第17話 底辺配信者は迷わない
膠着した場に風穴を開けるべく、聖は勢いよく手を上げた。
突然の彼の行動に、先ほどまで沈黙していた冒険者たちがざわつき始める。
やってしまった――。
この場で最も実力も実績もない自分が、皆の注目を浴びる行為。
それが身の程知らずなことは、理解していた。
けれど、止められない。
「今すぐ双子を助けに行ったほうがいいんじゃないのか?」
突拍子もない提案だった。
静まり返っていた冒険者たちの間に、どよめきが広がる。
そのざわめきを前に、大門は困ったように頭を掻いた。
「お前なぁ。簡単に言ってくれるが、それがどういうことか――」
彼の憐憫を帯びた視線に、聖は顔を強張らせる。
「待って」
華凛が強引に言葉を挟んだ。
身を乗り出した彼女は、すかさず理事長へ視線を移す。
「説明しても、よろしいのかしら?」
華凛の瞳を静かに見つめ、理事長は小さく「かまわんよ」と答えた。
その言葉を合図にするように、華凛は聖へと振り向いた。
「銀色のスライム――いえ、『スライム=メタリオン』と戦ったことはある?」
聖は一瞬だけ彼女の目を見返し、静かに首を横に振った。
「足が速くてすぐに逃げる。倒せれば見返りは膨大」
華凛は少しだけ声を落とし、聖の反応を確かめるように続ける。
「『羅針盤』に載らないせいで都市伝説扱いされているけど、ある程度冒険者を続けていれば、何度か遭遇するぐらいには有名なモンスター」
一息置いて、さらに核心を突くような口調になった。
「だけど、攻撃する時に虹色に光ることを知っている冒険者は少ない」
ドーファムは部下に持たせたタブレットへ笑顔を落としていたが、その細い視線だけは華凛へと向いていた。
「情報に大きな溝ができている理由はわかる?」
聖は焦燥から、苦悶に表情を歪ませていた。
そんな彼を察するように、月乃がルナのスピーカー越しに答えた。
「戦った人のほとんどが死んじゃったから」
華凛が人差し指をルナに向け、ふわりと笑った。
「正解。目撃は多数されている。けれど、倒した冒険者は少ない。DRAの討伐推奨ランクは『A+』。見たら逃げろってことね」
聖は拳を硬く握りしめ、震えを押し殺すように力を込めた。
――誰も、助けに行こうとは言わない。
最弱の自分が口にするべき言葉ではないと分かっていた。
それでも、胸に収め続けるのは限界だった。
「今すぐ助けに行こう」
聖の攻撃的な視線と、低く重い声音。
それを受けた華凛は、小さくため息をついた。
「私たち古参の冒険者が倒すのに苦労するモンスター。その本体。おそらく討伐推奨ランクは『S』。私を含めたこの場の全員が協力しても――」
「だからっ! 何だってんだよ!!」
絞り出すような聖の叫びが、地下1階層を震わせた。
感情をむき出しにする彼を、華凛の据わった目が見つめ返す。
その氷のような冷静さが、聖には『双子救出の断念』を宣言しているようにしか思えなかった。
「勝てるかわからないから、助けに行かない。俺にはそう言っているようにしか聞こえなかった!」
聖の叫びを皮切りに、周囲が怪訝な視線を向け始めた。
あちこちでぼそぼそとささやきが漏れる。
「おい、誰かあの新人を黙らせろよ」
「どんな気持ちで華凛さんが言ったのかわからないのか?」
「底辺のくせに、調子に乗りやがって」
聖を取り巻く空気が、敵意へと塗り替えられていく。
殺伐とした気配に気づき、大門が険しい表情で聖に近づいた。
「聖――だったか? 悪いがはっきりと言わせてもらうぜ」
聖は唇を噛みしめながらも、真っ直ぐに大門を見据えた。
「俺たち『ザ・ヒーロー』は今回のクエストに参加しない」
聖の怒りが、絶望に塗り潰されていく。
なんとか動いてくれるはずだ。そんな淡い期待は、あまりにも明白な拒絶によって無残にも粉砕された。
「なんで――」
「なんで古参の俺や華凛が、生き残っているかわかるか?」
大門が放つ圧に、聖は言葉を詰まらせ、口を閉ざした。
「臆病だからだ。未知の敵、未知の階層、深奥、挑戦するときは必ず入念な調査と準備をする。三日、一週間、場合によっては一か月。それぐらいかける」
何とか言い返そうと足掻く聖だったが、大門が突きつける現実の重みに、言葉が喉の奥から出てこなかった。
「もう一つ質問だ。最上位のランキングは日々変化する。一部例外もいるが、一年もすれば十位以内のチームはほとんど入れ替わる。なぜだ?」
大門の真っ直ぐな眼差しを受け止めきれず、聖は力なく視線を伏せた。
「みんな死んだ。若くて才能のある奴らは、迷宮の奥へと血気盛んに進んでいく。新たな階層、新たな敵、地位、名誉、普通に生きていたら目にできない財宝。誰もが『ニュールート』の虜になっていく。才能があったがために」
