ー第5項 夜の酒場で交わされる問答、堕落か救済かを問う聖女に突きつけられる揺るぎない現実と幸福の形
第5項 夜の酒場で交わされる問答、堕落か救済かを問う聖女に突きつけられる揺るぎない現実と幸福の形
喧騒から少し離れたテラス席で、俺は月を見上げながらグラスを傾けていた。
向かいには、すっかりこの場の空気に馴染んでしまった(しかし認めようとはしない)エリスが座っている。
彼女の前には、果実酒のロックと、干し肉の盛り合わせがあった。
「……領主様。貴方は、人々の恐怖を取り除きました。それは認めます」
少し頬を赤らめたエリスが、とろんとした目で俺を見る。
「でも、これは堕落です。苦しみをごまかしているだけです。根本的な解決にはなっていません」
「根本的な解決ってのは、魔王を倒すことか?」
「そうです! 平和を取り戻し、神の国を作るのです」
「それは勇者の仕事だ。俺の仕事じゃない」
俺は氷をカランと鳴らした。
肩の上で、『おつまみ』が眠そうに欠伸をしている。こいつは最近、領民たちの「満足感」を食いすぎて太ってきた。
「いいか、エリス。魔王が倒れるまで、こいつらは泣いて暮らせってのか? 明日死ぬかもしれないなら、今日笑って死んだほうがマシだろ」
「それは……詭弁です」
「詭弁で結構。現に、誰も神に祈らなくなった。代わりに『おかわり』と叫んでいる。俺にはその声のほうが、賛美歌よりよっぽど健全に聞こえるがね」
エリスは反論しようと口を開きかけたが、言葉が見つからなかったようだ。
彼女の視線の先には、足の悪い老人が、若者に支えられながら大笑いしている姿があった。その顔には、かつての絶望の影など微塵もない。
「……貴方の作るお酒は、本当に意地悪ですね」
エリスはため息をつき、グラスの残りを一気に干した。
「もう一杯、もらえますか?」
「お安い御用だ。ツマミはどうする?」
「……アーマード・ボアの味噌漬けを。あれ、意外と合うんです」
俺は声を上げて笑った。
聖女の陥落も、時間の問題かもしれない。
だが、世界はまだ広い。この領地だけの幸福で終わらせるつもりはない。
俺と『おつまみ』、そしてこの「飲んだくれ」の軍勢で、世界中を酔わせてやる。
夜風に乗って、どこかから魔獣の遠吠えが聞こえた。
だが、誰も怯えはしない。
「お、明日の朝飯が鳴いてるぞ!」と笑う声が、夜空に吸い込まれていった。




