第15話 一万円の秘宝に、二億の値がつく
「して、みちる君」
理事長の言葉に、聖たちが戸惑った。
「みちる?」
誰? と周囲を確認する三人。
理事長が見つめる先にいるのは、カウンター越しに震える受付嬢だった。
「……あんた、みちるって言うんだ」
月乃の言葉に受付嬢――みちるの顔が赤くなる。
「何か問題でも? つか、年上にため口っ!」
これまでにもその気はあったが、冷静で大人な立ち振る舞いは完全に影を潜め、人間味のある素の女性がそこにいた。
聖とヒナが一瞬目を合わせて、すぐにみちるへと向く。
「みちるさん」
「みちるお姉ちゃん」
「あんたら私のことバカにしてるでしょっ! ――はっ!?」
理事長が、みちるを睨んでいた。
みちるの顔から血の気が引いていく。
「な、何でしょうかぁ?」
顔をひきつらせながらも、必死に営業スマイルへ戻そうとするみちる。
「……秘宝の鑑定は君が行ったように見えるが、その認識で間違いはないな?」
「う――」
声が漏れた。
追い打ちのように月乃が理事長に語り掛ける。
「聞いてよ。この女、秘宝を一万円で買い取ろうと――」
「どっせい!!」
叫びながらカウンターをジャンプで乗り越えたみちるが、目にも止まらぬ速さでルナのスピーカーをふさいだ。
「ちょっと! 何してんの!」
「あなたこそ、何を言っているのかしらぁ? 理事長を混乱させたらダメよ」
「一万だと?」
理事長の一言に、みちるの動きがピタリと止まった。
「貴様……まさか、三大秘宝の一つを一万と査定したのか?」
「――っなわけないですよぉぉぉっ!!」
必死の形相で、みちるが大声で答えた。
「ドローンが一万円と言ったように聞こえたが?」
「千! 一万円ですっ! 千が聞こえにくかったのかなぁ? スピーカーの調子が悪いんですかね、このドローン」
深く腕を回してがっちり抱きしめるみちるから逃れようと、プロペラの回転数を上げるルナ。
ギシギシとフレームの軋む音に反応して、聖が止めに入る。
「おいおい、みちるさん。ルナを壊さないでくれよ」
「当たり前のように下の名前呼ばないでくれますかぁ?」
みちるが聖へ意識を向けた一瞬の隙に、ルナが腕から逃げ出した。
「あっ!」
みちるに捕まらないように理事長の目線すぐそばに移動するルナ。
「五百万の価格を一万円でぼったくろうとしてたのよ」
「五百万?」
理事長の眉がぴくりと動いた。
「ば――ばかっ!」
ルナを止めようと手を伸ばすみちる。だが、その挙動が理事長の顔をさらに不快に歪ませる。
「五百万とは何の話だ?」
「あ――え――っと」
みちるの動揺が強まるほど、理事長の眉間のシワが険しさを増していった。
「『唯一無二なる迷宮の神笏』の情報は共有されているはずだが」
「そ、それはもう。アーカイブはリアルタイムで更新されていますので、もちろん私も随時確認しています。……はい」
みちるの声が語尾にむかってどんどん小さくなっていく。
理事長が指を弾くと『唯一無二なる迷宮の神笏』の情報を映し出したパネルがくるりと反転し、みちるの正面を向いた。
そこには『クラスSSS』と記載されていた。
「ダンジョン対策局、第十四条は覚えているな」
「は、はい!」
「なら暗唱しろ」
あっけに取られる、みちる。
周りの無言の視線に、ぐっと下唇を噛み締めながら、唱え始める。
「……当該施設内において『クラスSSS』に該当する物品が持ち込まれた場合、直ちに専門管轄部署へ報告し、その指示を仰ぐこと」
途端に、ルナが声を張り上げた。
「理事長さん! 質問があるんだけど」
「何かな?」
「みちるさんに、五百万を提示されたんだけど」
