第二章
――午後の光が、床の上で白くほどけている。
幼いセラフィールが、窓辺に座っていた。
閉ざされた瞼を、光の気配へと顔を向けている。
「セド」
顔は光の方向に向けたままセドリックに問いかけた。
「はい、兄上」
「……もし、私が人じゃなくなったら、どうしますか?」
唐突な問いだった。
セドリックは少しだけ考えてから、よくわからないというように首を傾げる。
「兄上は人間じゃなくなっちゃうんですか?」
「……わかりません。今はまだ人間です。……たぶん」
王宮を離れ、神殿で暮らすセラフィールは、すでに理解していた。
自分が神の器であること。
いつまでも子供のままでいることは許されないのだと。
神を降ろしたあかつきには人でいることすら許されてはいないのだと。
「セドは私が人じゃなくなっても、私のことを兄と呼んでくれますか」
静かな声だった。しかしその奥に微かな揺らぎがあった。
セドリックには、その意味がよく分からなかった。
だから、ただ思ったままを口にした。
「はい。兄上はずっと、僕の兄上ですから」
わずかな沈黙。
セラフィールは、ほんの少しだけ息を止めたようだった。
それから、綺麗に微笑んだ。
その時の自分には分からなかった。
微笑んだ兄の表情の下に、どんな痛みが隠されていたのか――
セドリックは黙って指先をセラフィールに伸ばした。
セラフィールは、決して触れさせてくれない。
言わなければ、少しくらい触れても気づかれないかもしれない――。
セドリックはそっと白く綺麗な指先に触れた。
その指は人のものとは思えないほど繊細で、それでも確かに、温かかった。
――次の瞬間。
濁流のような魔力が、触れたところから一気に流れ込んできた。
何が起きたのか理解する前に、身体の内側を知らない力が駆け巡った。
幼いセドリックには、到底受け止めきれない量だった。
「あ……っ」
それに気づいたセラフィールが息を呑み、セドリックを強く抱きしめた。
細い腕が、必死に絡みつく。
流れ込んだ魔力を、懸命にセドリックから引き剥がそうとしているのが分かった。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
繰り返される声。
その声を聞きながら、セドリックの意識は静かに途切れた。
意識を取り戻した後、セドリックは自分の身に何が起こったのかを聞かされた。
セラフィールの持つ膨大な魔力がセドリックに流れてしまったこと。
それは双子であるがゆえに、魔力の性質がほぼ同じなために、起こったこと。
セラフィールはその可能性を懸念して、ずっとセドリックに触れずにいたこと。
「私は、覚えています」
セドリックは静かに言った。
「兄上の指は、温かかった」
白い肩が、かすかに震える。
「私は寂しかった」
その言葉は、思っていたよりもずっと静かに落ちた。
責めるつもりはなかった。
ただ、それだけだった。
「兄上は私に触れてくださらない」
「……触れれば、また」
「それでも」
兄の言葉を遮るように、セドリックは続ける。
「私は兄上に触れて欲しい」
沈黙が、長く落ちた。
遠くで鐘が鳴り始める。
祈りの時間を告げる、澄んだ音。
セラフィールは杖を握る手に力を込めたまま、立ち尽くしていた。
やがて。
ほとんど息のような声で――
「私は」
言いかけて、止まる。
そして、ようやく。
「あなたを壊すのが、怖いのです」
その言葉だけを、絞り出した。
小さく。震える声で。
「壊れません」
セドリックは言った。
「……私は怖いのです」
わずかに間が落ちる。
「この力が」
白い指が、かすかに震えた。
「知っています」
わずかな間。
「双子であるがゆえに、兄上が触れてくださらないのだとしたら、今だけは――」
ほんのかすかに、言葉が沈む。
「兄上と双子であることを、恨みます」
それでも、声は揺れない。
「触れてください。私はここに――兄上のすぐ前にいます」
長い沈黙ののち、白い手がゆっくりと動いた。
ためらうように。
探すように。
ほんのわずか。
頬に、あの時と同じ温かい感触が落ちた。
セドリックは息を止めた。
だが、何も起こらない。
ただ、兄が弟に触れただけだった。
セラフィールの喉から、吐息のような声がこぼれる。
おそるおそる、今度はもう片方の手が伸びてくる。
ゆっくりと頬に触れ、白い指がそこに留まった。
「……ありがとう、セド」
幼い日の呼び方で。
セドリックは返事の代わりにほんの少しだけ目を伏せた。
「行きましょう、兄上」
セドリックはセラフィールの手を取った。
セラフィールはその手を拒まない。
セドリックは兄の手を引き、ゆっくりと歩き出した。




