7 覚えていてくれました
「ビオレッタ様、お目覚めでしょうか?」
ドア越しに聞こえてきたのは、メイドの声です。
「どうぞ。今起きたところよ」
「ロンウィ侯爵家のルシオン様から、お手紙が届いております。こちらに置きますね」
「ルシから? ありがとう」
手紙に書かれていたのは、近々、一緒に街に出ないか、というお誘いです。
私は承諾する旨と、都合のいい日を認めて、その返事を返しました。
その日の朝は、ルシオンがロンウィ家の家紋付きの馬車で迎えに来てくれました。
こういう場合に貴族階級の子息たちが馬車を向ける場所は、ブロア通りと決まっています。ブロア通りには、高価な品を取りそろえた高級店が軒を連ねているからです。かつてエドガー様と街に出た時にも、必ずブロワ通りで馬車を降り、流行りのドレスショップや宝石店を見て回ったものでした。
だからてっきり今日も、そこに行くものと思っていたのですが――。
馬車が着いたのは、ブロワ通りとは少し離れたジョイス通り。
日用品や武具を扱う店も多いのこのエリアには、平民相手の店も多く、そこを行き交う人々はブロア通りの洗練されたきらびやかさとはまた違う、雑多な活気にあふれています。
「まあ、定番はブロア通りなんだろうが、あいにく俺は、ああいう澄ました奴ばかりがいる場所には慣れていなくてね。ビオレッタも、こっちのほうが楽しめるんじゃないかと思って」
「そうね。こちらのほうが楽しそう」
「だろう? ビオならそう言うと思ったんだ」
エドガー様と出かけたブロワ通りでは、確かに目にしたものすべてが美しかったのでした。美しいものを見るのは嫌いではありませんし、見れば心は踊ります。
でも、他の令嬢と競うためのドレスや宝石が欲しいわけではない私には少し眩しすぎました。なんとなく場違いな気分になることもあり、正直、居心地悪く感じたことも……。
でも、エドガー様は、常に一番美しいもの、高価なものを求めることを好む方です。私にもそうするようにと強く勧めてくれました。むしろ、そうすることを望む令嬢のほうが普通なのでしょう。
けれど私は、そういうことにあまり関心がないのです。それゆえ重荷に感じていました。
そういえば子供の頃、お母様に連れられて参加したロンウィ侯爵家の茶会で、「ドレスやアクセサリーにはあんまり興味がないの。そんなことより私はクロスボウの訓練をしているほうが好き」と言って、他の令嬢たちから驚かれたことがありました。
そんな私に向かって「ビオレッタ嬢って、変な人」と意地悪く笑った令嬢に、なぜかルシオンがむきになって反論してくれたことを思い出します。
「ビオレッタは、変じゃない! お前のほうこそ、意地の悪い変な奴だ!」とものすごい目つきで睨みつけ、相手の令嬢を泣かしてしまったのです。
もしかしてルシオンは、あの時のことをまだ覚えてくれているのでしょうか?
この通りに並ぶ店には、さほど高価なものは置かれていません。その代わりに素朴で可愛らしいものであふれています。
どの店にも、高級店のような扉を開けてくれるドアマンもいません。だから気兼ねなく気になった店に入れます。
時にドアマンは、来店する客の家門や爵位で態度を変えたり、客が誰と連れ立ってきたのかを噂好きな人々に耳打ちしたりすることもあるので、油断ならないのです。
通りの中でひときわ目立っていた花屋の前で、ふと足が止まりました。季節の花々の甘い香りが幸せな気分にしてくれます。
店先に座っていた女性が、「そこの騎士様、連れの可愛らしいお嬢様に薔薇を贈ってはいかがです?」とルシオンを呼び止めます。
ルシオンは、店内に隙間なく並ぶ花桶をぐるりと見まわしました。
「そうだな。だが、彼女には薔薇ではなく……そっちの花束を貰おうか」
「えっ? あれ……ですか?」
店の女性は不思議そうな顔をします。
それは、ルシオンが指さしたのが、薔薇や百合といった贈り物に定番の華やかな花々ではなく、慎ましやかな野花を彩りよくアレンジした花束だったから。
「ビオは、こういう花のほうが好みだろう?」
この言葉に、私は息を呑みました。
こういう場合に薔薇より地味な野花を選ばれた令嬢は、自分への侮蔑と捉えるのが自然でしょう。
ほとんどの令嬢が、憤りを顕わにして拒絶するか、胸の内に悲しみを抱え込むかのいずれかのはず。以前の私なら、苦笑いで誤魔化しながら後者の態度をとったはず。
でも。
「うん、そうなの。薔薇よりも好きよ……」
