第十一章
私は頷き、先ほどまでいた部屋へ戻った。
卓を挟み、神田と向かい合って座る。
「……佑は――」
「あ! あの、すみません!」
神田が、私の言葉を遮った。
「話してもらう前に、ごめんなさい。まず、あなたが何者なのか、はっきりさせてもらってもいいですか?」
「ん?」
「あの……そこをはっきりさせてもらわないと、何を言われても信用できないんです」
「ああ、そうか……。だが、本当のことを話しても、あの城にいた男のように信じないのではないか?」
私は昨夜も、本当のことしか話していない。
それなのに、連れていかれた城の住人にはまるで話が通じず、嘘をつくなと責められたのだ。
「私は昨日、あの事件の一部始終を、目の前で見ていたんですよ」
神田は、慎重に言葉を選びながら続けた。
「あなたが、その……普通の人間ではないことは分かっています。何か、超能力とか、神業みたいな力を持っているんですよね? ただのコスプレではないんですよね?」
また信じてもらえないかもしれない。
そう思いながらも、私は自分の生まれや、黄泉で何をしていたのか、そして現世へ来た理由を、すべて神田に話した。
神田は話の途中で何度も、俄かには信じ難いという顔をした。
それでも、最後まで口を挟まず、私の話を聞いてくれた。
すべてを話し終えても、神田は何も言わなかった。
不安になり、私の方から声をかける。
「……神田?」
「黙って。今、頭の中を整理しているから」
神田はそう言うと、またしばらく考え込んだ。
頭を掻いたり、私を見たり、隣の部屋へ目を向けたり、そしてまた私を見たりする。
一言も発していないというのに、その動きだけが妙に騒がしい。
やがて神田は一つ、大きな溜め息を吐いた。
「月読さん。あなたの素性については、聞きたいことも言いたいことも山ほどあります」
「うん」
「でも今、私が一番気になっているのは、佑のことです。あなたが、佑について何を言おうとしたのか……。でも、それが恐ろしい話なら、聞きたくない。言わないでほしい」
神田は隣の部屋を見つめた。
「私にとって佑は、命に代えても守るべきものだから」
「……分かっている。イザナミも、そうだから」
「イザナミ?」
「母というものは、子のためならば命を投げ出す覚悟を持つものなのだろう?」
「……ほかの人のことは知らない。でも、私はそう。だから、余計なことなら言わないで」
「安心しろ。恐ろしい話ではない。私が佑に何をしたのか、それを話すだけだ。神田も、その方が安心できるだろうと思ったから話すのだ」
「分かった。話して」
「佑は、おそらく昨晩の男たちの瘴気に当てられ、氣が抜けてしまった状態だった。だから私は、自分の氣を佑の中へ流し込み、足りない分を満たした」
神田の表情はまだ固かった。
だが、私の話を聞いて、僅かに安堵したようにも見えた。
「熱、すぐに下がったりしてね。そうだったらいいな。明日は保育園に預けて、仕事へ行けるし」
「話はまだ続くのだが、よいか?」
「あ……うん」
「『七つまでは神のうち』というのは――」
「ちょっと待って。それ、怖い話!?」
「怖いかどうかは、神田次第だ。だが、聞いておいた方がよい。どうやら、こちらでは解釈が少し違うようだから」
「……ふぅ。分かった。話して。嫌な話だったら、信じないようにするから」
「分かった」
私は一度、言葉を選んだ。
「私は黄泉で、生を終えた魂たちと話をすると言ったな。その中には、七つになる前に黄泉へやってくる魂もいる」
神田の表情が、再び強張った。
「その者たちが早くに生を終える理由は、さまざまだ。中には、自らそれを選んで神のもとへ帰ってくる魂もある。だが、佑へ氣を流し込んだ時、その魂から聞こえてきたのは、それとは違う声だった」
「佑の……声?」
「母と共に生きたい、という声だ」
神田は息を呑んだ。
「生きたい。けれど、自分がいることで母が大変なのではないか――そのような声も、共に聞こえてきた」
「え……ちょっと待って。どういうこと?」
