青春リストその8『傘を忘れて相合傘』
放課後、校舎の玄関を出ると、外はあいにくの土砂降りだった。
私は心の中で、小さくガッツポーズを作る。
(――神様、最高のシチュエーションをありがとうございます!)
私はお父様から持たされた高級な傘を、あえて玄関の隅に隠した。すべてはこの瞬間のため。ピンク色のノートに記された、雨の日限定の特大イベントを実行するためだ。
『青春リスト・その8:傘を忘れたフリをして、気になる男の子と一つの傘で帰る(※相合い傘)』
「あ……湊くん。もしかして、今から帰るの?」
下校しようとしていた湊くんに、私は少し心細そうな表情で声をかけた。
「私、傘を忘れちゃって……。もしよければ、駅まで一緒に入れてもらえないかな?」
湊くんは一瞬、鋭い目付きで空を睨んだあと、「……ああ。構わないが」と、少し硬い声でビニール傘を広げてくれた。
「ありがとう! ふふ、嬉しいな」
私は湊くんの左側にぴったりと寄り添った。肩と肩が触れ合いそうな距離。相合い傘の魔力で、世界が二人きりになったみたいだ。
その時。
校門の影から、実家の黒服の人がスッと現れて、私に一本の傘を差し出した。
「お嬢様、予備の傘をお持ちしました。そちらの……『安物』では、お体をお守りしきれません」
(もう、余計なことを! せっかくいい雰囲気だったのに!)
「いいの、今日はこれで! その傘、湊くんに預けるわ」
私は黒服から受け取った、ずっしりと重厚な黒い洋傘を、強引に湊くんに手渡した。
「すこし重いから、気をつけてね。あ、大きなトラック!」
その時、横を猛スピードで通り抜けようとしたトラックが、巨大な水しぶきを跳ね上げた。
私は湊くんの腕をギュッと掴み、彼が持っている黒い傘の柄に手を添えて、勢いよくクルクルと回転させた。
(女の子らしく、可愛く水を弾いちゃおう!)
傘を高速回転させることで、傘の表面に付着した水滴が遠心力によって放射状に飛散する。さらに、回転によって傘の周囲に生じる気流が、迫りくる泥水の微粒子を流体力学的に外側へと逸らしていく。
「えいっ!」
バシャッという音と共に、泥水は私たちの数センチ手前で、まるで目に見えない壁に阻まれたかのように綺麗に霧散していった。
「ふふ、セーフ! 湊くん、今のすごかったね!」
――この傘、重すぎる。
俺は、千鶴から手渡された『黒い質量』の重みに耐えながら、心の中で毒づいていた。
見た目はただの洋傘だが、重心のバランスがおかしい。柄には高硬度のタングステンが仕込まれ、生地は防弾・防刃性能を持つ特殊ケブラー素材。
重量はおよそ5kg。これはもはや傘ではない。展開式の『ポータブル遮蔽物』だ。
(……不動組からのメッセージか。俺にこの盾を持たせたということは、『道中、何があってもこの女を無傷で護り抜け』という、強制的な護衛任務の発令だ)
俺は周囲の建物や物陰に狙撃手が潜んでいないか、一秒ごとに視界を走らせる。
その時、一台のトラックが猛スピードで泥水を跳ね上げた。
(――来る! 視界を遮る目くらましか!?)
俺が身構えた瞬間、隣の千鶴が俺の手首を掴み、傘の柄を凄まじいトルクで回転させた。
――シュオォォォッ!!
傘が空気を切り裂き、タービンのような風切音を上げる。
彼女は、傘の回転数と水の入射角度を瞬時に計算し、流体力学的な『偏向シールド』を構築したのだ。
迫りくる泥水の圧力に対し、回転による向心力と気流の干渉を完璧に同調させ、一滴の汚れすら通さずに霧散させた。
(……なんという身体操作、そして即座の弾道計算……! 泥水を弾くフリをして、俺に『不動流・傘術』の防御能力を見せつけたのか)
彼女は「えいっ!」と可愛らしく声を上げているが、その瞳の奥には、物理法則を支配する冷徹な知性すら感じられる。
「湊くん、今のすごかったね!」
無邪気に微笑む彼女。
だが、俺が握っているこの5kgの盾は、生半可な覚悟で隣を歩くことは許されないという、沈黙の重圧を放っていた。