みちるを見ると、両手を口の前に掲げ、指先をあわあわと小刻みに動かしていた。
「これって適正価格なのかな?」
月乃の質問に口元をつり上げる理事長。
次の瞬間、力強く杖で地面を叩いた。
鳴り響く重い音に、その場の全員の肩が跳ねる。
「五百万か……私なら、その場ですぐに現金を用意するな」
全員が、みちるへ目を向けた。
「嘘だろ……あの場でまだぼったくろうとしていたのかよ」
「とんだ詐欺師ね……やっぱり『さん』付けするのやめよう」
皆の蔑む視線に、みるみる顔が青ざめていくみちる。
「おい、あれって……」
「マスタング理事長!? 何でこんなところに」
地下1階層を歩く人たちが、理事長の存在に気づき始めていた。
ほとんどの人が距離を取り、ヒソヒソと探り合う中、一際体格の大きい初老の男がこちらに近づいてきた。
「やっぱりマスタングじゃねぇか!」
男が、親し気に理事長へと肩を組んだ。
「理事長さまが、こんな下々の場所で何してんだ? あぁん?」
理事長は表情を変えずに、男の腕を引き離す。
「騒々しいと思ったら、まさかあなた達だったとはね」
またしても知らない人物。今度はドレス姿の女性が現れた。
理事長と男が声の方へ視線を向ける。
「華凛じゃねぇか! どうしたおい! 今日は同窓会か?」
仲良さそうに話す三人に、置いてきぼり感をくらう聖たち。
耐えきれないかのように、ヒナが聖の裾を引っ張った。
「結局、『うめぇ棒』はどうしたらいいのでしょうか」
「いや、俺に聞かれても……なあ?」
聖がルナを見ると、突然「あっ!」と月乃が声を上げた。
「ど、どうしたんだよ急に」
「思い出したのよ。あの人たちのこと」
聖が理事長たち三人に目を向ける。
「あの男、ランキング十三位の『ザ・ヒーロー』のリーダー、大門京介よ」
巨大な体躯に、隆々とした筋肉。
顔つきだけは年老いているが、その立ち振る舞いや言動に衰えた様子は一切見えない。
「あと、華凛って人も二十一位『ノーブル・クラウン』のリーダー。二チームとも古参なのに、未だ上位に食い込む伝説級の冒険者よ」
整った顔立ちと細身の体つきで一見若い女性に見えるが、言葉の端々や振る舞いから、見た目以上の年齢を感じてしまう。
ふいに隣からヒナが割り込んだ。
「お二人も昔からの冒険者なんですね」
当然のように、上位冒険者たちと並び立つ聖。
その現実に、押しつぶされそうな圧迫感と、胸がすくような高揚感で息が詰まりそうになった。
そんな緊張感の裏で、無邪気にヒナが抱えている『うめぇ棒』。
今更ながら、これが本当に秘宝だという実感に鼓動が強く波打った。
「で、理事長さまは、ここで何をしているのかしら?」
華凛はスマホで口元を隠し、理事長に問う。
その芝居がかった仕草を見て、理事長は諦めるように口を開いた。
「『原初の空欄』が二つも埋まった。この目で確認したくもなる」
華凛の目が据わる。
「えっと……」
反対にしどろもどろする大門。
「何となく覚えているんだが、何だっけ?」
大門の適当な返事に、理事長が軽くため息をする。
すると代わりに華凛が答えた。
「『理の羅針盤』の空欄よ。私たちが見つけることのできなかった《《始まりの十》》」
華凛がヒナの持つ『うめぇ棒』をちらりと見る。
「その内の一つ。俗にいう秘宝ね」
その説明を聞いた大門が、大笑いしながらヒナへ近寄った。
「思い出したぞ! 若いころ必死に探した秘宝がそれだったのか!」
華凛も、ヒナを挟むように反対側から歩み寄る。
「どう見ても駄菓子にしか見えないけれど……」
華凛は呆れと、隠し切れない悔しさを混ぜたため息をついた。