「神田は、先ほど言っただろう? 熱が下がれば、誰かに預けて仕事へ行けると」
「それは……」
「佑にも、それが伝わっているのだ。特に氣が弱っている時には、自分を責める思いが強くなる。佑は、いつも母である神田を見ている。見ているからこそ、自分が母の負担になっているのではないかと、幼いながらに気に病んでいる」
「そんな……」
神田の目から、一筋の涙が零れ落ちた。
「私だって、佑と一緒にいたい。でも、離婚して、私が働かないと食べていけないもの。佑に寂しい思いをさせているのは分かってる。申し訳ないとも思ってる。でも、生活するためには仕方がないんです」
「違う。仕事へ行くなと言っているのではない」
私は神田の言葉を遮った。
「佑は賢い。親の事情など、とっくに理解している。ただ、時には母親を独り占めしたいと思う。そばにいてほしいと願う。それが、子どもというものであろう?」
神田は、黙ったまま涙を拭った。
「だが佑は、我が儘を言うことは許されないと、自分で決めつけている。それほどまでに自分を抑え込めば、氣は弱り、やがて身体にも異変が現れる」
「……だったら、私はどうすればいいの?」
「佑が体調を崩した時には、思う存分構ってやれ。そして、佑と一緒にいられることを喜んでやるのだ。七つになる前に、神のもとへ帰ってこぬように」
神田は涙を流しながら頷いた。
しかし、その後で、私を真っ直ぐに見つめた。
「でも……でもね。そうしたくても、できないのが、この世の中なの」
「できない?」
「そう。確かに、この国で子どもを育てるのは、異常なほど難しいのかもしれない。でも私たちは、与えられた環境の中で、どうにかやっていくしかないもの……」
「お母さん? 泣いてるの?」
隣の部屋から、佑が起きてきた。
先ほど布団で眠っていた時よりも、幾分、顔色がよくなっている。
神田は慌てて涙を拭い、笑顔を作った。
「ううん。泣いてない、泣いてない。佑、起きてきて大丈夫?」
「おじさんが、お母さんをいじめたの?」
佑は母親の問いには答えず、私を睨みつけた。
母親を傷つける者は許さない。
幼いながらも、その目ははっきりと、そう訴えている。
この子どもは――。
(これは、これは……)
「やだ、佑。怖い顔して……本当に大丈夫? どれ、熱を測ってみようか」
佑は私から目を離さぬまま、母親の隣へ腰を下ろした。
そして言われるまま、熱を測る。
「さっきより顔色がいいね……あ、熱も下がってる。どこか痛いところはない?」
神田が佑の顔を覗き込んで笑うと、つられるように佑も笑った。
「うん、大丈夫。何だか元気になった。お腹も空いてきた」
「ああ、よかった! 食欲も出てきたのね。おうどんさんなら、すぐにできるけど? 何か食べたいものがあるなら……って、今は出かけられないか」
「僕、プリンが食べたいな。駄目?」
「駄目じゃないよ。駄目じゃないけど、買い置きがないから、買いに行かないと……。でも、佑を一人で置いていくのは心配なの」
「僕、もう元気になったし、このおじさんがいるから平気だよ」
そう言って、佑は私へ笑いかけた。
「ね?」
何に同意を求められているのか分からなかったが、私は佑と同じように首を傾げた。
「ね?」
その様子を見て、神田が言った。
「うーん。やっぱり心配……。あ、そうだ」
神田は何かを思いついたように、私を見た。
「図々しいお願いで申し訳ないんですけど……お金を渡すので、月読さんが近くのコンビニでプリンを買ってきてくれませんか?」
「お母さん。たぶん、このおじさんはコンビニでプリンを買ったことなんてないと思うよ。ねえ、おじさん?」
「すまぬ。この世へ来たばかりで、コンビニが何なのか、どこへ行けばよいのかも分からぬ」
神田が、呆れた顔で私を見る。
私も何か手伝えればと思ったのだが、現世について何一つ学んでこなかったツケが、早くも回ってきたらしい。
「ごめんなさい。お母さん、僕、プリンは我慢した方がいい?」
「ううん。今は、食べたいものを食べた方がいいと思うし……」
