2 懐かしい彼に再会しました
私の婚約破棄の話を聞きつけて、幼い頃から親しくしているフロレンス・ロドリス公爵令嬢が公爵家に招いてくれました。同じく親しいナタリア・ドルトン伯爵令嬢も一緒です。
気心知れた二人の友人が、私を慰めようと招いてくれたのです。
晴れ渡った空の下、ロドリス公爵邸の庭園に咲き誇る花々がそよ風に揺れています。小さな花弁が風に舞い上がり、一瞬、すべての憂いを忘れて、自分が楽園に舞い込んだのかと錯覚させてくれるほどでした。
「また、あのニリア嬢?」
フロレンスがそう言うのも無理はありません。ニリア嬢のせいで婚約が破談になった令嬢が、私の他に何人もいたのですから。
「カルマン小侯爵は、あんなにビオレッタにべったりだったのに。わからないものね……」
フロレンスが言うと、ナタリアも大きく頷きました。
「そうよね。ビオレッタ嬢は僕の運命の人だ、なんて言っていたのに。しかも、浮気癖のあるニリア嬢だなんて……」
「そもそも彼女、見た目だって飛び抜けて美人というわけでもないわよね。なのにどうして、これまで何人もの令息が彼女に夢中になったんだか」
それは私もいささか不思議に思うところです。
婚約者を差し置いて、これまで何人もの令息が彼女と恋に落ちていました。けれど、その関係はいつも長続きしないのです。まるで婚約者を奪うことだけが、ニリア嬢の目的だったかのように。
ニリア嬢に捨てられた格好となった令息たちは、もはややり場のない思いに、屋敷に閉じこもったり、違法な薬物に手を出したり、賭け事にのめり込んだりして、いずれも自暴自棄の暮らしに身を落としていると聞きます。
「そもそもエドガー様は、私に命を救われて恩義を感じただけで、それは恋じゃなかった、ということに今更だけど気づいたのでしょう」
苦笑いしながらそう言うと、二人ともふわりと私の両肩に腕を回して、抱きしめてくれました。
正直、エドガー様に、もうまったく思いがないかと言えば、そうとは言い切れないところもあります。
なにせ婚約者として良好な関係を、数年ではありましたが築いてきていたのですから。
もっとも、幾度かは首を傾げるような場面もありました。けれど、それ以上に私を思いやってくれる、素敵な方だと思ったこともありましたし、優しくしてもらった思い出もたくさんあります。一緒に過ごした楽しい思い出も……。
でも、婚約は破棄されたのですから、もう吹っ切らないといけません。
彼にとって私は、もう何でもない存在なのですから。
フロレンスとナタリアの心遣いに触れて、今まで張りつめていた心の糸が、ゆるりとほどけました。
これから社交の場で、私を見て何事か囁く声が聞こえることもあることでしょう。そんな声にいちいち心を揺らさないためにも、彼のことはきっぱりと吹っ切ることが必要です。
フロレンスの侍女とメイドが、ティーワゴンを押して現れました。フロレンスが自ら席を立ち、ワゴンのティーポットを手に取ります。
「今日はね、お兄様がムーランで手に入れてくれた珍しいお茶を淹れるわ。甘い花のような香りがして、すっきりとしたお茶なの」
「キリアン卿はそんな遠くまで行ってらしたの?」
「ええ。皇室騎士団の任務だとおっしゃっていたわ。一昨日、お戻りなったところなの」
フロレンスの兄であるキリアン・ロドリス小公爵様は、皇室騎士団の副団長をお務めです。
ムーランと言えば、皇都から馬を飛ばして10日はかかる南部の辺境地。そんな遠方に皇室騎士団の副団長が直々に派遣されるということは、よほど重要な任務だったに違いありません。
そこへ。
「我が公爵邸へようこそ、ご令嬢方」
聞き覚えのある快活な声がして、キリアン卿が一人の騎士を伴って現れました。
フロレンスと同じ金髪で、面差しもよく似たキリアン卿に、私とナタリアは立ち上がってご挨拶します。
「いや、そんな堅苦しい挨拶は必要ないですよ。フロレンスの大事なお客様だ。どうぞ私にもフロレンスと同じく、気楽に接してください」
キリアン卿が微笑むと、とたんにその場の空気が華やぎます。
フロレンスも花のように美しいのですが、この兄君もそれに負けずと劣らない美丈夫なのです。
そして、キリアン卿の後ろに控えたもう一人の騎士の顔に、私は思わず声を上げてしまいました。
「――ルシオン?」
その名を口にすると、彼が笑顔を見せました。
「ああ……久しぶりだな、ビオレッタ」
「ええ。3年ぶり……よね?」
ロンウィ侯爵家の次男であるルシオンは、私の幼馴染です。お母様同士が親しかったので、お母様と共に互いの邸を行き来して、よく遊んだものです。
けれど、剣術に長けていたルシオンは、15歳になった年に少し早い騎士の叙任を受け、皇室騎士団に入団していました。それから間もなく彼の所属する部隊が、南部の皇室直轄領に派遣されたと聞いていたのです。
「こちらはルシオン・ロンウィ卿だ。ルシオンからビオレッタ嬢と幼馴染だと聞いてね、今日、ビオレッタ嬢がうちに来ると聞いたから、連れてきたんだ。……フロレンス、私たちも一緒にいいかい?」
「ええ、もちろん。歓迎いたしますわ」
