ー第2項 恐怖を食らう毛玉とフェロモンによる認識改変、殺戮の猛獣がただの歩く巨大肉塊へと価値転換される瞬間
第2項 恐怖を食らう毛玉とフェロモンによる認識改変、殺戮の猛獣がただの歩く巨大肉塊へと価値転換される瞬間
『おつまみ』が俺の肩から飛び立ち、突進してくる猪の群れへと向かっていく。
それは無謀な特攻に見えた。エリスが悲鳴を上げる。
だが、衝突の寸前、『おつまみ』はパァンと弾けるように身体を膨張させ、魔物たちが発散するどす黒いオーラ――「殺意」や「凶暴性」を掃除機のごとく吸い込み始めた。
シュゴオオオオッ!
目に見えるほどの勢いで、魔物たちの纏う空気が変わる。
そして『おつまみ』は、吸い込んだ負の感情を体内で濾過し、ピンク色の煌めく粉塵として撒き散らした。
それは、俺たちが毎晩浴びている「まあいいか」フェロモンの超高濃度版。名付けて「万能調味料ミスト」だ。
その粉塵を浴びた領民たちの鼻腔を、強烈な食欲をそそる香りが刺激した。
炭火で焼ける脂の匂い。熟成された燻製の香り。
それらが幻臭として脳を直撃する。
「……あれ? なんだか、すげえいい匂いがするぞ」
「あの猪……美味そうじゃねえか?」
鍬や鋤を持って震えていた男たちの表情から、恐怖が抜け落ちていく。
代わりに浮かんできたのは、涎を垂らさんばかりの飢餓感だ。
「おい、見ろよあの太腿! 燻製にしたら最高だぞ!」
「あの牙、粉末にすれば滋養強壮にいいって聞いたことがある!」
「肉だ! 久しぶりの肉だァァァ!!」
パラダイムシフトが起きた。
彼らの認識の中で、「魔物=殺される対象」から「魔物=逃がしてはならない食材」へと書き換えられたのだ。
「野郎ども! 今夜の肴が向こうから配達に来たぞ! 丁重に、かつ迅速に『調理』してやれ!」
俺の号令が、着火剤となった。
うおおおおおッ! という地響きのような雄叫びと共に、領民たちが突撃を開始した。
彼らは戦士ではない。ただの農民だ。
だが、「酒のつまみが欲しい」という欲望に突き動かされた酔っ払いは、時として正規軍よりも恐ろしい。
「待ちなさい! 貴方たち正気ですか!?」
エリスが叫ぶが、もう誰にも聞こえていない。
先頭を走る力自慢の木こりが、猪の鼻先に斧を叩き込む。
通常なら弾かれる剛毛も、俺が予め散布しておいた『タンパク質分解酵素』の魔法ミストによって、絶妙に柔らかくなっていた。
「ギャオオオン!?」
悲鳴を上げたのは、魔物の方だった。
捕食者と被食者の立場が、完全に逆転していた。




