82 中皇命(なかつすめらみこと)
【登場人物】
中臣鎌足(カマ様)
人間に転生した天魔の神『天狐』東国の獣神であり人間体でも魔物を圧倒できる身体能力を持つ。
額田姫王・鏡王女
中大兄皇子の元妻であり、神の歌「言霊」を使う宮廷歌人。
琵琶湖の龍王女の転生体である。
葛城皇子(中大兄皇子)
女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。
額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。
チビコマチ(小野小町)
額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。
巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。
厳 (ゴン)
春日の森で「鬼神の塚」を守る片目の野守。
なぜかチビコマチのお供をしている
鈴鹿御前(倭姫王)
天照大神の依代であり第六天魔王の一人。
なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。
ちゃっかり自分も皇女に転生した。だがまだ子供である。
小狐丸
黒い戦闘魔獣。
魔物を斬る『神刀』を鍛える刀工でもある。
お玉(玉藻)
百済王妃に化けた九本尻尾の妖狐の少女。
幻覚を操り、人間を魔物化させる能力を持つ。
「ひどいケガだわ」
間人皇女はヨロヨロと有馬皇子に近づくと胸に抱き、乳房を含ませた。
ほぼ死体と化していた有馬皇子の顔に赤みが差し、やがて自発呼吸を始めた。
その側でポカーンとそれを見ていた中臣御食子は傷口の血をわざと手になすり付けて、血まみれの手を間人皇女に向けて差し出す。
「ひ、姫様、姫様、なにとぞ私めにもご慈悲を!ですじゃ」
その上からイヒカ姫が土器を傾けてチョロチョロと御食子頭に水をかけると、御食子はそのままガクっと倒れた。
「安心しろ、お前は妾が直々(じきじき)に黄泉国に送り届けてやる。感謝いたせ」
間人皇女の顔色が悪い。
彼女の白い裸身を八岐大蛇の黒い邪気が舐め回す。まるで内臓が腐敗するかの様な痛み。
それでも彼女は必死に有馬皇子を回復させようとした。
やがて有馬皇子が目を開けた。
いや恐怖の表情で目を見開いた。
「うわあああひいいい!!」有馬皇子が絶叫する。
おぞまい化け物。
あの美しかった間人皇女の顔は半分以上に黒い毒虫のような邪気の肉蟲がうごめき、輝くような白い裸体は無数の蛇が這いずり回ったような赤黒い痕が残っていた。
八岐大蛇の呪い
あの麗しい顔には醜くく禍々(まがまが)しい痕跡が残ってしまっていた。
変わり果てた間人皇女の顔を見て、有馬皇子はその手を跳ね除けて逃げ出し、山を駆け降りて行った。
間人皇女は崩れるように膝を着くと、無言で涙を落とす。
「皇后さま…」
額田姫王は涙をぬぐい、カマタリの胸に顔を埋めて咽び、カマタリは彼女の小柄な肩を抱いた。
沈黙が流れる中、赤いヒゲ面の佐伯子麻呂が自分の着ていた朝服を脱ぎだして間人皇女の手前に跪き、ピカピカの朝服を地面に敷いた。
さらに肌着を脱ぐと両手に捧げ、膝で歩み寄り、恭しく間人皇女に差し出し彼女の肩に掛ける。
そして畏みながら膝をついたままズリズリと退き下がり、地面にひれ伏す。
「慈悲深き大王、偉大なる命を与えたもう大王、我らの晴れやかなる大王、中皇命万歳」
その時、額田姫王は肩を抱いていたカマタリの指に力が入ったのを感じて振り返った。
カマタリの瞳が夕陽の光で燃えていた。
「俺たちの勝ちだ…」
「えっ」
カマタリはボロボロの服のままヨロヨロと歩き出し、剣を夕空に突き上げて叫んだ。
「俺たちの勝ちだ!」
紀朝雄が顔を上げる。
「そうだ!我らの勝利ぞ!」
紀朝雄も抜刀すると剣を夕空に突き上げる。
「草も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の棲なるべし!」
カマタリもまた剣を振り上げる。
「草も木も我が大君の国なれば、いづくか鬼の棲なるべし!」
カマタリもまた紀朝雄の歌に歌で答える。
紀朝雄は顔をほころばせうなずいた。
突然、犬飼いの一人が狗吠※を始めた。
男たちの目つきが変わる。
男たちは次々と夕陽の山に吠えた。
朝廷の戦士たち。古代の健児たちの血が目を覚ましたのだ。
※ 狗吠:隼人が門前で犬のように吠える儀式。魔を祓う呪声とも言われる。
カマタリは戦士たちに叫ぶ。
「皆の者どもよ!難波宮に戻るぞ、大王と共に!偉大なる大王、中皇命と共に!」
カマタリの叫びに男たちは拳を突き上げて「おお!」と応える。