フロレンスがゆったりと微笑むと、侍女が急いで席を整えてくれました。
ルシオンの席は、私の隣に設けられます。
「お兄様、南部はいかがでしたか?」
キリアン卿のムーランや南部についての話に、フロレンスもナタリアも目を輝かせて耳を傾けています。
でも私は、久しぶりの再会となったルシオンが気になるものの、どう話しかけたものか少し迷いまして、上の空。
なぜならルシオンは、成長するにつれて、私に対して少しつっけんどんな態度をとるようになっていた記憶があるからです。
時には少し意地悪をされているような気分になることもありましたし、私が話しかけると、面倒くさそうに答えることもありましたから、それを発端に口げんかしたこともよくあったのです。
ですが、年々騎士としての訓練に忙しくなっていくルシオンとは、自然と顔を合わせる機会が減っていきました。その後、お母様から、ルシオンが南部に発ったと聞かされたのです。
「ルシ……」
「ビオ……」
ほとんど同時に、私たちはかつてのように互いの名を呼び、顔を見合わせました。
「ビオ……お前、ちっとも変わらないな」
「ええ……そうかな? ルシは立派な騎士様になったのね。見違えました」
「そうか? ……」
小声で交わしていたのに、目ざといフロレンスが気づいて、私に目配せをします。
同じく気づいたキリアン卿も、ルシオンに言いました。
「せっかくの再会なんだから、積もる話もあるだろう? 二人で庭を歩いてきたらどうだ?」
頷いたルシオンが立ち上がり、私に手を差し出しました。
その大人びた所作に、一瞬戸惑いました。なぜなら、私の知るルシオンは、少し憎たらしい物言いをする、やんちゃな少年でしかありませんでしたから。
ルシオンにエスコートされて、公爵邸の隅々まで手入れの行き届いた庭園をゆっくりと歩いていきます。
「ええと、あの……ルシ、南部はどうだったの?」
まずは当たり障りのない話を、と思って切り出してみました。
「ここと大して変わりはなかったよ。今は隣国との関係も良好だからな」
「そう。それならよかった」
「そんなことより……お前、婚約していたんだな」
「あ……そうだったんだけれど、でも、それ、なくなってしまいました」
「それも聞いた」
「えっ? あ、そうなのね……」
あまり触れてほしくない話題に触れてくるのは、やはりルシオンだからでしょう。大人になっても昔のまま、少し意地悪なところは変わらないということなのでしょうか。
だからと言って、久しぶりに会った幼馴染と喧嘩するほど、私ももう、あの頃の子どもではありません。
心の中でため息をついて、何も言わず歩を進めます。
急に黙りこくった私に気まずくなったのか、ルシオンが話題を変えました。
「お前……ビオは、今もクロスボウの訓練をしているのか?」
「ううん……弓はもう引かないことにしたから」
「どうして? あんなに好きだったじゃないか? 腕もよかったのに、もったいないな」
「まあ、そうだったんだけれどね……」
ルシオンは話題を変えたつもりなのでしょうが、まったくその意図を成していません。
なぜなら、クロスボウをやめることにしたのは、エドガー様にやめてほしいと言われたからです。
エドガー様は「僕の婚約者に危険なことはしてほしくない」と言ったのです。
でも彼の命を救ったのは、私のクロスボウだったというのに、おかしな話ですよね?
そう思ったら、自然と皮肉な笑みがわいてきます。
「ふふ……ふふふふっ……」
唐突に笑いだした私に、ルシオンが慌てました。確かに私、ちょっと気持ち悪いですよね?
「えっ? ビオ、どうした……?」
「あ、何でもありません。そうですよね、やめることなんかなかったわよね。また、始めようかな?」
「ああ、それがいいんじゃない?」
そういえば、今年も皇室の狩猟祭がもうすぐ。
エドガー様と婚約してからは、狩猟への参加はやめて、森の手前の天幕でフロレンスたちとおしゃべりして過ごしていたのでした。
でも本当は私、参加したくてうずうずしていたのです。クロスボウを引くのが好きだったから。
狙った的に向かって、私の引いた矢が思い通りまっすぐに飛んでいく感覚。それはいつでも胸のすくような心地がしました。
とはいえ無暗な殺生をしたいわけではありませんから、普段は的を狙っての訓練でした。そして年に一度の狩猟祭でだけ、鴨を一羽狩ることにしていたのです。
でも、それを婚約者に封じられてしまった私は、狩猟服に身を包み、騎士たちと狩場に向かう令嬢たちを少し羨ましく思って眺めていたものでした。
もう、我慢しなくていいんですよね?
「今年はまた、狩猟祭に出ようかな。10日後よね……参加の届け出はまだ間に合うかしら?」
「いや、残念ながら、もう締め切られている……」
「そうなのね……なら、来年参加すればいいわね」
私が肩を落とすと、ルシオンが悪戯っぽく笑いました。この顔を昔、見たことがあります。何か企んでいる?
「いや、それなら、俺のパートナーとして出るのはどうだ? 俺は南部から戻ったばかりで、パートナーになる令嬢がいないからな」
意地悪だったけど、やはり彼は懐かしい幼馴染です。




