第13話
5月16日
換気口から光が差し込んできたとき、俺はまだ毛布の中にいた。
眠れなかったわけじゃないが、目が覚めると手が動いていた。
ぽこん。
すっ。
ぽこん。
すっ。
タイルの壁に音が返ってきた。
換気口から外の気配を確認する。
遠く街の上空に飛行モンスターの影が見えた。
羽ばたきが重い。
ノートを開いた。
昨日の記録の最後に「キューブによる封鎖完了」と書いてある。
その数行上に、別の文字が目に入った。
『成長発生時期、不明。検知遅れ』
キューブが3個出せるようになったことに気づかず、検知が遅れたときに書いた文字だ。
あのときは崩壊前で、見落としても次の日があった。
だが今は違う。
遠くの空に飛行モンスターがいる。
街が燃えている。
通信が死んでいる。
怖い、というより、把握できていないまま動くことへの嫌さがある。
だから先に確認する。
「総点検だ」
メジャーを取り出した。
崩壊翌日の朝にトイレでメジャーを握っている人間が世界に何人いるのか、という疑問は一瞬浮かんだが、たぶん俺だけなので考えるのをやめた。
最初に確認すべきは距離だった。
2メートル制限は以前に測定した値だが、その後スキルが成長しているので確認していない。
崩壊前の測定値を信用したまま実戦に入って届かなかったでは話にならない。
今日測り直す。
キューブを扉の封鎖から解除して、外へ出た。
空を見上げると遠く街の上空に黒い影がいくつか見えたが、今のところこちらへ向かってくる気配はなかった。
メジャーを伸ばしながら、慎重に距離を刻む。
1メートルで出る。
1.5メートルでも出る。
2メートルで出る。
2.3メートルを狙うと、何も起きない。
2.1メートルも出ない。
2メートルちょうどに戻すと、ぽこんと現れる。
「変わってないか」
少しだけ息を吐いた。
感覚で「たぶん2メートル」と思っているのと、今日測り直した確定値として持っているのでは、実戦での判断の速さが変わる。
ノートに書く。
出現距離、2メートル。
成長後も変化なし。
本日測定、確定値。
トイレに戻って扉を封鎖し直した。
次はサイズだ。
今まで上限と下限の正確な値を一度も測らず、なんとなく動かせる範囲で動かしていただけだ。
それは今日で終わりにする。
「小さく」と意識しながら、少しずつ縮める。
14センチ。
まだいける。
12センチ。
10センチ。
数字が落ちるたびにメジャーを当てて確認する。
7センチ。
5センチ——そこで止まる。
メジャーを当てると5.0センチちょうどだ。
「5か」
今度は逆だ。
「大きく」と意識しながら広げていく。
16センチ、18センチ、21センチ、23センチ、25センチ——止まる。
メジャーを当てると25.1センチ。
「倍か……今まで何をやっていたんだ、俺」
使える範囲が格段に広がっていたのに気づかないまま戦っていた。
崩壊前に総点検をしておくべきだった。
今さらだ、と言い聞かせても、しばらく手が止まった。
ここで接触面積の計算が頭に浮かびかけた。
サイズが小さくなれば面積が減る。
面積が減れば同じ力がより狭い範囲に集中する。
つまり——
「止まれ。順番通りにやれ。用途の話は仕様を全部洗ってからだ」
ノートを開いて書く。
最小5センチ、最大25センチ。
この数字が今日から基準になる。
形状の限界を探った。
長方形はすでに使えている。
では薄さはどこまでいけるか。
「薄く」と意識すると、キューブの形が少しずつ変わり始めた。
10センチ。
まだ立方体に近い。
5センチ。
明らかに平たくなってきた。
メジャーを当てながら確認する。
3センチ、2センチ——ここまで来ると、もうほとんど板に近い見た目になっていた。
1センチ——止まった。
目の前の空中に固定されているそれを、しばらく見つめた。
15センチ×15センチ×1センチ。
薄い。
完全に形が変わっている。
「……板じゃないか、これ」
差し込める——と思って、止まった。
動かせない。
枠の隙間を見る。
そこに出せばいい。
ぽこん。
固定された。
外からこじ開けようとしても、びくともしない。
「なるほどな」
用途が頭の中で広がり始めるのを感じたが、まだ止める。
仕様を先に詰める。
ノートに書く。
板状、厚さ1センチまで。
縦横は5〜25センチの範囲内。
斜めに設置できるかどうかを試した。
いつもキューブを出すとき、水平か垂直の面を意識していた。
斜めを意識して出したことがなかった。
角度をつけてイメージしながら出すと、斜めに固定された。
動かせない。
ただ、最初から斜めに出せる。
次に、角を正面に向けた状態で出してみた。
面ではなく、キューブの角が正面を向いている。
接触できる面積が、極端に小さくなっている。
