第九章
丸17年にも及ぶ一大プロジェクトが終わって、3か月と19日。高校二年生になった阿良々木愛は今日、17歳の誕生日を迎えた。
都合よく休日であったこの日、愛は幼馴染の日下部ミツルと、それからAI治験体一号・愛知賢太の母親役だった女性と三人で、「愛知家之墓」と書かれた墓石の前に立っている。といっても、この石の下に治験体がいるわけではなく、役割を終えた治験体の肉体は現在国の研究施設のどこかに保管されているらしい。あくまで彼を供養するための標として、母親役の女性が建てたものだ。
「先輩。私、先輩と同い年になっちゃったよ。やだな、この分だとすぐに先輩の先輩になっちゃいそう」
こんなに嬉しくない誕生日は初めてだと愛は思った。噂によると、大人になると多くの人にとって誕生日は特別嬉しいものではなくなるそうだが、愛は自身が子どもだと自覚している。現にまだ未成年であるし、普通だったらたった17年目で喜びが薄れることなど稀なはずだ。
……そう。賢太はたった17年しか生きられなかったのだ。本当ならこれから先、まだまだたくさんの幸福が彼を待ち構えていたはずなのに。それを思うと愛はどうしてもやりきれない気持ちになる。でも、この気持ちが薄れるぐらいなら歳など取りたくない。苦しくても、一生子どものままがいい。
「ねぇ愛ちゃん……年下に、興味はないかしら」
だしぬけに、賢太の母親が愛に語りかける。その目はこの上なく真剣なものだった。
「どういう意味ですか?」
「賢太に搭載されていた人工知能が17歳以降の記憶を保持できなかったのは、プロジェクトが思春期までのデータを取るものだったっていうのもあるけど……それ以前に、アンドロイドの肉体に適合する形で、かつ、17年以上の長期記憶を保持できる人工知能を用意できる技術がなかったからなの」
「?」
「要するに、技術が進歩すれば愛知は再起動できるかもしれない、ってことっすよね?」
日下部の補足を受け、ようやく愛は母親の言葉の意図を理解した。
母親は頷いて、続ける。
「そうよ。なんなら、当時の技術ではできなかったという話で、今なら結構早く50、60年長期保存可能な人工知能が作れるかもしれない。私はこれから先の人生全てをかけて、必ず賢太を再起動してみせるわ」
なるほど、母親の意気込みは伝わった。が。
「それと、私の年下への興味になんの関係が?」
「賢太の肉体は今、いわゆるコールドスリープみたいな状態で歳を取らないの。だから……その、何歳下までなら賢太を婿にもらってくれるかしら?」
ははぁん。わかったぞ。この人、結構バカだ。
「別に何歳差でも先輩のことなら愛せますよ、私は。むしろ、先輩が年上に興味あるかの心配をしたほうがいいと思います」
「……それより、ちょっと気になったんすけど、」
日下部が話に割って入る。その険しい表情は、到底希望に満ちた話をするときのものではない。
「お話を聞く限り、愛知の再起動のために全く新しい人工知能を用意するってことっすよね? そしたら、今までのあいつの17年間の記憶はどうなるんすか?」
「……」
母親は沈黙のうちに全てを物語った。たとえ母親の言う再起動とやらが成功したとしても、それはもう自分たちの知る愛知賢太ではないということ。真の意味で、彼はもう死んでしまったのだ。
「ったく、辛気臭ぇ顔すんなよ!」
日下部が軽く愛の頭をはたく。
「脳が入れ替わったって、あいつはあいつじゃねぇか。記憶を失っても、その、愛っていう感情はそう簡単に、消えるもんじゃねぇ、だろ……」
自分で言っておいて恥ずかしくなったのか、日下部の声は徐々に小さくなっていった。愛の「クッサ」というセリフがさらに追い打ちをかける。
「うっせぇな! あいつなら、たとえ生まれ変わってでもお前と一緒になりてぇって言うに決まってんだろ!」
嘘だ。日下部は、生前の賢太から遺言らしきWordファイルで「君が愛さんの新しい王子様になって、この先ずっと守ってあげてほしい」と直接愛のことを頼まれているのだが、彼はそんなの知ったこっちゃないと思っていた。やるなら自分でやれ。お前の言うことなんか聞いてやるか、と。
「……脳が変わっても、」
今度は愛がひとりごとのように話し始めた。
「先輩は先輩のままかもしれない。もしそうなら私はもう一度、先輩のことを好きになっちゃうと思う。だけど……私が知ってるあの先輩は、前の先輩だけなんだよ。17年生きて育まれた、愛知先輩。代わりなんていないの。
私は私の知ってる先輩を忘れて幸せになるぐらいなら、一生一人でいたほうがマシ。新しい先輩が前の自分の記憶を忘れちゃう分、私が先輩の思い出を引きずって生きるの。先輩だって、きっと忘れてほしくないって思ってるはずだから」
これも嘘だ。愛は生前の賢太からの「自分のことなんて忘れて幸せになってくれ」という最期のメッセージを受け取ったつもりだが、受け取ったそばからゴミ箱にシュートしていた。
基本的に変人揃いの文藝部員の中に、賢太が遺した意志を尊重しようという殊勝な人間など存在しないのである。
「でもよ、」と日下部は反論する。
