14「私だけの騎士」をお望みです
皇都のはずれに、ひどく寂れた街区がある。
焼け焦げた多くの建物が放撤去されることなく放置されていた。
辛うじて修繕され、誰かが出入りした痕跡のある建物も、朽ちかけて半開きになった扉が風に揺れ、不気味なこと、この上ない。
この街区一帯に不快な臭いが立ち込めるのは、隣接する淀んだ沼の水の臭いが風で流されてくるからだと言う者がいるが、本当のことはわからない。
日の高い時間でも、辺り一帯がどこかから流れてきた煙に光を遮られているかのような薄暗さ。
誰もが出来れば踏み入れたくないこの場所にも、時々訪ねてくる者がいる。それはここに、占い師を自称する男が住んでいるからだ。
淀んだ空気が漂う中、そこにいるのが場違いでしかない美しい男。
昼間だと言うのに窓も扉もぴたりと閉ざした暗い部屋の中、男はひとり、蝋燭の炎だけで照らされた鏡を見つめていた。
「これはこれは……なんとも都合がいいことになったな。ああ、あれの醜さは最高だな」
くつくつと笑う男の目の前の鏡に映っていたのは、牢獄の中で醜く顔を歪めて叫ぶ、ニリアの姿。
古びた鏡は、ニリアの姿を映すだけでなく、その声も響かせる。
「ここから出してって! 私はビオレッタ嬢に嵌められたの! あの女は、私に婚約者を奪われて嫉妬してんのよ! 私じゃなくて、あの女を牢に入れろって!」
そう大声で叫んでは、鎖で拘束された両手で鉄格子を掴み、激しく揺さぶろうとする。当然ながらその程度で鉄格子はびくともしない。腹いせに、ニリアは手首に巻かれた鎖を思い切り、鉄格子に叩きつける。
「あの女、殺してやる! 絶対に殺してやる! 殺してやるっ!」
ガンッ、ガンッ、と鎖を鉄格子に打ち付ける鏡の中のニリアを、男はにやにやと面白い見世物でも見るかのように見物している。
「なんて醜さだ。その姿、人というより獣だな……。これは見ているだけで愉快だよ。はははっ、ほんと、牙をむいて怒るサルだ」
魂も見事なほどに穢れている。
自分を顧みることのない、他人への妬み恨みという感情は、ひたすら魂を黒く染め上げていくものだ。
「ああ……あれの魂は、なんて素晴らしく、救いのない汚泥のように染められていくんだ。なんと汚らわしくて、美味そうなこと。あれを選んで正解だった」
長らく封じられてきた力を取り戻すには、人の魂を食らうのが一番効果的。
それも、とびきり穢れ、黒く染まった邪悪な魂ほど、大きな力を取り戻せる。
それに、あれがもう一つ、別の女の魂を男に差し出してくれるらしい。
「手に入れる魂は多いほどいいからな」
死を恐れ、恐怖に慄く魂も、瞬時に黒く染め上がる。死を目前にした恐怖は、魂を見事な闇色に染めるのだ。
「面白い見世物で楽しませてくれたからなあ、あれに礼ぐらいはしてやろうか」
男の姿が、瞬きする一瞬にして、不気味な赤い目を光らせた黒い鳥に変わった。
◆◆◆
皇宮の謁見室で、ルシオンは皇帝陛下の前に膝をついて礼を取った。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。皇宮騎士団のルシオン・ロンウィが参りました」
「ああ、ロンウィ卿。突然呼び立てて、すまんな。このたびは卿のお手柄だったと聞いた。南部での洗脳騒動を隠密裏に鎮め、先日は皇都にも持ち込まれていたものを回収したそうではないか」
「もったいないお言葉を賜り、感謝いたします。しかし、まだその流通ルートを完全には突き止めるに至ってはおらず、至らなさに申し訳ない限りです」
「いや……卿はよくやってくれた。……だからの、任務の続きは別の騎士団のものに引き継ぎ、卿には新たな使命を与えたいと思ってだな。入りなさい」
呼ばれて謁見室の高座に姿を現したのは、クリスティア皇女殿下。
皇女殿下は、陛下にカーテシーして一礼すると、高座の下に膝をついているルシオンにふわりと微笑みかける。
陛下は、侍従から差し出された書面をルシオンに向けた。それは皇帝印が押された、皇命による任命書。
「ロンウィ卿、そなたに命じていた任を解き、今より皇女クリスティアの護衛騎士を命じる」
「は……?」
思いもしなかった命令に、ルシオンは陛下の御前であるのを失念して呆気にとられた。
「陛下、畏れながら……それはどういうことでしょうか? 陛下より以前に賜りました南部での洗脳事件の解決は、まだ完遂できておりません」
「それはそうだが、先ほども伝えたように、卿の働きには感謝しておる。こたび卿の上げてくれた成果のおかげで、その件の解決は時間の問題だと聞いているぞ。残りの任務は騎士団の別の者にまかせるがいい。これは、皇室騎士団長も理解してくれている」
「団長が……?」
団長も了解済みと言われてしまえば、ルシオンに断る理由など見つけられるはずもない。
「そうだ。卿の剣の腕にも、団長が太鼓判を押してくれた。そんな優秀な騎士が、我が皇女の護衛として務めてくれれば、私も安心なのだよ。それに……卿にぜひ、自身の護衛についてもらいたいと言う、皇女からのたっての願いもあったのだ」
陛下から水を向けられて、皇女はまた微笑んで見せた。
「ロンウィ卿。……いえ、これから日々近くにいてもらうことになるのだから、ルシオンと呼ばせてもらうわ。これからよろしくお願い」
「あ、はい……」
ルシオンはいささか違和感を覚える。
噂に聞く殿下は、これほど安易に、臣下の前で軽々しく笑顔を見せるような方であっただろうか。臣下に気安く接するような方であっただろうか?
常に皇族の威厳を象徴するような、ときに厳格にも見えるほど自信を律することに長けた方であったはず。
「承知いたしました……ルシオン・ロンウィ、これから皇女殿下の盾となり、尊き御身をお護りいたします」
「皇女を頼んだぞ。では、下がれ」
陛下が謁見室を出て行くと、高座から降りてきた殿下がルシオンに右手を差し出す。その手の甲に、ルシオンは職務としての忠誠のキスをした。
「今よりあなたは私の騎士――私だけの騎士よ。いいわね?」




