70 天宮(あまつみや)
【登場人物】
中臣鎌足(カマ様)
人間に転生した天魔の神『天狐』東国の獣神である。
額田姫王(鏡王女)
カマタリの妻。
中大兄皇子の元妻であり、神の歌「言霊」を使う女性。龍王女の転生体である。
チカタ(中臣真人、定恵)
カマタリたちの長男。聖徳太子の孫。
聖者にして魔神となる運命の子
中大兄皇子(葛城皇子)
女性と見まごう白く美しい外観に凶悪で残酷な内面を持ち合わせる。
額田姫王や倭姫王の夫であり魔族を率いる魔王でもある。
チビコマチ(小野小町)
額田姫王に歌を学ぶため飛鳥時代に連れて来られた平安時代の少女。
巫女舞風の装束を身にまとい「言霊」を使う。
厳 (ゴン)
春日の森で「鬼神の塚」を守る片目の野守。
なぜかチビコマチのお供をしている
鈴鹿御前(倭姫王)
天照大神の依代であり第六天魔王の一人。
なぜか高位天魔を人間に転生させて飛鳥の都に集結させている。
ちゃっかり自分も皇女に転生した。だがまだ子供である。
小狐丸
黒い戦闘魔獣。
魔物を斬る『神刀』を鍛える刀工でもある。
お玉(玉藻)
百済王妃に化けた九本尻尾の妖狐の少女。
幻覚を操り、人間を魔物化させる能力を持つ。
王
高志才智に化けて大和朝に使えていたカマタリの友人の漢人。
紫微宮(北極星)を守護する最強軍神、天蓬元帥の転生体。
武照
唐の皇后にして魔道女皇。
世界を征服するために人間に転生したが、遠い昔から御前をライバル視していた様子。
「だいぶ良くなったね」
チカタは孫少年に声をかけると孫少年は宝石のような寒水石の岩に腰かけグルグルと腕を回した。
「ああ、助かったぜ。しかしどこだいここは?」
見渡す限り白く輝く岩肌に真っ白い霧の立ちこめた世界である。
「ここは根之堅洲國だよ。水底であり地底であり天空でもある。神々の生命の生まれて帰りる場所さ」
「へえ、ここがねえ。何にも見えねえや」
「隠れるにはいいからね」
「隠れるって、何から?」
チカタは何も答えず真っ白に光る空を仰ぎ見た。
「母さんたちを助けないと、それに中大兄皇子も」
「中大兄皇子って魔王だぜ、助ける必要あるのか?」
チカタは孫少年を見つめる。
「これから一緒に戦ってくれるかい?」
「ああ、いいぜ、俺はお前の友達だ」
孫少年は拳を差し出す。
チカタも拳を突き出し二人は拳を当てた。
大慈恩寺。
玄奘のために建てられ寺である。
この寺の房の一室で玄奘は超人的なハイペースで翻訳を進めていた。
部屋の中は膨大な経典と資料が高々と積まれている。
その房の奥で道昭が一人、置き石のように壁に向かって座禅を組んでいた。
壁に紫の光が広がり真っ黒な地獄の井戸が開く。
その闇の奥からチカタと孫少年が出て来た。
孫少年は不思議そうな眼で座禅を組む道昭を見る。
「何やってんだ?コレ」
「座禅の修行だよ。静かに」
「へえ…」
「定恵か、待っていた」
部屋の奥で机に向かっていた玄奘がまるで見ていたかの様に筆を置いてチカタたちに向き直った。
「はい、お師匠様」
チカタは床に跪ずき一礼する。
玄奘は孫少年を静かに見る。
「この子は天魔だね」
「はい。お師匠様に結縁していただきたいのです」
「いいだろう。この子には借りがある。御仏のお導きだ」
玄奘は孫少年の前に歩み出る。
「手を合わせ御仏を念じなさい」
「オイラ、仏なんて知らないぜ」
「お前は黄泉で身も心も洗われて来たはずではないかな」
「ええっ!何で知ってんだ?」
「私はずっとお前たちを見ていた」
「すげえ!なんでそんな事ができるんだ?」
「自分の心が世界の一部であるなら、世界もまた我が一部、この身体の中に宇宙がある。神界もまた我が心の内にある。
彼我一体ならばこの全ての世界もまた我と一体。だから世界の動きが分かるのだ」
「意味がわからねえ」孫少年はすでに玄奘の話について行けてない。
「お前も心を静かにして心の汚れを洗い落とせば分かる」
「心の汚れって何だ?」
「悪を作る原因の事だ」
「悪を作るってどういう事だ?」
「お前だって他人から殺されたり、盗まれたりしたらイヤであろう。それが悪業なのではないかな」