神田は佑と私を交互に見た末、覚悟を決めるように息を吐いた。
「分かった。私が買ってくる」
そう言うと、私を真っ直ぐに見据えた。
「月読さん。本当に、佑には触らないでくださいね」
「分かった」
「佑も、おじさんが変なことを言ったり、何か変なことをしたりしたら、これを鳴らしながら表へ出るのよ。分かった?」
神田はそう念を押し、佑へ丸いものを手渡した。
「では、すぐそこのコンビニだから。五分もかからないからね。すぐ帰ってくるから……待ってて」
「うん、待ってる。お母さん、ありがとう」
神田は何度もこちらを振り返りながら、玄関を出ていった。
部屋に残された佑は、扉が閉まる音を確かめてから、私の目を真っ直ぐに見た。
「あの。あまり、お母さんをいじめないでもらえますか?」
その表情も口調も、とても五歳の子どもとは思えぬほど大人びていた。
「いじめたつもりはないのだが、かえって怒らせてしまったことは認める。ところで、佑は――」
「僕は今世、神田佑として生まれると決めて、こちらへやってきました」
私は目を見開いた。
「あなたとも、少し前にあちらで話しましたね」
「そうか……すまない。覚えてはいない」
「あそこ、混んでますもんね。まあ、いいんです。そんなことは」
佑は、五歳児らしからぬ溜め息を吐いた。
「それでね、月読さん。あの母は、前世では僕の姉だったんです」
「神田が、佑の姉?」
「彼女は、とても優しくて、愛情に溢れた人でした。愛する人との間に子どもを授かり、人生は順風満帆かのように思えました。ですが、その子は幼くして生涯を終えてしまった」
「理由は、何だったのだろうか?」
「生まれつき、心臓が弱かったようです。今なら、医学の力で治せる可能性もあるのでしょう。でも、当時は無理でした」
佑は僅かに目を伏せた。
「彼女の腕の中で、子どもは亡くなりました。そして、彼女の心もまた、そこで死んでしまったのです」
「そうか……愛する子を亡くしていたのか」
「姉の悲しみは、それは深いものでした。弟である僕にも、彼女を救うことはできなかった。ですから僕は、今世では彼女を守るために生まれようと決めた。今度こそ、姉に幸せになってもらうために」
佑は一度、隣の部屋へ目を向けた。
「でも、いざ生まれ変わってみたら、僕は前世のことをすっかり忘れていた。姉さんは姉さんで、酷く臆病になっていました。愛情深いところは以前と何も変わっていないけれど、子育てとなると、ものすごく神経質で」
「臆病?」
「また、自分の子どもを失うことが怖いんです。お父さんと別れた原因だって、僕に悪影響があるからと、禁煙を迫ったことだったからね」
「そうだったのか」
「僕も僕で、昨日までは、何のために生まれてきたのか忘れていた。でも昨晩、すべてを思い出したんです。あなたに会ったことが、きっかけだったのかもしれません」
佑は、私を真っ直ぐに見つめた。
「だからね、月読さん」
「うん」
「たとえ黄泉の神であるあなたでも、彼女を傷つけることは許さない」
幼い顔に、強い意志が浮かんでいる。
「何をするためにこちらへ来たのかは知りません。でも、姉さんに余計なことは言わないでください」
「魂であった時に、自らの使命を決めている者がいることは知っていたが……そうか、そうか。佑もそうなのだな」
「約束してくれますか?」
「分かった。何が余計で、何が余計でないのか、私にはまだ分からないが……善処する」
「分かってもらえてよかった」
佑は、ほっとしたように息を吐いた。
「もし分かってもらえなかったら、僕、これを鳴らして、おまわりさんを呼ぶところでした。あなたを、この家から追い出してもらうために」
「これは何だ?」
佑は、先ほど母親から渡された丸いものを、私の目の前へ差し出した。
私はそれを受け取り、右から左から眺めた。
しかし、何に使うものなのか、皆目見当がつかない。
「それ、防犯ベル。その横の紐を引くと――」
私は、言われたとおりに紐を引いてみた。
ピーピーピーピー!
