのですね」


「力ずくで退けたわけではない」


「側仕えが死んだという話を、誰が天照に伝えたのです」


 イザナミは口元を緩めた。


「久延毘古は、よう働いてくれた」


 素戔嗚が低く息を吐いた。


 月読は母を見つめたまま、問いを重ねた。


「いつから、国を生み直すことを考えておいでだったのです」


「長い時を掛けたことよ。あの男に背を向けられてから、考える時だけは十分にあった」


 月読は眉を寄せた。


 人々が八百万の神を敬い、祀っていた頃から、母はこの計画を進めていた。


 昨今の人間の愚行を見て、思い立ったのではない。


「イザナギが憎いから、国まで流すのか」


 素戔嗚の声に、イザナミの目が細くなった。


「お前には分からぬ」


「分からねぇよ。だが、父が憎いからと、俺の息子が治めた地まで流されてたまるか」


 イザナミは素戔嗚から視線を外した。


「月読。お前も現世を見てきたのであろう」


「ええ」


「ならば分かるはずだ。人間は奪い、傷つけ、穢れを生み続けておる。もはや、あの国はすべてを流すことでしか救えぬ」


「そのために、現世へ干渉してきたのですか」


 月読が問うと、母は事もなげに答えた。


「多少、手を加えたにすぎぬ。穢れを生んだのは人間だ。私は奪えとも、殺せとも命じておらぬ」


「それはそうだ」


 素戔嗚が頷いた。


「あいつらが愚かだったことは、俺がよく知ってる。自分で金を欲しがり、自分で人を傷つけた。それを、お前のせいにする気はねぇ」


 イザナミが素戔嗚を見た。


「だが、その愚かさを、お前がすべてを流す理由に使うな」


「では、どう救う。穢れは絶えず生まれておる」


「それが留まるよう、あなたは手を加えた」


 今度は月読が答えた。


「人の愚かさは、人のものです。ですが、それを利用したあなたの行いまで、人のせいにはできません」


「月読。言葉が過ぎるぞ」


 母に名を呼ばれ、月読は一度口を閉じた。


 黄泉で初めて向き合った時も、母はこの声で自分を呼んだ。


 その時、月読は膝をつき、願いを聞いてほしいと頭を下げた。


 今は、下げることができなかった。


「今、あの地で生きている者たちを、どうなさるおつもりです」


「黄泉へ送る」


 イザナミは答えた。


「穢れを纏った者も、そうでない者も、すべてだ。一度流さねば、新たな国は生めぬ」


 月読の顔が歪んだ。


 神田が佑の傷を手当てする姿が浮かぶ。佑が母親の身体を気遣う声が、耳に蘇った。


 中村も、藤田も、あの地で今を生きている。


「氣枯れに立ち向かい、懸命に生きる者たちもおります。子のため、自身のため、他人のために。彼らまで、流すとおっしゃるのか」


「大義のためには、多少の犠牲は付きものよ」


「……多少だと?」


 月読の声が低くなった。


 イザナミは口調を変えなかった。


「あの国は、私とあの男、二柱で生んだから失敗した。今度は私が生む。あれの手を借りねば、同じことにはならぬ」


 月読は母を見つめた。


「あなたは、また過去を繰り返すのですか」


「何を申す」


「あなたは私を、ヒルコを、失敗した子として海へ流した」


 イザナミの口元から笑みが消えた。


「今度は国生みそのものが失敗だったと、国を流すおつもりか」


「こじつけを申すでない」


「失敗を、なかったことになさるのかと聞いている」


 イザナミは、しばらく子の顔を見ていた。


「神々の行いは、すべてが是。誰にも、それを止める権利はない」


「なら、なぜ姉の姿を使った」


 素戔嗚が言った。


「誰にも止める権利がないというなら、初めからイザナミとして座っていればよかっただろう」


 イザナミは素戔嗚を一瞥した。


 すぐに月読へ視線を戻す。


「話はここまでだ」


 膝の上に置いていた手を動かした。


「用が済んだなら、帰るがよい」


「それでも――」


 月読が言いかけても、母は聞こうとしなかった。


 立ち上がろうとする姿を見て、月読は黙った。


 母は、聞き違えたのではない。


 こちらの言葉を理解できないのでもない。


 聞いたうえで、自分が決めたことを変える必要はないと思っている。


 月読は一歩前へ出た。


「それならば」


 イザナミが顔を向けた。


「私は黄泉の国を統べる者として、黄泉に天と地を呑み込ませることを認めません」


 母の動きが止まった。


「……何を申した」


「あの地を流すために、黄泉を用いることは許さぬと申したのです」


「何の権利があって、そのような戯言を」


「私は、あなたから黄泉を譲り受けた」


 月読は母の目を見た。


「ならば、黄泉の理は私が決める」


 イザナミは口を開きかけた。


 だが、言葉は出なかった。


 月読も、それ以上は何も言わなかった。


 素戔嗚がその隣へ並んだ。


 座敷の淡い光の中で、母と子は互いを見つめていた。


 やがて、座敷の裏から小さな笑い声が漏れた。


 久延毘古が姿を現した。


 その目は、真っ直ぐに月読へ向いていた。


 黄泉へ送り出した時とは違う。母を前にしても退かず、自らの国の理を告げる姿に、久延毘古の頬が思わず緩んだ。


 月読はそちらを見た。


 久延毘古は笑みを残したまま、イザナミの横へ進んだ。


「……イザナミ。これは、わしらの負けじゃな」


 イザナミは振り返らなかった。


「黄泉が天と地を呑まぬとなれば、流した魂は行き場を失う。彷徨った末に骸と化しては、修理固成どころではあるまい」


 久延毘古は月読へ、もう一度目を向けた。


「黄泉を統べる者が、こう決めたのじゃ」


 イザナミはしばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐いた。


「……随分と、偉そうになったものよ」


 月読は答えなかった。


 イザナミは、その顔を眺めた。


「よかろう。そこまで申すなら、しばし様子を見よう」


 素戔嗚が、わずかに肩の力を抜いた。


 イザナミは今度こそ立ち上がり、久延毘古へ目を向けた。


「帰るぞ」


「そうじゃな」


 久延毘古は、まだ嬉しそうに笑っていた。


 二柱が座敷の奥へ向かおうとすると、素戔嗚がすかさず声を掛けた。


「待て。天照は、そのままか」


 イザナミは足を止めた。


 面倒そうに、肩越しに振り返る。


「まだ何かあるのか」


「岩戸を内側から開けさせるには、どうすればいい」


「そんなもの、外から声を掛ければよかろう」


 素戔嗚が眉を寄せると、イザナミは月読を見た。


「ただし、月読がな。天照の陽の氣にあてられるかもしれぬが……」


 その目が素戔嗚へ戻った。


「そこな男が声を掛ければ、ますます出てこぬぞ」


 イザナミは笑った。


 素戔嗚は言い返しかけたが、口を閉じた。


 月読が一度頷く。


「私が呼び掛けます」


「好きにするがよい」


 それだけ言うと、イザナミは二柱に背を向けた。


 久延毘古が月読へ小さく頷き、その後に続く。


 座敷の奥へ進んだ二柱の姿は、淡い光の中へ静かに消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。