「ああ、オイラも殺されたり裏切られたりしたけどもうイヤだし腹が立つぜ、アイツら」
「それは人の身の欲から出た悪だ。それを身業という」
「へえ」
孫少年はいつの間にか玄奘の法話に引き込まれていた。
「嘘や悪口を語る事もまた悪を作る。これを口業という。
そして怒りや欲はいつか人を滅ぼす。これも心の中の悪を作っているためだ。これを意業という。
これらの三つの悪を洗い落とすには、まず自身の身、口、意の三つをキレイに洗い磨くた事から始めるのだ」
「悪を洗い落としてキレイにするってことかな?」
「その通りだ。『三業に悪を作らず』
悪事の元となる貪・瞋・癡を離れる修行だ。どうだ?できるか?」
「わかったお師匠様!どうやって心の汚れを落とすんだ?」
「全てを捨て去り『無』となる事だ」
「無?」
「心が空っぽならば邪や悪など発生しないであろう」
「そりゃそうだけど頭空っぽじゃ何も考えられなくね?」
「『空』の中にも働くものがある。風が吹けば波が立つ、音が鳴れば鐘に響く。それは『無』だからこそ現れる働きだ」
「へえ…そうだな…」
孫少年は玄奘の言葉に何かをつかみ始めていた。
「無である中にも有るはある。有るは無く無きは有る。心が無になれば、新しい智慧が働き、いかなる悪も付かなくなるものだ」
「うん!分かった」孫少年の目が輝いた。
「そうか『無』を理解したか。素直な子だ」
玄奘は孫少年の目に禅機が現れるのを見つけて静かに微笑んだ。
「道昭と同じ形で座りなさい。静かに身体の中を掃除して身も心も言葉も全て洗い流して『無』になるのだ」
「わかった」孫少年はストンと座って眼を閉じた。
玄奘は背後から手を取り孫少年の形や姿勢を直す。
「南無ゆっくり呼吸を数えなさい」
「南無」しだいに孫少年の動きが無くなっていく。
「六根清浄。塵を払おう、垢を落とそうと唱えなさい」
「塵を払おう、垢を落とそう、塵を払おう、垢を落とそう」孫少年は繰り返し師の教えを唱える。
やがて孫少年は石のように動かなくなる。
「正念に『空』を観ずれば、無益の苦は免れるべし」
薄暗い房の中に玄奘の声が天地十方に響く。
「お前に『悟空』の戒名を与える」
そう言って玄奘は再び文机に戻った。
チカタは両手を合わせて師に深く一礼した。
『天宮』
神巫として呼び出された女たちは道士たちに導かれ、多武峰へと登る。
嶺には二本の巨大な槻の御神木が並び立ち、その間に石造りの道教寺院『観』が建造されていた。
巨大な草薙の剣を片手でかかげた中大兄皇子が先頭を歩き、先ほどまで天皇であった間人皇女をはじめ、額田姫王やタマモを、魔人化した采女たちが取り囲んでいる。
王が黒いカラス羽の扇子を手にしてシャナリと歩み出て来た。
「では皆さんには服を全部脱いでいただきましょう」
「ちょっとお!ふざけないでよ!私たちを誰だと思ってんの!」額田姫王が怒鳴り付ける。
「“天皇”のご命令です」
王が暗い笑みを浮かべる。
額田姫王の瞳がギラリと青く光る。
「お前たち皆殺しにされたいみたいね」
その言葉を間人皇女が片手で制すると自から帯を解き始める。
「皇后さま!」
額田姫王が止める間もなく間人皇女は服を脱ぎ捨てた。
スラリと伸びた手足と美しい裸体が眩しい。
道士たちまで「ほう」と感嘆の声をあげた。
額田姫王とタマモたちもあきらめて服を脱ぎはじめ裸になった。
中大兄皇子はさわやかに微笑むと巨大な草薙の剣を片手に石造りの建物『天宮』の中へと向かって行く。
「ではこちらへ」
王に連れられ女たちも「観」の中に入った。
『天宮』の中に入ると
中大兄皇子は巨大な草薙の剣を軽々と祭壇に置いた。薄闇の室内にギラリと抜き身の剣が光る。
室内には酒を満たした巨大な甕が並んで埋められており、室内は室のように酒の臭いが立ち込めてむせる。
「では神巫の皆さま、神聖なる儀式のために沐浴を行います。どうぞこちらにお入りください」
裸の女たちが甕に入る。
甕の中は褐色の液体で満たされていた。
やがてアルコールが体内に経皮吸収され始めめまいがした。
(これは!薬が入っている!)