「マスタングが言うのだから、そうなのでしょうね」
「ちょっと待ってくれ!!」
聖の声が響いた。
きょとんとする大門と華凛。
「盛り上がってるところ悪いんだが、俺たちは秘宝を売りに来ただけなんだ」
聖の視線が、さっきから他人事のようにそっぽを向いているみちるへ向く。
「結局いくらで買い取ってくれるんだ? 五百万とは言わせないぞ」
突然、話の中心に戻されたみちるは、口元を震わせてあわあわとうろたえる。
その時、大門が怒声に近い大声を上げた。
「五百万んんん?」
大門は呆れと怒りをまぜた顔で、勢いよく理事長へ振り返る。
「マスタングてめぇ。知らないうちにDRAをみみっちぃ組織にしちまったみたいじゃねえか?」
ドンッ、と大門が右足で力強く地面を蹴った。
「俺たちの悲願をたったの五百万で買い取ろうとは、見損なったぜ!!」
大門の啖呵にも、理事長は表情を変えず、ただ静かに耳を傾けている。
「チッ!」
相手にされていないと悟った大門は、すぐにヒナへと視線を向けた。
そして、『うめぇ棒』を抱えるヒナに向かって、片手でパーを突きつけた。
「五千万で買おう」
聖の口元が力なく半開きになった。
その横でルナがふらふらと漂い、ヒナの頭上に、スン、と着陸する。
大門は、ばつが悪そうに後頭部を掻いた。
「すまねえな。本当ならもっと出してやりてぇところなんだけどよぉ。あいにく手持ちに余裕が無くてなぁ」
「ご…五千万」
ルナのスピーカー越しに、月乃が息を呑む音と震える声が響いた。
「なら、私は一億出すわ」
涼しい顔で、華凛がスマホを掲げた。
「電子決済でよろしければ、この場でお支払いしますわ」
挑発するように、大門へ向けてにやりと笑う華凛。
「てめぇ、当てつけか!」
「あら? 脳筋のあなたでも気づくようになるのですね。年だけは取りたくないわぁ」
華凛の高笑いに、苛立ちを見せる大門。
「この年増! お前の年齢みんなに言いふらすぞ」
「実年齢は見た目の年齢なのですぅ。なので今年も二十九歳ですぅ」
言い争いを始めた二人をよそに、呆然と立ち尽くす聖。
「あのー」
ヒナが上目遣いで、頭上のルナに話しかける。
「結局、お金は稼げたのでしょうか?」
「――え?」
ヒナの純粋な問いかけに、月乃の間の抜けた声が返ってきた。
「そ、そうね。うん。稼げた。何もかもがどうでもよくなるぐらい……」
その答えに、ヒナがにぱっと笑う。
「なら、良かったです」
その笑顔を見て、桁違いの金額提示に現実感を失っていた聖の思考が、ようやく正常に戻った。
――全部。ヒナのおかげだ。
ついさっきまで家賃の支払いに頭を抱えていた俺たちが、そんな悩みがどうでもよくなるぐらいの大金を目前にしている。
「ワタクシなら、二億円で買うのデス」
唐突に、聞き覚えのない声が響いた。
声の方に目を向けると、『うめぇ棒』の争奪戦に、見知らぬ男が混ざっていた。
恰幅が良く、いかにも羽振りの良さそうな装い。
嫌な予感が過った。
「月乃、もしかしてあいつも?」
「ランキング九位、ヘルモンテのリーダー、ドーファム・吉祥。本人の実力――じゃなくて、莫大な資金力と、彼が雇う百人以上の冒険者で伸し上がった成金チームね」
「なるほど……それだけ囲えるなら、2億円ぐらい」
引き笑いする聖。
一億ですら現実感がなかったというのに、二億ともなると、もはや喜んでいいのかすらもわからない。
「理事長現れるところに、金脈あり、デス」
ドーファムは、ねっとりとした目つきで理事長を見下ろす。
「二億程度でお宝が買えるのなら、安い買い物デス」