ここから先は物理の話だ。
同じ運動エネルギーが広い面に分散するのと、角の一点に集中するのとでは、圧力がまるで違う。
5センチに縮小した状態で、さらに角を正面に向けて設置すると、接触面積がさらに小さくなった。
高速で突っ込んでくる相手に対しては——
「……いや、これ普通にやばいな」
タイルの壁に声が返ってきた。
ノートに書く。
設置角度調整可能。
角当てにより接触面積を極小化できる。
5センチ縮小+角当て=圧力の極限集中。
3個の選択消去を確認することにした。
FIFOは分かっているが、意志で任意の1個だけを消す精度については測ったことがなかった。
戦闘中に消したい個体を間違えたら、それだけで詰む。
3個を出すと、空中に黒い塊が並んだ。
1番を消す。
1番だけが消えた。
2番と3番は残っている。
次は2番を消す。
2番だけが消えた。
3番を消す。
消えた。
「……まあ、普通にできるな」
次に目を閉じた状態で試す。
3個出して、1番だけを消すことを意識する。
すっ。
目を開くと、2番と3番が残っていた。
疲れた状態ではどうか。
その場で腕立て伏せを30回やってから試す。
息が上がった状態で3個出して、3番だけを消すことを意識する。
「3番」
すっ。
1番と2番が残っていた。
「……意志が明確なら、いける」
できると思いたいが、正直なところ実戦で同じ精度を出せるかどうかはまだ分からない。
実戦でキューブを3個管理し、相手の動きを読みながら消去を選択する状態は、今とまるで違う。
ノートに書く。
選択消去、意志が明確なら可能。
疲労による精度低下は現時点で未確認。
実戦での検証が必要。
次が一番時間がかかった。
2メートル以内で3個をどう配置するかだ。
キューブは出した位置に固定されて動かせない。
つまり配置の精度は「最初から正しい位置に出せるかどうか」だけで決まる。
上空から突っ込んでくる飛行型を想定して、3個を縦方向に並べる。
高度を変えて、角度をつけて——頭の中でイメージしてから出すと、3センチずれていた。
消して出し直す。
また少しずれる。
「……頭の中と実際の位置が合ってない」
視覚と感覚のズレだ。
ダンジョンでラビットに初手を外したときと同じ種類の誤差だ。
あのときは相手の軌道を基準にすることで解決したが、今回は相手がいない。
基準は自分の目だけだ。
ノートのページを破ってセロハンテープで壁に10センチ間隔で格子状に貼った。
出す位置の誤差が目に見えるようになった。
繰り返す。
出す。
ずれを確認する。
消す。
出し直す。
30分ほど続けると、誤差が5センチ以内に収まるようになってきた。
「曖昧に出すと、曖昧な位置に出る。それだけだ」
そういえば最初からそういうスキルだった。
意志がはっきりしないと反応しない。
以前スライム相手に使った戦術と同じ発想で試す。
2個を左右に置いて1個を前方に構える。
誤差が出ると誘導の精度が落ちる。
目印を使いながら繰り返す。
板状を使った配置も試した。
薄い板を縦に立てて壁として使うと、立方体より少ない空間で通路を封鎖できる。
3個全部を板状にすると、2メートルの範囲内でかなり複雑な配置が組めた。
ノートに書く。
配置精度は訓練で上げられる。
具体的なイメージが精度を決める。
板状を使うと封鎖面積を稼ぎながら空間を節約できる。
気づくと3時間以上経っていた。
トイレの中でメジャーを握ったまま壁に格子を貼って黒い立方体を出したり消したりしている。
客観的に見ると、かなり嫌な絵面だ。
だが外には飛行モンスターがいるので、比べれば全然ましだ。
夕方になって、ノートをまとめた。
距離——2メートル、変化なし、確定。
サイズ——最小5センチ、最大25センチ、確定。
形状——板状、厚さ1センチまで、確定。
角度——斜め設置可能、角当て確認。
選択消去——明確な意志があれば可能。
実戦での精度は未確認。
配置精度——訓練で改善可能。
具体的なイメージが精度を決める。
未確定のまま残っている項目が、今後やるべきことの一覧でもある。
最後に1行、仮説として書き足した。
板状+角度調整+高速移動する相手=切断の可能性。
実証手段は現時点でなし。
ペンを置いた。
トイレの中で1日メジャーを当てていた。
ノートの項目が埋まっている。
換気口から外の空気を吸うと、街がまだ燃えていた。
項目は埋まった。
だが街は燃えたままだ。
その落差が、少しだけ手を重くした。
キューブを出した。
板状に変えて、扉の隙間に狙いを定める。
ぽこん。
固定された。
昨日より封鎖が安定している。
タイルの壁に音が反響した。
「今日もよろしく」
返事はない。
黒い板が静かに扉を支えているだけだ。