額田姫王が気づいた時にはすでに急激な血管拡張と薬の効果で意識が朦朧とし始めた。
飛鳥岡本宮
太極殿では道士たちによる封禅の儀式の指導が始まっていた。
会場はまだザワついている。
カマタリは官吏たちと打ち合わせするフリをしながらこっそりと会場を抜け出し裏庭に出る。
空を見上げれば多武嶺の上空には、不気味な黒雲が渦巻いているのが見えた。
「いったいどうなってるんだ」
「カマどの」
との声に振り返ると紀朝雄だった。
どうやら彼も即位式の会場に来ていたようだ。
「何か大変な事が起きようとしているようですな」
「ええ、おそらくは皇子様の持つ草薙の剣の霊力でしょう」
紀朝雄がうなずいた。
「カマどの、この紀朝雄を皇国を護るためにお役立てくだされませんか」
「そんな…」
もはや人間にどうこうできる相手ではない。深入りさせるのは危険だろう。
「ぜひに」
さすがに軍事貴族である。紀朝雄の心はすでに覚悟が決まっているようだ。
「いやしかし…」
「どちらへ行かれるつもりかな?内臣どの」
大海皇子と有馬皇子である。
しまった!見つかったか。
まさか皇弟を連れて行くわけにはいかない。
「皇子様たちは会場に居てください」
「いや!私は一人でも行くぞ」
まだ若い有馬皇子は剣の柄を手に取ってイキリ立っている。
「俺に任せてください」カマタリはなだめるように言い聞かせた。
「うむ…」
大海皇子はじっと眼を閉じ口をつぐむ。彼こそ中大兄皇子の恐ろしさを一番知っている。人間の力では何もできない事を理解しているはずだ。有馬皇子を説得してくれれば良いのだが。
ふと大海皇子が口をひらいた。
「内臣どの」
「はっ」
「山の西側の道が手薄だ。あそこから登って行けば道士たちの眼をくらまして山頂まで行ける。佐伯子麻呂や犬飼いたちを案内役に手配してある」
「え?」
大海皇子は再び眼を閉じる。
「道士の手勢は二十三人。先ほど山頂に着いたところだ」
「えええっ??」
そのような遠方の一般人の動きなどカマタリの神眼でも知覚できない情報である。
大海皇子は笑った。
「私には兄姉たちのような強力な力はないが占いは得意でな。天文や暦を読み、地の気を読み取り、神の声を聞く力が私にはある。『お前たち』なら兄や姉たちを救えるはずだ、カマタリ」
カマタリは驚いた。『お前たち』とは額田姫王や小狐丸の事だろう。
大海皇子は全て知っていたのか!
大海皇子は多武嶺を指差し、それを西に向ける。
「天地の気が繋がる時、龍は蘇がえる。それは西の方角…山…兄の名は葛城だ。葛城に気をつけろ」
「龍?…葛城?」
それだけ言って大海皇子はクルリと背を向け、何事も無かったかのように儀式に戻って行った。
未来予知
天地の気を読み、易を立て、天上の神から予言を受ける。
なるほど、あらかじめ知ってしまう能力ゆえに一歩引いた印象を受けたのか。
やはり大海皇子も超人的な能力を母親の寶皇女から引き継いでいたようだ。
軍用犬を連れた犬飼いたちを先頭にカマタリたちは山道を駆け登って行く。稚犬養網田配下の犬飼いたちだ。
その後から有馬皇子が佐伯子麻呂たちと共に山道を駆け上がる。
有馬皇子は勝手に付いて来てしまったのだが、この血気にはやる若い皇子を山中に野放しにするのも危険だ。佐伯子麻呂に預けて目の届くところに置いておく方が良い。
犬たちは真っ直ぐ山頂に向かって走る。
犬飼いの手下たちは普段は猟師をやっている者もいる。まさに適任だ。
「…これなら誰にも会わずに頂上まで行けそうだな」
これだけの大勢が何の障害もなく移動できているのは、兵法では『軍争』の極意に通じる。
『軍争』とは、
まず兵を集め一軍を編成する事。
戦場に敵より先に先着する事。
敵より先に態勢を整える事。
そこまでの「機先の奪い合い」を軍争という。
先着できれば万全の体勢で敵を迎える事ができる。
孫子をして、軍争は最も難しく最も重要な極意だとしている。
大海皇子はこれをあっさりやってのけた事になる。
「いずれ天下を取るのは彼のような人物なのかもしれない」
大海皇子が味方に居る事にカマタリは妙な喜びを感じた。
「見えただべ、あの槻だ」
犬飼の一人が巨大な二本の欅を指差す。
その間に石積みのピラミッドのような古墳が白く光ってみえた。
「あれが『天宮』…」
その手前には中大兄皇子や王たちがこちらに向かい待ち構えているのが見える。
中大兄皇子は無表情に小首をかしげて微笑む。
「ふふ、ツクヨミめ、私に刃向かうつもりか」
式場に居た大海皇子は横目で見えないはずの多武峰を見上げた。
〜 70 天宮 〜完
【年表】
◼ 637年武照、太宗の後宮に入る
◼ ︎645年。蘇我入鹿暗殺
◼ 654年孝徳天皇崩御(654年 - 10月)
◼ 655年 1月、寶皇女が即位(斉明天皇)
板蓋宮火災→川原宮へ遷る。
多武峰の山頂に石塁を積み両槻宮を建造。
◼ 656年後飛鳥岡本宮へ遷る。
(=φωφ=)あとがき。
今回も名探偵 額田王の大ピンチ!
そして全裸にされてしまった間人皇女の運命やいかに!
え?毎回全裸だろって。
そういやそうでした。
> 大海皇子
「大君は神にしませば」と呼ばれた天皇ですね。
天と通じる能力を持ち、吉野では琴を弾いて天女を呼んだとか。