突如、丸いものが、けたたましい音を立て始めた。
佑は素早くそれを私の手から奪い、どこかを操作して音を止めた。
「馬鹿なの!? 何で引っ張るの!?」
「いや、すまぬ。引く場所があったから、つい」
「『つい』じゃないから! あんたも僕と変わらない、五歳児並みじゃないか。この世界のこと、何にも分からないんだもんな?」
「耳が痛い」
「……まったく」
佑は呆れ果てた様子で首を振った。
「それでだ、月読さん。あんたは、この世界のことが知りたい」
「そうだ」
「僕は子どもで、母親の世話が必要だ。そのうえ、母親は一人で働いて、お金を稼がなくてはならない」
「うん」
「だから、ここは助け合いといこうじゃないか」
そう言うと、佑は幼い顔で、にっと笑ってみせた。
「助け合いとは、どういうことだ?」
「ここに住んで、僕の面倒を見てください。その代わり、僕があなたに、この世界のことを教えます。今のままでは、誰とも話が通じなくて不便でしょう?」
確かに、佑の言うことには一理ある。
このままでは、本来の目的を果たす前に、次の新月が来てしまう。
それでは、現世まで来た意味がない。
「分かった。互いに協力しようではないか。だが……神田が、何と言うだろう。かなり私を警戒しているぞ?」
「そこは任せてよ」
佑は自信ありげに胸を張った。
「それより、姉さんのことを『神田』って呼ぶのは、やめてくれないかな」
「なぜだ?」
「現世では、いくら親しくても、あまり呼び捨てにはしないものなんだよ。まして、ほとんど初対面の人を呼び捨てにするのは、あまり好まれない」
「では、何と呼べばよいのだ?」
「まずは『神田さん』じゃない? 僕は子どもだから、佑と呼び捨てでいいけど」
「分かった。神田さん、だな?」
「うん。それでいいよ」
佑は玄関の方へ目をやった。
「もうすぐ、お母さんが戻ってくるはずだから、普通にしていて。それから、僕が前世を思い出したって話は、お母さんには内緒だよ。変に勘繰られると厄介だから」
佑がそう言い終えるのと同時に、玄関の扉が開いた。
神田が、小さな袋を片手に提げ、息を切らしながら部屋へ入ってくる。
「佑! はぁ、はぁ……無事!?」
佑は、何事もなかったかのような顔で母親を見ると、にっこり笑った。
「うん。何にもなかった。無事だよ。おじさん、優しかった」
「あ……そう。よかった……。あ、はい。プリン」
神田は小さな袋を、佑へ手渡した。
「わーい、プリンだ!」
佑は無邪気な声を上げ、袋をがさがさと鳴らしながら中身を取り出した。
慣れた手つきで蓋を開けると、匙でプリンを掬い、口へ運ぶ。
「んー、おいしい……。もう一つ入ってるのは、お母さんの?」
プリンを頬張る佑を穏やかな顔で見ていた神田さんが、少し言い淀みながら答えた。
「一応……佑を見ていてもらったから、そのお礼。月読さんも、よかったらどうですか? プリン」
神田は袋からもう一つの器を取り出し、私の目の前へ置いた。
礼を言われるようなことは何もしていない。
そう思い戸惑ったが、プリンというものを食べてみたい気持ちもあった。
「いただいてもよいのか?」
「わーい、おじさん、よかったね! 一緒に食べようよ。僕の真似をしてみて」
私は佑がしたように蓋を開け、匙で掬って一口食べた。
口の中へ広がる甘さ。
とろけるような舌触り。
何より、香りがよい。
「ほう……うまいな。プリンとは、このような味がするのか……」
佑は嬉しそうに私を見ていた。
神田も、佑と私を見て笑っている。
なんとも、心穏やかになる光景だった。
私は、あっという間にプリンを食べ終えてしまった。
「……なくなってしまった」
空になった器を見つめる私を見て、二人はまた笑った。
神田は、そんなに気に入ったのなら、また買ってきてあげると言ってくれた。
その時、佑がすかさず母親へお願いをした。
「ねえ、お母さん。おじさん、行くところがないんだって。可哀想じゃない?」
「え?」
「少しの間だけ、うちに泊めてあげようよ。このおじさん、僕よりいろんなことを知らないんだよ。プリンだって、きっと今日初めて食べたんだよ」
「いや、でも……」
「このまま外へ放り出したら、きっと死んじゃうよ。それに、一応、怖い人たちから僕たちを守ろうとしてくれたし……。ねえ、駄目?」
さすがの神田も、すぐには首を縦に振らなかった。
見知らぬ世界から来た私を家に置くことに、さまざまな不安があるのだろう。それは、私にも容易に想像できた。
それでも最後には、「外へ出されたら死んでしまう」という佑の言葉が効いたらしい。
神田さんは、渋々ながらも了承してくれた。
「でも! いいですか、月読さん!」
「はい」
「月読さんが危険だと思ったら、すぐに出ていってもらいますから! それだけは約束してください!」
「その、危険というのは、どのようなことを指すのだろうか?」
「そんなの、自分で考えてください!」
神田は、また怒ってしまった。
「おじさん、大丈夫だよ。僕が教えてあげるから」
佑が私の袖を、軽く引いた。
こうして私は、神田と佑の家に、しばらく厄介になることとなった。
黄泉へ帰るまで、あと三十日。
果たして私は、それまでに黄泉の異変の原因を見つけることができるのだろうか。




