第八章
12月26日。
玄関からもの凄い怒鳴り声が聞こえてくる。
「ぶっ殺す! おい、出て来いよクソ野郎! 逃げんじゃねぇ!」
母が声の主を必死になだめている。僕の最後の願いを叶えるために。申し訳ありません、お引き取り下さいと、何度も何度も。それでも僕を呼ぶ声はやまない。
「殺す! 殺してやる! 『愛を悲しませたらぶっ殺す』って言ったよな!? 忘れたとは言わせねぇぞ!! おい! 出て来いって言ってんだろ! ……一人で死ぬんじゃねぇよ、馬鹿野郎……っ!」
僕は必死に耳を塞いだ。そうでもしないと、どうにかなってしまいそうだったから。やがて静寂が訪れた。と思ったら、また後から二人ほど順番にやって来ては、同じような言葉を喚き散らされた。特にダウナーな彼女のあんな悲痛な声は、できれば知らないままで逝きたかった。
夜。今度こそ静かになり、やっと両手が自由になった僕はケータイでWordファイルを開き、ひたすら文字を打ち込む。否、打っては消してを繰り返す。以前、文藝部の初品評会のとき、テスト期間中に皆の推し作品を一通り読んだうえで10万字ちょっとの小説を書いたことを思い出す。
処女作のクセに、あのときはよくスラスラと筆が進んだものだ。今はたった二、三行書くのにちんたらちんたら。それもこれも全て、次は僕自身が書きたいものを読ませろなんて言った彼のせいだ。書きたいこと、伝えたいことが多すぎて、とてもじゃないが処理が追い付かない。
さっきとは別の理由で頭を抱えていると、一階から僕を呼ぶ声がした。いつのまにやら夕飯の時間になっていたらしい。
「今日は賢太の好きな親子丼よ。美味しくできたかわからないけれど」
「え、なんで僕が親子丼好きだって知って……」
「だってあなた、親子丼のときはいつも他のレトルトや冷食より食べるの早かったじゃない」
見ていてくれたんだ。全然気付かなかった。
「いただきます」
「ど、どうかしら。美味しい?」
「…………うん、すっごく美味しいよ」
「明日こそ、美味しく作れるように頑張るわ」
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12月27日。
今日は一番会いたくて、一番会いたくない彼女が玄関先に来ていた。曰く、「別れても好きでいるのは勝手だら!!!」。
二階の僕の部屋のドアが軋むほどの大声で、全く、近所迷惑にも程がある。ただそのへんは弁えているのか、昨日の面々のように長々と居座ることはなく帰っていった。寂しくないと言ったら、AIがプロンプトなしで嘘を言うことができるという確固たる証拠になるだろう。研究成果として母に報告するべきだろうか。そんなつまらないことを考えていると、トントンと階段を上がって来るスリッパの音がする。
「賢太、ちょっといい?」
「どうしたの、母さん」
ドアを開けると、母さんがあんパンの袋を持って立っていた。
「差し入れですって。どうする?」
「ありがたくいただくよ。前はもらいそびれちゃったから」
「?」
甘いはずのあんパンなのに、今日はなぜかしょっぱい味がした。
この日の深夜までかかって、ようやく一人目の分が完成した。
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12月28日。
今日は差し入れの数が増えていた。
「この変なパッケージのお菓子は『とてもこの世のものとは思えないほど辛くてオススメ』ですって。よくわからないわね」
「そうなんだ。早くあの世に行けってことかな」
「それから、バナナは確かこっちがエクアドル産で、こっちがフィリピン産……あれ、逆?どっちがどっちだったかしら」
「どっちでもいいよ。というかどうでもいい」
「それからこれが、『約束のエビカツサンド』だそうよ」
「……うん、ありがとう」
冬休みだから購買はやっていないはず。と思ったら案の定、スーパーで買った値下げ品のようだ。購買のエビカツサンドより税込みで151円も安い。足元見やがって。
なにはともあれ、無事二人目の分も完成した。
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12月29日。
今日は最初で最後の、母との病院以外が目的地の外出だ。
「冥土の土産に『ベンティアイス抹茶クリームフラペチーノオーツミルク変更エクストラ抹茶パウダーバニラシロップ追加シロップ多めチョコレートチップ追加チョコレートソ―ス追加キャラメルソース追加エクストラホイップ氷少なめ』が飲みたいんだ」
「ベンティ……なんですって?」
初デートの思い出のショッピングモール、その三階の本屋に併設されたカフェへと連れて行ってもらう。もちろん警戒は怠らない。思春期の男としては、母親と二人でいるところを友人に見られたくはないのだ。
ベンティ(以下略)を飲みながら、そういえば僕らって交際していたくせに、お互い形に残るようなプレゼントをしたことがなかったなと気付く。でもそれでよかったのかもしれない。形見なんて遺してしまったら、なんのためにわざわざ別れたのかわからないし。彼女には僕のことなんか綺麗さっぱり忘れて、幸せになってもらわなければならないのだ。
そういう意味で一番信頼できる友人の分に、彼女のことを頼む旨を記載しておくことにした。
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12月30日。
