第5章 第1項 独立国家のような扱いを受ける領地の現状、世界中から集まる亡命者ならぬ逃避者たちと新しい秩序
第5章 地上楽園ネオ・ゴクラク
第1項 独立国家のような扱いを受ける領地の現状、世界中から集まる亡命者ならぬ逃避者たちと新しい秩序
あれから数年が経った。
かつて貧困と絶望に支配されていた辺境の小領地は、今や世界地図の中で最も奇妙で、最も輝かしい場所として知られるようになっていた。
その名も、『ネオ・ゴクラク』。
正式な国名は『バッカス自治区』だが、誰もそんな堅苦しい名前では呼ばない。
ここは、王国からも、帝国からも、そして魔王軍の支配領域からも独立した、アンタッチャブルな聖域――いや、酒域となっていた。
理由は単純だ。攻め込んでも意味がないからだ。
かつての近衛騎士団のように、どんな精強な軍隊も、この地の空気を吸い、漂う酒の香りを嗅いだ瞬間に戦意を喪失し、「まあ一杯やってくか」という思考に支配されてしまう。
結果として、ここは武力による侵略が不可能な、史上初の『酩酊永世中立地帯』として黙認されることになった。
領地の境界には、今日も長蛇の列ができている。
王国で重税に苦しむ農民、宮廷の陰謀に疲れた貴族、魔王軍でのブラック労働に嫌気が差したオークやゴブリンたち。
種族も身分も関係ない。彼らに共通するのは、「今の生活が辛い」「死ぬ前に一度でいいから心の底から笑いたい」という切実な渇望だ。
「並んで並んで! 入国審査は簡単よ!」
検問所で声を張り上げているのは、かつての聖女エリスだ。
彼女は今や、この街の顔役であり、最高のソムリエールでもある。法衣の代わりに、動きやすいエプロンドレスを身にまとい、その笑顔は以前の「慈愛の仮面」とは違う、底抜けに明るい太陽のような輝きを放っていた。
「審査って何をするんだ?」
「簡単よ。この『ウェルカム・ショット』を飲み干して、『ぷはーっ! 生きててよかった!』って叫ぶだけ。それができれば、貴方はもうここの住民よ」
亡命希望者のドワーフが、渡された小さなグラスをあおる。
喉を焼く酒精と、鼻に抜ける爽やかな果実の香り。
彼は目を見開き、そして涙を流しながら叫んだ。
「ぷはぁぁぁっ!! うめぇええええ!!」
「はい合格! ようこそネオ・ゴクラクへ!」
歓声が上がり、新たな住民が迎え入れられる。
ここには厳格な法律はない。あるのは「他人の酒をこぼさない」「酔って暴れても翌朝には笑って謝る」「美味いツマミは皆で分ける」という、酒飲みとしての最低限のマナー(不文律)だけだ。




