18 お招きしておりませんのに
三日前、私の邸にいたルシオンに皇宮からのお呼び出しが届いて以来、彼からは何の音沙汰もありません。
事件の後始末でお忙しいのだろうとは思いましたが、何となく胸騒ぎがします。
なので、フロレンスを通じてキリアン卿に尋ねてもらいました。するとあの日、ルシオンにはクリスティア皇女殿下の専属護衛とする命令が陛下直々に言い渡されたとのことです。
ちなみに、ニリア嬢からは、クルエドを皇都に持ち込んだ人物のことが聞き出せたそうです。しかし、占い師という男が住む、皇都のはずれの廃墟となった街区に踏み込んだものの、不思議と何の痕跡も見つけられなかったのだとか。
とにかくルシオンは、殿下の専属護衛ということなら、皇宮に数日泊まり込みで詰めることも珍しくないでしょう。
突然の皇命には何か事情があるのでしょうけれど、それについてはキリアン卿も承知しておらず、不可解だとのことでした。
それにしてもルシオンの姿を数日見ないだけで、これほど心がざわつくとは思ってもいませんでした。
以前なら、会うたびに皮肉を言われたりしていましたから、少し苦手に思っていましたのに。再会してからのこの短い期間で、こんなにも変わるとは。変な感じです。
ざわざわと落ち着かない気持ちを鎮めたくて、私は早朝から屋敷の一角に設けられている我が家の騎士たちの訓練所に向かいました。
クロスボウを構えて息を詰め、的に狙いを定めていると、自然と雑念が落ちるように消えていきます。この調子で日が高くなるまで矢を放ち続けていれば、心も晴れることでしょう。そう考えて次の矢をつがえようとしていましたら。
「ビオレッタお嬢様。本日もカルマン小侯爵様がお見えですが、いかがいたしましょう?」
私を探して現れた執事の報せに、ため息をつくしかありませんでした。
あの夜会の翌朝から毎日、エドガー様が私を訪ねてきているのです。それも今日で、三日目。
「お会いするつもりはないと伝えてもらえますか……いえ、もうお会いする必要はないと思います、と伝えてもらえませんか?」
夜会の翌朝、私と話したいと訪ねてきたエドガー様。かつてと同じく、花やドレスなど馬車一台分の贈り物と共にいらっしゃいました。
今更何の話かと思いましたが、無碍にはできず、仕方なく会ってみたのですが、彼によると、侯爵夫人から騎士団による報告を聞いたとのことです。
「あんな邪悪な女にクルエドなんて恐ろしい毒を盛られていたなんて……母上からたっぷり叱られたよ。だが、今回も僕を救ってくれたのは、ビオレッタ、きみだったんだな。やはりきみは私の運命の人だったんだ。婚約破棄したのはすべて、あの女のせいだ。僕の本意じゃない。僕は正気ではなかったのだから、許してくれないか。だから、もう一度やり直したいんだ。もう一度、僕とと婚約しよう!」
「いえ……そのお話は一度消えたものです。お断りいたします」
「なぜだ! きみは運命の人なんだ!」
「……小侯爵様にはそうなのかもしれませんが、私には違うようです。婚約破棄となり、私も気づいてしまいました。あの婚約自体が間違いだったみたいです。当時、私にとってあまりにも唐突なお話でしたから……。そういうことですので、申し訳ありませんが、お話は終わりにしましょう。お引き取りいただけますか?」
席を立った私は、応接室のドアのほうへ視線をやると、エドガー様に深々と頭を下げてカーテシーしました。
一瞬の沈黙の後、渋面の彼が口を開きます。
「……あの男のせいか? 夜会で一緒にいたと聞いた騎士のせいなのか?」
「それは……」
違います、と言おうとしましたが、なぜか言葉が続きません。そうではない、と否定したくない気持ちが溢れてくるのです。
「小侯爵様、お帰りくださいませ。もう、私たちは何の関係でもないのですから、誤解を招いてしまいます。こうして二人きりでお会いするのは、これきりとさせてくださいませね」
そしてあの日はどうにか大人しく帰っていったエドガー様だが、翌日も訪ねてきました。ですがこれも丁重にお帰りいただいたのです。
そしてまた、今日。
丁重に追い返してくださいと頼むと、執事は「承知いたしました」と去っていきます。
とはいえ、素直に帰ってくれるでしょうか。
エドガー様は家門の威光もあり、自尊心がとても強いのです。おまけに強引で勝手なところもあります。
こう連日、拒絶されれば、怒り出すかもしれません。そうなったら執事では太刀打ちできないかも……。それにちょうど今は、お父様もお母様も朝早くから外出されていて不在です。
(でも、ここでお父様が出て行けば、家門同士の問題に発展してしまうかもしれないから……)
私は執事の後をこっそり追いかけ、エドガー様に気づかれないように物陰から見守ることにしました。
案の定、悪い予感は当たり、執事から私の返事を聞いたエドガー様は納得せず、激高します。
「こうして訪ねてきている僕に顔も見せずに帰れと言うなんて、無礼じゃないか!」
強引に屋敷の中に押し入ろうとするエドガー様を、執事が止めようとします。
「邪魔するな!」
そう怒鳴ってエドガー様が手を上げるのを見て、私はクロスボウを手にしたまま、咄嗟に執事の前に飛び出しました。
えっ……?
