第2章 第1項 平和な領地を揺るがす警鐘と襲来する巨大な影、しかし領主の視点は危機管理ではなくタンパク質の質量分析に向かう
第2章 魔獣は極上の肴
第1項 平和な領地を揺るがす警鐘と襲来する巨大な影、しかし領主の視点は危機管理ではなくタンパク質の質量分析に向かう
領地が芋焼酎とハイボールの香りに包まれてから、数週間が経過した。
人々の瞳からは死への渇望が消え、代わりに「次の酒を飲むための労働意欲」という、ある意味でより厄介な輝きが宿っていた。
だが、そんな酒池肉林の改革も、外部からの暴力によって中断を余儀なくされる。
カンカンカンカンッ!
領地の境界に設置された監視塔から、耳をつんざくような早鐘が鳴り響いた。
魔物の襲来だ。
この世界において、魔王軍配下の魔物は絶対的な恐怖の象徴である。通常であれば、民は家屋に閉じこもり、聖職者の祈りに縋りながら、嵐が過ぎ去るのを待つか、あるいは食い殺される運命を受け入れるしかない。
「ひぃぃ! 魔物だ! 終わりだ、せっかく毎日が楽しくなってきたのに!」
「神よ、まだ飲み足りません! まだ死にたくない!」
広場は一時騒然となった。
だが、執務室から出てきた俺は、不機嫌そうに眉をひそめただけだった。
「うるさいな。せっかく二日酔いが抜けてきたところなんだぞ」
俺の肩には、相変わらず白い毛玉の『おつまみ』が乗っている。こいつも騒音に腹を立てているのか、微かに赤く明滅していた。
俺たちの前に、息を切らせてエリスが駆け寄ってくる。
「領主様! 悠長なことを言っている場合ではありません! 『剛毛猪』の群れです! あんな巨大な魔獣、正規軍でも手を焼きます。早く皆を避難させて、教会で結界を……」
「猪?」
俺はエリスの悲痛な叫びを無視し、その単語だけに反応した。
領地の入り口を見やる。
土煙を上げて突進してくるのは、軽自動車ほどもある巨大な猪の群れだった。鋼のような剛毛に覆われ、鼻息荒く大地を削っている。
普通の人間なら失禁する光景だ。
だが、俺の「化学屋」としての脳細胞と、「酒飲み」としての魂が、瞬時に計算を弾き出した。
対象:巨大哺乳類。
推定筋肉量:数トン。
運動状態:極めて活発(=身が引き締まっている)。
結論:――極上の、赤身肉。
「……おい、エリス。あれは災害じゃない」
「は? 何を言って……」
「あれは、巨大なチャーシューの塊が、向こうから走ってきてるんだよ」
俺はニヤリと笑い、腰に下げていた杖(実際はただの撹拌棒)を掲げた。
「おつまみ、仕事だ。あの豚どもから『殺意』を抜け。代わりに『旨味』を足せ」
(……グルタミン酸……イノシン酸……合点承知……!)
俺の脳内に、毛玉からの了解信号(化学式付き)が走った。