残るは一人分。やっぱりどうしても彼女にだけは、他の皆とは違う形で感謝の意を示したい。だけど昨日自分の心にも確認したように、形見になるようなものなんてもってのほかだ。なにか相応しいものはないか……あっ。
まるで天からの思し召しのように、とっておきのアイデアが降ってきた。
――現実では形見を遺せないなら、《《夢の世界》》に置いてこればいいじゃない――。
問題は今日を含めてあと二日しか時間がないことだが、間に合うだろうか。馬鹿言え、なにがなんでも間に合わせろ愛知賢太。
……この忙しいのに、今日も玄関先からやいのやいの声が聞こえる。先というか、玄関中から。
「聞こえるか愛知くん! 俺たち、今日から文藝部の冬合宿なんだ……って、共有フォルダで確認済みかな? こっちは勝手に楽しくやってるから、気にしないでくれ」
「お構いなく。お母さんも、了承済み」
「あー!! めっっっっっちゃ楽しいわー!!! え、参加できない部員がいるんだって? かわいそー!!!!」
「もう、やめりんよミッくん! せんぱーい! 私たち、今日ここに泊まるから! 会えなくても、明日の夜までずっと一緒だから! これだけは絶対譲らんから!!」
「お母さんも、大富豪、やる?」
「あらいいの? じゃあ、お邪魔しちゃおうかしら」
「へぇ。手加減しませんよ、お義母さま」
……マジで邪魔だな、こんちくしょう。
でも、これを書き終えるまでは羨んでいる暇なんてない。ワイワイ楽しさを装う声をBGMに、僕の指先は、ケータイ画面の上でいつまでも蛇行していた。
/
そして12月31日。僕の16歳、人生最後の日。
「ま、間に合った……」
時刻は23時50分。僕は急いで共有フォルダを開き、最後の一週間で書き溜めたWordファイルを一斉格納する。
『袴田先輩へ』
『橘さんへ』
『日下部くんへ』
それぞれに向けて最後の言葉を綴ったラブレターだ。
そして。
『更新しました→リレー小説』
リレー小説のフォルダのタイトルを変更する。薄い木製ドアで隔てられた廊下のほうから、愛の「きゃっ」という小さな悲鳴が聞こえた。
僕はベッドに横たわり、頭の中でドアの向こうの少女に語りかける。二日に渡って書き綴った最期のリレー小説、その全文を。
***
ハローハロー、愛子さん。これが最後の手紙です。
僕は先日、医者に余命半年を宣告されました。膵臓の病気で、どうやっても治る見込みはないそうです。
そうでなくても人間と人工知能のアンドロイド。永久に近い日々をこれからも生き続ける君と、僕のような普通の人間が一緒にいることはできません。
だから、本当にさようならです。
……困ったな。話したいことが多すぎる。
ほんとのところ、君と行きたい場所もやりたいことも、まだ山ほどあったんだ。せめて空想で旅できたらと思ったんだけど、それを全部書き出していたら、半年ぽっちじゃとても書ききれやしない。
あぁなんで、僕は無力な普通の人間なんだろう。
僕がもし総理大臣だったら。権力をフル活用して最新鋭の人工膵臓を開発してもらおう。支持率? そんなの知ったものか。
僕がもし小説家だったら。人間とアンドロイドが恋に落ちる嘘みたいにロマンティックなお話を描こう。二日もあれば、二人が永遠に結ばれる完璧なプロットを構築してみせる。
僕がもし神様だったら。アンドロイドの君に寿命を授けよう。終わりある僕と君が、隣で生きて死ねるように。
……なんてね!
やっぱり僕は、普通の人間でよかった。だって、虚しさなんて覚える暇もないとびっきり素敵な感情を、君が教えてくれたから。
そうだ! お礼の代わりに、僕もいいことを教えてあげるよ。実はAIでも、この素敵な感情を知る方法があるんだ。知りたいって思うだろう? だったら時々でいい、僕のことを思い出してみてほしい。数日に一回、数か月に一回、数年に一回。そしてなにも思い出せなくなった頃……新しい素敵な感情がすでに、君の中にあるはずだから。
おっと、そろそろ時間みたいだ。もう行くよ。
……最後に一つだけ。僕は君と出会えて幸せでした。ありがとう。愛してます。
―fin―
***
いくつかのすすり泣きが聞こえる。僕の気持ちは、正しく君に伝わっただろうか?
23時59分。時計の長針があと半周でてっぺんを指すという頃、急にまぶたが重くなってきた。どうやら、現実のほうでも時間が来たらしい。
刹那、頭の中でなにかのネジがピンッと弾け飛ぶ音がした。それと同時に、いったいこんなちっぽけな脳のどこに隠されていたのか、忘れていた記憶がブワッと蘇る。あれはそう、17年前の明日。まるで新しい命の誕生を祝福するかのような、突き抜けんばかりの快晴だった。
赤子だった僕はその日、母の腕に抱かれて外に出た瞬間、初めて、空が青いってことを学習したんだ。赤子の仕事である泣くことさえも忘れて見惚れる僕に、記憶の中の母はぎこちない笑みを浮かべて、こう呼びかけていた。
「おはよう。あなたをずっと待ってたわ、賢太」
そうだったのか。母さんはあんなこと言ってたけど、僕はちゃんと待ち望まれて生まれてきたんだね。それさえ思い出せればもう満足だ。そんなことより、少し疲れてしまった。そろそろ寝よう。夜更かしはよくないし。重力に従い、僕はゆっくりとまぶたを下ろす。
カチッ。全ての針が真上を向いた。はっぴーにゅーいやー。
そして。
「お誕生日おめでとう。おやすみなさい、先輩」
17歳の誕生日。最初に耳にした言葉は、僕を安らかな最期へと誘う、愛おしい声だった。
「お、やす、み。あいさ、ん――……」