「中皇命万歳!」
夕空の山々に男たちの吠える木霊が響いた。
間人皇女は涙をぬぐうと佐伯子麻呂に支えられながら、ゆっくりと気丈に立ち上がる。
「行きましょう。私たちの都へ」
夕陽に照らされたその姿は、以前の気高く美しい間人皇女そのままに見えた。
ふと見ればスサノオの娘、ヒルコもまた入れ墨だらけの表情を変えずにボロボロと大粒の涙を流している。
(まるで人間のような…いや、人間なのか…)
魔王スサノオの娘。
赤い毒蛇、蛇毒気神は赤い夕陽に照らされ、彼女もまた輝いて見えた。
真っ黒いシルエットの山々の陰に隠れ、陽が暮れようとしている。
北の大地。
中国大陸北方の風は冷たい。
高齢の劉仁軌は一兵卒として戦場を走り回っていた。
もともと劉仁軌は正直頑固一徹さが皇帝に気に入られ、重臣に取り立てられていた。
だが皇后ウー・ジャオ(武照)の側近、李義府の策略により、補給物資輸送の不手際を責められ一兵卒に落とされてしまった。
劉仁軌にしてみれば濡れ衣だった。
劉仁軌は陣営の外れで歩哨に立っていた。
中国大陸北方の風は冷たく、夜は激しく冷えた。
六十歳近い体には堪える寒さだ。
ほかの兵士どもは身を縮めて手足を擦り合わせ、密かに作った酒を飲んでいる。
それでも劉仁軌は微動だにせず鉾を保ちジッと立っていた。一兵卒に落ちてなお正直頑固一徹の男である。
最初は呆れていた兵士どもも最近では劉仁軌を尊敬の目で見ている。
そこに突然、紫の光につつまれ黒い穴が開いた、中から青い服を着た仙女がフワリと飛んで現れる。
仙女の背中には赤い翼が生えていた。
「劉仁軌、皇后さまがお呼びです」
「皇后さま…」
劉仁軌が一瞬、険しい顔になる。
皇后ウー・ジャオ(武照)は女性道士、坤道だったと聞く。
(やはり魔物であったか…)
劉仁軌はジャオに呼び出され、黒い穴を通り抜ける。そこはすでに宮殿の薄暗い部屋の中であった。
「むう…」
豪華な造りの装飾と太い柱。間違いない、ここは後宮だ。
ボロボロの安物の甲冑を着けた劉仁軌には場違いな部屋だ。
だが部屋には誰も居ない。
窓の外にも人影は無い。
もちろん後宮には男たちは出入りできない。この広大なハーレムには数千人の女官や妃が生活しているのだが、この治外法権の小さな国家官庁の全ては皇后ジャオの意思一つで動かされているのだ。
「こちらへ」
青い服の仙女に連れられ奥の部屋に通されると、部屋の中央には神に供物を供える道教の供盤があり、その奥の玉座の様な席に小柄な少女が座っている。
劉仁軌の足が止まった。
強力な圧力で脚が動かない。
(間違いない、皇后ウー・ジャオ(武照)だ!)
会ってみれば皇后ウー・ジャオ(武照)はすでに三十近いはずだが非常に若く美しく見える。
まるで少女、いや女神のようだ。
劉仁軌はジャオに向かって両膝を着くと両手を組んで拱手し、拝礼する。
「よく来た劉仁軌、戦場の様子はいかがじゃ」
「いかなる場所でも天地は変わりません。臣は全霊を尽くすのみにございます」
「さすが劉仁軌だ。良い答えじゃ」
ジャオは真っ黒い玉をポイと放り投げると青い服を着た仙女がそれを受け止めて供盤の上に置いた。
「それを飲め」
「これは?」
「玄女の卵じゃ」
玄女の名は聞いた事がある。
先代皇帝の高宗帝に仕えた軍師“李靖”が九天玄女の術を学んだと聞く。
あれも皇后ウー・ジャオ(武照)が与えた力だったのか。
九天玄女
崑崙山に住む仙人の女王、“西王母”の娘、あるいは“西王母”本人が玄女だと言われる。
玄女は鳥の姿で現れ、古代の皇帝たちに兵法を授けた女神として信仰されている。
兵法の女神に選ばれた、これは天啓である。そう劉仁軌は理解した。
「お前は天魔将軍となり朕に仕えるのだ、良いな」
「ははっ」
そう言うと劉仁軌は黒い玄女の卵を一息に飲み込んだ。
突然、劉仁軌が倒れてもがき出す。
ジャオは「ははは」と笑い出した。
「やはりお前は度胸があるな、きっと上手くいくかのう」
ジャオはサーベルタイガーのような巨大な白い牙を剥いて笑う。彼女の背中には赤い翼が広がり、白い虎の尻尾がうねっていた。
〜 82 中皇命 〜完
【年表】
◼ 653年。第二次遣唐使。道昭とチカタ(定恵)入唐
◼ 654年孝徳天皇崩御(654年 - 10月)
◼ 655年 1月、寶皇女が即位(斉明天皇)
◼ 656年 斉明天皇、後飛鳥岡本宮へ遷る。
◼ 656年 後飛鳥岡本宮火災
◼ 656年 葛城山に龍が現れる。
(=φωφ=)あとがき。
さて、魔王篇が終了して、この章から中皇命篇の始まりですね。
そしてもう一人のキーマン有馬皇子。
だんだん白村江の戦いが迫ってきました。
> 朝廷の戦士たち
男たちのヤマト…いや、なんでも無いっす。