大門の言葉が自分を護るためのものだと、聖にはわかっていた。
彼がただの冷徹な人間であれば、どれほどよかったろうか。
自らの未熟さと、大門の優しさに、聖はただただ打ちのめされていた。
「そして、また新たな冒険者が上位ランクに入ってくる。この繰り返しだ。――俺はもう、若い奴が死んでいくのを見たくない」
大勢の足音が遠ざかっていく。
そちらに目をやると、ドーファムをはじめとする冒険者たちが、背中をみせてこの場から離れていくところだった。
「ヘルモンテは辞退でいいのかな?」
理事長が問うと、ドーファムは足を止め、笑顔を見せた。
「当然デス。大門サンがおっしゃる通り、ヘルモンテの才能ある冒険者たちを、無駄に消費する訳にはいきませんデス。まあ――」
ドーファムの横に控える女性がタブレットを指で弾く。その画面を横目で流し、男は下卑た笑いを浮かべた。
「『虹彩液』を全てヘルモンテに回収させて頂けるのなら、話は別デスが」
ドーファムの口元が、ニタァと開かれる。
「残念だが、緊急クエストで発生した素材は全てDRAが回収する」
「オーッ! 残念デスッ!」
ドーファムを先頭に、数十名の冒険者がこの場を離れていく。
理事長の横を通り過ぎる際、彼は不自然に顔を寄せた。
「現れるといいデスね。安い報酬で命を懸けてくれる、おバカな冒険者が」
わざとらしく小声で吐き捨て、ヘルモンテの面々は姿を消した。
不気味なドーファムの振る舞いに、月乃が傍らの華凛に尋ねる。
「あいつ、最後に何を言ったの?」
月乃の問いに、華凛は周囲を気にするように声を潜めた。
「今回のようなクエストの相場は、一人救出で百万。マスタングに嫌味の一つでも言ったのでしょう」
「そんな……。ムカつく奴だけど、でもっ!」
ルナから、掠れるような月乃の声がした。
「みんなで協力しちゃうと、タダみたいになっちゃうなんて。なんでそんな……」
月乃の言葉を受け、華凛の目元に悲痛な影が落ちる。
「このクエストはね、表向きは救出だけど、実際は遺体回収が目的なの」
二人の会話を聞いていた聖が、ゆっくりと彼女たちに目を向けた。
視線に気づきながらも、華凛は構わず話を続ける。
「大門はああ言ったけど、態勢が整い次第クエストを受けるはずよ。もちろん私たちも。ただ、それが今じゃないってだけ」
胸の動悸が止まらない。
聖は胸元を強くつかみ、服を握りつぶすように力を込める。
思考は堂々巡りを繰り返し、こみ上げる吐き気が喉元までせり上がってくる。
明らかに様子のおかしい聖に、月乃が不安げな声をかけた。
「大丈夫?」
聖は力なく顔を上げて、ルナのカメラを見つめた。
揺れる瞳孔。
月乃は引き攣るような声を飲み込み、震える吐息がスピーカー越しに届く。
「私はわかるよ。昔からお兄ちゃんは、助けを求める人に手を差し伸べずにはいられないもんね」
妹の甘い声に、希望の光が差し込む。
しかし、月乃は声を落として聖に告げる。
「でもダメ。今回は諦めて」
すぐに目が曇る聖。
「なんで、お前まで……」
普段は見せない兄の絶望の声色に、息を震わせる月乃。
けれども、それでも兄へと突き放すように語りかける。
「上位ランカーが勝てないんだよ? お兄ちゃんが行っても、無駄死にするだけじゃん」
「決めつけるなよ!」
「決めつけるのは、そっちじゃない!」
聖よりも強く、大きな叫びだった。
「みんなの力を合わせればとか、奇跡が起こればとか、そんなものに命をかけないでよ!!」
周囲に響く声に、誰もが口をつぐみ顔を背けていた。
見てられない、という顔つきだった。
聖もまた、妹の腹の底からの叫びに気圧されていた。
だが、それでも、目をそらし、口ごもりながら反論する。
「でも、それじゃあ、アルとエルが――」
「アルとエルだからだよ! 私たちがされたこと忘れたの? 利用されたんだよ? 殺されかけたんだよ?」
月乃の声が震えていた。
自分が妹を泣かせていることに気づいた聖は、一瞬で胸の中が罪悪感で満たされてしまった。
身勝手な意見を恥ずかしげもなくまき散らし、あまつさえ大事な月乃を否定してまで自分の庇護欲を満たそうとしている。
周囲のざわつきに耳を傾けると、他の冒険者たちが双子の悪態をついていた。
「そうだよな。双子だしな」
「いい気味だよ。今までどれだけの新人があいつらのせいで死んでいったか」
「誰が双子のために命をかけるかっての!」
――金銭でも、理屈でも、感情でも、双子を助ける理由はなくなっていた。
残っているのは独善的な自分の欲求だけ。
「……っ!!」
聖は腕を震わせながら、強く拳を握りしめた。
そんな兄に、月乃は鼻を啜りながら畳みかけた。