やっぱりルシオンは、昔のことを覚えているようです。
そう、私は香り高く華やかに咲く花よりも、控えめな小さい花をつける野花のほうが好きだったから。
幼い頃、私はルシオンとロンウィ侯爵邸の森に冒険しに行き、そこに咲いていた野花を両腕に抱えきれないほど摘んで帰ってきたものです。ルシオンはいつも、摘むのを手伝ってくれました。
そのたびにルシオンのお母様は、「庭園に咲いている薔薇を好きなだけ摘んでかまわないのよ」と言ってくれたのですが、私はこういう花が好きなんです、と満面の笑みで返していたのでした。
店の女性から野花の花束を受け取ったルシオンは、その中からいくつもの小さな碧い花をつけた茎を一つ抜き取ると、私の髪に挿してくれました。
鼻先にかすかに香ってくる、懐かしい清涼な香り。
「この花……子供の頃に一緒に摘んだことがありましたね? 覚えてくれていたの?」
一瞬、目を大きく目を見開いたルシオンは、照れ臭いのか、何も答えず誤魔化すように顔を背けました。でも、その耳がどういうわけか真っ赤に染まっています。
「熱でもあるの?」と話しかけようとしたら、ルシオンが私の手をそっと握りました。
「あの店に用がある」
そう呟いて、ルシオンは繋いだ私の手を引いて歩き出しました。
ルシオンがその店の扉を開けると、扉に仕掛けられた呼び鈴がカラカラと音を立て、客の訪れを店の奥に告げます。
少し薄暗い店内の壁一面に、剣や弓が掛けられていました。床には簡易な造りの鎧が整然と並べられていて、言わずもがなですが、ここが武具を扱う店だと主張しています。
店の奥からふらりと現れた店主は、いかにも傭兵上がりという風体の、腕に古傷のある男性です。ルシオンは彼に、気安い様子で声をかけます。
「オルガ、頼んでいたものを取りにきた」
「ああ。できてるよ」
ルシオンの言葉に、オルガと呼ばれた店主は、背後の棚から取り出した小箱を目の前のカウンターに載せると、蓋を開けてみせてくれます。
「どうだ? 注文通りだろう? ここまで革を薄くなめすのに苦労したんだぜ。この革の照りの美しさと言ったらさあ、我ながら惚れ惚れするよ」
「わかってるって。いつもながらオルガはいい仕事をするな。ビオレッタ、つけてみて」
そしてルシオンが箱から取り出したのは、革のグローブでした。
高価なシルクと見まごうほどの光沢を放つ革の質感は、それが時間をかけて丁寧に仕上げられたことを示しています。
「私ですか?」
「そう、これは俺からのプレゼント。クロスボウ用だ。狩猟祭には間に合わなかったけどな」
言われてみれば、ルシオンのものにしてはサイズがかなり小さいです。
言われるがままグローブに手を通すと、しなやかな革の質感が驚くほど心地いい。曲げ伸ばししてみた指に、柔らかな革がぴったりと吸い付くようです。
「素敵なグローブ……弦を引くのに、まったく邪魔にならないわ」
「サイズもよさそうだな。これからはそれを使うといい。この武具屋で扱っているのは、実戦にも耐えうるものだからな」
「素敵なものをありがとう。本当に嬉しい……」
どうしてだろう、涙がじんわりと湧いてきて視界を曇らせます。
「あ、おいっ……なんで泣くんだよ?」
慌てるルシオンがおかしいです。
どんな高価な品物を贈られたとしても、こんな気分にはならないと思えました。胸の中に仄かに灯った熱が、全身にくまなく行き渡り、私の頬を染めていくのがわかります。
「ごめんなさい……私もわからないけれど……たぶん、嬉しすぎるからだと思うの」
「なんだよ、それ……」
不意にルシオンの腕が伸びてきて、指で私の涙を拭ってくれました。
「ま、喜んでくれたならよかった。お前はドレスや宝石より、こういうもののほうがいいだろうと思ってたからさ」
それまで黙ってカウンター越しに私たちを見守っていた店主が、面白そうにニマッとしました。
「よかったな、ルシオン! お嬢さん、こいつ、あんたが喜んでくれるか、すっごーく心配してたんだからな。それで早く仕上げろって、俺の作業場に毎日のように顔を出すもんだから、うるさいの、なんのって……」
「オルガ! 黙れ! ……じゃあ、用は済んだから、戻るぞ」
なぜか顔を赤くしたルシオンに背中を押されて、店の外に出ようとした時です。目の前の扉が急に開きました。
「ルシオン、ここにいたか……探したよ」
そこには、息を切らしたキリアン卿がいたのです。