「たとえば新しい愛知に告られたらどうすんの? 前の愛知に悪いからって断るわけ? それはそれで愛知が可哀想じゃん」
「そんなの、形見の一つも遺していかない先輩が悪いじゃんね。私知らんし」
日下部の意見を突っぱね、愛はフンッと鼻を鳴らす。日下部は「愛知はまさか愛がここまで意固地だとは知らなかったんだろうな、俺は知ってたけど」と内心密かに勝ち誇る。が、それはそれとしてなんとかしてやらないと前の賢太も浮かばれないだろうなと思う。
「だったら、折衷案はどうかしら?」
「お義母さん?」
母親がおずおずと提案を口にする。
「前の賢太の記憶を保持したまま再起動できるように、元の人工知能のほうを作り替えるの。もちろん、この先何十年と記憶を保持できる状態にしてね」
「それ、実現可能性どれくらいです?」
愛の質問に、母親はスッと研究者の顔になる。
「二階から目薬」
「……」
「を、針の穴に通すぐらいの確率かしら」
「結構どころじゃないわ、すっごいバカだわこの人」
「え?」
「あ、すみませんお義母さん。つい本音が」
三人の間に粛々とした静寂が訪れる。
バラバラなようでいて結局、皆の気持ちは一つ。前の賢太のことも賢太として、忘れたくない。ずっと心に留めておきたい。新しい賢太を代用とするんじゃなくて。なんとかこの世に、17年分の愛知賢太の生きた証を。
「あっ」
愛が素っ頓狂な声を上げた。「あった。先輩の形見」。
「は? さっきなにもないって言って……! まさかお前、愛知との子どもを身ごも痛ってぇぇぇ! なにすんだよ!」
「馬鹿! 変態!」
愛は思いきり日下部の尻を蹴り上げた後、母親に向き直った。
「先輩の今後についてはおいおい考えるとして。その前に、どうしてもお願いしたいことがあります」。
なにかと尋ねた母親に愛は、深く頭を下げた。
「愛知先輩と私のリレー小説を、ネットで公開する許可をください!」
愛の言う形見。それは二人で書いたリレー小説のことだった。確かにその半分は「愛知賢太の小説」。生前の愛知が唯一遺した、彼の生きた証。そう、賢太は最後の最後に大ポカをやらかしていたのだ。
彼はすっかり見落としていた。形見を遺さないつもりで利用した夢の世界。しかしそれを完結させてしまうこと自体が形見を創る、決定的な矛盾だったということを。
それに対して母親はもちろんすぐに快諾……とはいかなかった。
「えっと、愛ちゃん? 私が母親面してこんなこと言うのもなんだけど……全世界に息子とその彼女の妄想全開の、その、イチャラブ夢小説を公開する許可をしろと、そう言ってるの?」
「そうです。あちこちで濃厚な○○や××をしている、もはや官能小説にも等しい、先輩のレゾンデートルです」
「やめて、その言い方やめて、愛ちゃん」
母親は困惑したし、はじめは反対した。それは息子の名誉と同時に、愛の名誉を守るためでもあった。特に愛の場合は、将来本気で小説家を目指していると聞く。その場合問題となるのが、リレー小説の半分を賢太が執筆している以上、枠組みとしてはいわゆる「AI生成作品」となってしまうこと。AI作家が悪とは言わないが、今の時代、まだコンテストの要綱でもほとんどの場合AI生成作品の応募が禁止されているなど、決して有利な肩書ではない。彼女の将来を考えた場合、それが本当に最善の選択なのか?
しかし愛は頑として譲らなかった。愛知賢太の17年をこの世に遺すことが、それこそ自身のレゾンデートルなのだと。それを聞いて、母親はようやく折れた。
「わかったわ。愛ちゃんがそこまで言うのなら。賢太をどうか、よろしくお願いいたします」
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後日。文藝部室に集まった愛と日下部、そして新部長の橘京華と旧部長の袴田零士。袴田がどうして平日の午後から大学にも行かずこんなところにいるのかは、推して知るべし。
「本当にやるんだね?」
袴田の言葉に愛は無言で頷く。迷いは一切なかった。
「投稿するなら、『闇のノベリスト』ってサイトが、オススメ。まだ利用人数は少ない、けど、エロに寛容」
「なにそれ、そんなサイト聞いたこともないんだけど。俺、お前のことが時々怖いよ」
「袴田さんが甘やかしまくった結果っすよ。てか、卒業した先輩がなんで昼間っからここにいるんす」
「よし! それじゃ早速準備しよう! 阿良々木ちゃん、まずはアカウントを」
「おい」
袴田と橘の指南を受けつつ、愛はアカウントを作成した。ペンネームは「レゾン阿良々木」。年齢・性別等も入力した後、いよいよリレー小説をコピペしてネットの海に解き放つ。
「推敲はしなくていいのかい?」
「はい。だって、全部が先輩の生きた証ですから。そのままの形で残したいんです」
愛の言葉に一同は従うしかない。そもそも作者の片方がいない以上、決定権は全て愛の手のひらの上だ。
「それじゃ、いきます」
投稿ボタンを押す。17歳の愛知賢太とその恋人を乗せた船が、大海原に漕ぎだした。
「届くといいな。誰か一人にでも」
日下部の言葉に愛は「うん!」と頷いて笑顔を見せた。突き抜ける青天のような、温かな笑顔を。