「やっと、お金の心配しなくて良くなったんだよ? ずっと一緒にいられるようになったんだよ?」
月乃の言葉が嫌になるぐらい、胸に染み込んでくる。
「どうしても行きたいなら、華凛さんや大門さんたちと行ったらいいんだよ。それなら生き残る確率は上がるし、お兄ちゃんも後悔しなくて済む」
むき出しの感情をぶつける月乃と、それを受け止めきれずにいる聖。
華凛と大門、そして理事長の三人だけが、二人のやり取りを真っ直ぐに見つめていた。
力ない笑顔で聖はルナのカメラを覗き込み、画面の向こうにいる月乃にかすれた声で告げた。
「それでも俺は、双子に死んでほしくは――」
「私のことも考えてよ!!!」
月乃の叫びが、地下1階層に響き渡った。
「お兄ちゃんがいなくなったら、私はどうしたらいいの?」
鼻をすする音が聞こえる。
「嫌だよ。耐えられないよ」
聖は息を詰まらせた。
――耐えきれない。
妹を悲しませている自分に。
月乃と出会った、すべてが灰に染まっていたあの日。
空洞の瞳に問いかけられた瞬間。
俺は必ず彼女を助けると、誓ったはずなのに。
込み上げる感情を押し殺しながら、聖がゆっくりと顔を上げた。
「――そうだな」
意を決し、カメラの向こうにいる月乃と向き合うように、まっすぐレンズを見つめた。
ふと、視界の奥に佇むヒナの姿が目に入った。
思い返せば、先ほどからヒナは一言も口を開いていない。
理由はわからない。それでも気づけば、聖はヒナのもとへと歩き出していた。
聖の影が、ヒナを覆った。
彼女はその気配に気づき、ゆっくりと顔を上げる。
目が合った。
けれども、彼女は何も言わなかった。
ただ、聖をじっと見つめていた。
内心を覗き込むような、透き通った瞳で。
その姿が、なぜかあの日の月乃と重なった。
――どうしたい?
力強く首を横に振った。
違う。
ヒナも、あの日の月乃も、何も聞いていない。
ただ、見つめているだけ。
あのとき、俺は月乃の手を取った。
何も考えずに、ただ、胸の奥底から沸き上がった何かに突き動かされて、無我夢中で手を伸ばした。
冒険者になったことも。
双子の探索に同行したことも。
大した理由なんてなかった。
どうにかしたくて、必死にもがいていただけだった。
「それでしたら、救って差し上げましょう!」
はっと、意識が現実へ引き戻された。
目の前のヒナは、何も言っていない。
それでも聖の頭には、出会った時の彼女が放った言葉が、鮮明によみがえっていた。
ふと手を見る。
いつの間にか、震えが止まっていた。
そうだ。
俺は、なんで忘れていたんだ。
地下45階層に潜って、ヒナと出会い、隠し部屋に入り、手の届かない存在だった上位ランカーたちと肩を並べて。
――理屈で選んだことなんて、一度も、ない。
「……お兄ちゃん?」
月乃の不安そうな声が聞こえた。
聖はルナへと振り返る。
不思議と、胸にあった迷いは消えていた。
諦めかけていた思いが、無謀な願いが、手の届く希望へと変わっていく。
澄んだ空気の朝を迎えるように、聖は顔を上げ、はっきりと前を向いた。
「月乃、俺を信じてくれ」
月乃は何も答えない。
「お前を絶対に悲しませたりはしない」
聖はルナのカメラ越しに、妹へ笑いかけた。
そして、迷いなくヒナへ向き直る。
「ヒナ、いいか?」
聖が手を差し出すと、ヒナはにっこりと笑って秘宝を渡した。
それを受け取り、聖は買取カウンターへと歩いていく。
背中に集まるいくつもの視線を感じながら、みちるの前へ立った。
「これを買い取ってくれ」
カウンターに、秘宝を置いた。
みちるは心配そうに聖を見つめていたが、迷いの消えた穏やかな表情を確かめると、ふっと営業スマイルに戻った。
「わかりました。一括払いと分割が選べますが、どちらに――」
「いや」
言葉を遮られたみちるが、戸惑ったように眉を寄せる。
「お金はいいよ。それより」
「何を言って――」
聖は、どこか楽しそうに笑っていた。
その表情を見て、みちるの目が大きく見開かれる。
「あなた、まさか――」
「これで交換できる分。最新の武器と防具、それにありったけのアイテム、あと強化アンプルも」
「お兄ちゃん!!」
背中から月乃の叫び声が聞こえた。
それでも、もう聖は止まらない。
「底辺の俺が、地下45階層で生き残れるように――」
聖が勢いよく振り返った。
その視線の先にいるのは理事長。
「俺がやる! 緊急クエスト!」
その場にいる全員の視線が、聖に集まった。
そして、大勢のひりついた視線に怯むことなく、大声で宣言する。
「今からチーム『LUNAR』は、双子の救出に向かう!」
一瞬の静寂。
やがて理事長が、にやりと口元を歪めた。