すると、鼻を突いた、異様な臭い。
家畜小屋に立ち込める、湿った悪臭、というべきでしょうか……?
私が思うのと同時に、エドガー様もこの異変に気づいたようです。執事に殴りかかろうと振り上げていた拳を下ろし、その手で鼻を覆います。
執事もきょときょとと、同じく鼻を押さえながら、悪臭の発生源を探して辺りを見回しました。
すると――いつの間にかその悪臭の源と思われる場所に立っていたのは、べったりとした泥のようなもので服から髪、顔まで汚れた女性。
彼女を見たエドガー様が、悲鳴にも似た声を上げました。
「お前、ニリア……?」
呼ばれたニリア嬢は返事もせず、私に向かってきます。
「なんで気づくのよ……本当に、いつもあんたは私の邪魔をする! よくも私をこんな目に遭わせてくれたね! 死ねーーっ!」
ニリア嬢に不意打ちで体当たりされた私は、易々と地面に押し倒されてしまいました。
馬乗りになった彼女の手に握られているナイフが、きらりと光ります。危険を察知した私は、手にしていたクロスボウを盾にして、そのナイフを防ぎました。間一髪、その切っ先が、着けていた革のグローブをわずかに切り裂きました。
私は渾身の力を込めて彼女を振り払おうとしましたが、目を血走らせるほどの殺気を放つ彼女はびくともしません。
「ビオっ!」
刹那、覚えのある声がして、途端に目の前からニリア嬢が消えました。
ドスンッ、と重たい音がして、地面に転がるニリア嬢が見えます。
そのニリア嬢の喉元には剣先が突き付けられていました。その剣を握り、私を護るように仁王立ちしていたのは、ルシオン!
騒ぎを聞きつけた使用人や騎士たちが集まって来て、ルシオンの指示でニリア嬢を縛り上げます。
「あああああああ―――!!!! お前のせいで全部台無し! お前なんて大したことないくせに! 私の邪魔をするなーーーー!!!! 死んでしまえー!!!! ん……ぐっ……」
私に向かって暴言を吐き続けるニリア嬢の口に猿轡がかまされました。
「ビオ、怪我はないか?」
ルシオンに抱き寄せられた私は、張りつめていた糸が切れたように全身から力が抜けました。
「おいっ、ビオ!」
「あ……私は大丈夫です。それより、あなたにせっかくもらったグローブが切られてしまいました……ごめんなさい」
「そんなこと、いいから……ビオが無事なら、いいんだ……」
頽れかけた私を、彼はその腕にしっかりと抱き留めてくれました。そして今にも泣きそうな顔をしたルシオンに、私は改めて何手背もないと知らせるため、微笑んで見せます。
「ありがとう、ルシオン……」
「間に合ってよかった……」
私を抱きしめるルシオンの腕に一段と力が込められました。
しかし、私たちがほっとしたのも束の間。
「ギャー――――――――ッ!!!!」
突然、人が発するとは思えないような悲鳴が上がりました。
ニリア嬢が黒い炎に包まれ、悶絶していたのです。
炎は激しく、ニリアの全身をめらめらと舐めるように包んでいきます。
周りを囲んでいた騎士たちが消そうと試みるも、その黒い炎は驚くほどの速さで彼女を焼き尽くしました。
だが、その場の誰もが唖然とし、言い知れぬ戦慄に襲われたのは、ニリア嬢の亡骸がそこに人の痕跡を残さなかったことです。
そこには奇怪なことに、真黒な灰が山のように積もって残されていただけ。
その灰も不意に起こった突風に巻き上げられ、空へと散っていきました。
その場にいた皆が、茫然と空を眺めます。
「ルシオン……あれは?」
「ん?」
灰が積もっていた場所に残されていたのは、小さな赤い石。
その石にルシオンが手を伸ばすより早く、私たちの頭上で、バサッ、と小鳥よりも大きな鳥の羽音がしました。
空に湧いたように現れた黒い鳥は、急降下してきたかと思うと、赤い石から一筋の煙が起こりました。
石から溶け出したように湧いた赤煙は、黒い鳥の大きく開いた嘴の奥へと吸い込まれるようにして消えていき、同時に石も蒸発したかのように跡形もなく消えました。鳥はまた空高くへと飛び上がります。
(あの妖しい鳥を捕まえなければ!)
そんな衝動に駆られた私は、クロスボウを構え、その鳥を目掛けて矢を放ちました。
(お願い! 当たって……)
確かに、その矢は鳥に当たりました――と思ったとたん、鳥の姿が空から消えたのです。まるで今、目の前で妖しい術でも使われたかのように。