下卑た笑みを浮かべるドーファムに、大門と華凛が悔しそうに歯ぎしりをしていた。
「なんだなんだ? 上位冒険者が集まってるぞ」
「てか、あれDRAの理事長じゃね? なんでこんな場所にいるんだ?」
「それより、あいつら『クロノス』ともめていた奴らじゃね?」
「本当だ……第一位の次はヘルモンテに、開拓者に、理事長!? 何なんだよあいつら……」
買取カウンターを囲むように、野次馬の人だかりが膨れ上がっていく。
がやがやとした喧騒は収まる気配を見せず、収拾がつかなくなっていた。
そんな中、これまで沈黙を貫いていた理事長が、深いため息をついた。
そして、杖で再び地面を強く叩いた。
甲高い音が空間を裂いてどこまでも遠く鳴り響く。
その言葉を失わせるほどの重圧に、周囲の空気が凍り付いた。
一瞬にして、買取カウンター前は静寂に包まれる。
「みちる君」
「は、はいっ!」
「DRAの規則は熟知しているな?」
一瞬ぽかんとするみちるだったが、すぐにはっとして背筋を正した。
「も、もちろんです」
「では、ここにいる皆に改めてお伝えしろ」
「は、はい! 『ニュールート』内で発見した物品および資源は、すべてDRA――ダンジョン対策局が独占的な買取権を有します」
ドーファムが「チッ」と不機嫌そうに舌打ちをする。
「したがって、一般人及び冒険者間での売買は原則禁止です。現金化の際は必ずDRAを通してください。規則を守られない場合、強制拘束の対象となります」
場が再びざわつき始める。
しかし、先ほどのような混乱はなかった。
どこか畏怖を含んだ静かな動揺。
「ふぅ」
みちるが小さく安堵の息をつく。
理事長はみちるの側まで歩を進めると、聖たちの方へ向き直った。
「みちる君。して、『唯一無二なる迷宮の神笏』の鑑定価格はいくらかな?」
みちるが急いでカウンター内に飛び込み、キーボードを叩いた。
数秒後、画面を見つめたまま息を呑み、聖たちに伝える。
「一億千五百万……になります」
「だ、そうだ」
理事長がにやり、と笑った。
聖とルナは、ただ呆然と立ち尽くしていた。
だが、その脳が現実を理解した瞬間、二人に戦慄が走った。
「ヒナ……手」
「はい?」
「手、上げて」
促されるまま手を上げるヒナ。
聖は迷いなく、その手のひらを力強く叩き合わせた。
「――っしゃあああ!!!」
「ありがとうヒナ!! あんたを信じて正解だったわ!!」
感情が、噴き出すように爆発する。
「い、痛いですよぉ」
手をさするヒナだったが、はしゃぐ2人の姿を見て、釣られるように笑った。
聖たちの歓喜を横目に、みちるは黙々とキーボードを叩き続ける。
「はぁ……もう少しだったのに」
その指が、ふと止まった。
「理事長っ!」
みちるの緊迫した叫びに、聖たちが振り返る。
理事長も既に、深刻な面持ちで『理の羅針盤』を広げていた。
「ああ――把握してる」
その言葉と同時だった。
地下1階層に、不吉なアラームが鳴り響く。
場が騒然としていた。
「なんだ、何があった?」
聖の問いに答えるように、天井からアナウンスが流れた。
《緊急連絡。地下45階層にて、白き双翼のドローンが消失。よって、現時刻をもって全冒険者に緊急指令を通達します》
「白き双翼――双子が? 何で?」
ルナがヒナの頭上から飛び立ち、カメラを聖に向ける。
「わかんないわよ。あいつら、何でまた45階層に……」
《――繰り返します。近隣の冒険者は直ちに白き双翼の救出に向かってください》
聖が息を呑み、理事長を見据えた。
理事長もまた、その視線に応えるように静かに告げる。
「緊急クエストというやつだ。――どうする? 聖君」




