3 記憶喪失の吟遊詩人とダンジョンに潜る
翌朝、アゲハたちは再び【黄泉の森】へ向かう。
それがいつもの日課であり、働かなければその日のごはんも食べられないからだ。人数が増えた分、稼がなくてはならない。
ドラフトはいつものように杖を握りうつらうつらと船を漕いでいる、その隣でナルイは折れかけた剣を整備しながら不満げな顔を隠さない。
もう、辛気臭いなあ……とアゲハは呟く。
記憶喪失で実力もよくわからないマオを参加させることに、ナルイが納得してていないのだろうことは分かっていた。
ナルイは頑固だからと、アゲハはため息をつく。仕方ないじゃない、このパーティーは"猫"の手も借りたいくらいに戦力不足なんだから。
「あ、そうだ! マオは戦歌、なにを歌えるの?」
「いや…あの……、戦歌って……?」
「……ほーら、アゲハ。戦歌も覚えてないんなら、ただの役立たずじゃねーか!」
「ナルイ、いいから―――ね、身体が覚えてると思うから、まずは楽譜読んでみて」
「これは……吟遊詩人の……?」
「うちのママの形見だから破らないでね」
「形見……」
「もう、マオ〜! 辛気臭い顔しないで! 有効利用出来て嬉しいんだからね」
アゲハはマジックバッグから母の形見である楽譜をとりだし、マオに手渡した。
マオはまだ自分が吟遊詩人であることに確信が持てない様子だったが、楽譜を手に持つと、どこか落ち着いた表情を見せた。
「マオ、楽譜読めるよね? 吟遊詩人のスキルって、歌ったり楽器弾いたりで発動するんだよ。ママはいつも歌ってたけど、楽器でもいいらしいよ。マオはどっちのスタイルだったんだろうね」
「楽器……歌……」
マオは楽譜をじっと見つめ、指でページをなぞる。
「何か、覚えてる気がする……でも、はっきりしない……」
「いいんだよ! ダンジョン入れば身体が動くって! 冒険者はそうやって生きてるんだから!」
アゲハはマオの背中をバシンと叩き、勢いよく立ち上がる。乗合馬車の出発時間まで、もう時間がない。建付けの悪い玄関のドアから出ると、治安の悪いこの地区では若干心もとない鍵を閉める。
ナルイは肩をすくめながら、軽く脅すように言う。
「まぁ、役に立たなかったら置いてくだけだ。ポーション代きっちり稼げよ、マオ」
「おお、今日はマオも行くんか? 」
ドラフトが重たい目を開けてマオに尋ねる。
マオは一度アゲハを見てから、ドラフトに頷いてみせた。アゲハはマオの背を押して、明るい声をあげる。
「そうだよ、じいちゃん。今日からマオも一緒のパーティーだよ」
「おお、そうか。よし、わしのおつまみの鰹節をやろう。 迷宮で腹が減るからな」
キョトンとしたマオの手のひらに、ドラフトのお気に入りのおつまみがぽとりとおちる。
アゲハとナルイは顔を見合わせて苦笑した。
【黄泉の森】の入り口に到着すると、湿った空気と腐臭が漂ってきた。ゴブリンの鳴き声が遠くで響き、時折、木々の間から怪しい影が動く。
今日も出来るだけ深く入らずに、ゴブリンの魔石取りの予定だ。
パーティは慎重に森の奥へ進む。アゲハが先頭で罠や敵の気配を探り、ナルイが剣を構えてその後ろに続く。ドラフトは後方で杖を振りながら、時折「火の魔法の呪文はどうだったかな」と呟き、アゲハをヒヤヒヤさせた。
マオは楽譜を手に持ったまま、黙って最後尾を歩く。赤い瞳は森の暗がりをじっと見つめ、何かを思い出すように眉を寄せていた。
「よし、まずはゴブリン狩りからだね。マオ、支援スキル使えるなら何か歌ってみてよ。攻撃力アップとか、防御力アップとかさ!」
アゲハが振り返って言う。
「歌……支援……」
マオは楽譜を開き、ページをめくる。
そこにはアゲハの母が残した戦歌の数々が記されていた。攻撃力を高める《猛虎の咆哮》、防御を固める《鉄壁の調べ》、速度を上げる《疾風の舞曲》……。マオの指が一つの曲のタイトルで止まる。《トートの詠唱》――昨日、ドラフトの呪文を呼び覚ましたあの歌だ。
「あ……これ……?」
「そう! それ! 昨日マオが歌ったじゃん!それがわかるってことは、楽譜も読めるんじゃん」
「あ……、うん……なんとなく楽譜、読める、かも……?」
「ね、昨日はそれで爺ちゃんの魔法が復活したんだからさ、試しに歌ってみて!」
マオが呟きに、アゲハが目を輝かせる。
マオは深呼吸し、楽譜を握りしめる。喉を軽く鳴らし、声を試すように小さくハミングを始めた。すると、透き通ったクリスタルのような、高めの歌声が森に響き始める。
「―――《知恵の神の調べよ、忘れし記憶を呼び起こせ……》」
伸びやかな歌声が響き、それを聞いたドラフトの目がキラリと光った。
「おお! なんじゃ、このスッキリした感じは! 魔法が、魔法が戻ってくるぞ!」
杖を振り上げ、ドラフトは突然正確に呪文を唱え始めた。
「―――《炎の矢、敵を貫け!》」
ゴオッ! 炎の矢が一直線に飛び、近くの茂みに潜んでいたゴブリンを焼き払った。ゴブリンの断末魔が森に響き、魔石が地面に転がる。
「す、すごい! 爺ちゃん、ちゃんとした呪文唱えた!」
「マジか……マオ、本当に……吟遊詩人なんだな?」
マオ自身も驚いた顔で、自分の喉に手を当てる。
「あ、おれ……本当に、歌えるんだ……」
「よし! 調子出てきた! マオ、もっと歌って! 次は攻撃力アップのやつ! ナルイの剣がボロボロでもゴブリンを一撃で倒せるように!」
アゲハが興奮気味に指示を出すと、マオは楽譜をめくり、《猛虎の咆哮》のページを開く。自然に手が楽譜を操れる感覚に少し驚きを覚えるが、近づいてくる魔物に意識を戻す。深く息を吸い、声を張り上げる。
その歌声は力強く、まるで森全体が震えるようだった。咆哮の歌は低く低くラウドに響く。強烈な感情や熱意を表しているかのようだった。
「―――《猛る獣の魂よ、剣に宿りて敵を裂け!》」
最後にマオが叫ぶと、ナルイの身体に淡い光が宿り、剣を握る手に力がみなぎるのを感じた。
「うおっ、なんだこれ! 身体が軽い!」
ナルイが叫び、飛び出してきたゴブリンに斬りかかる。普段なら何度も叩かなければ倒せないゴブリンが、一撃で首を飛ばされ、魔石を残して倒れた。
「すげぇ! マオ、最高! これならもっと深い階層もいけるかも!」
アゲハが拳を握りしめる。
そして、自分のお仕事をおもいだして、慌てて落ちた魔石を拾う。いつものものより大きく、透き通った色をしていて値が高そうだとアゲハは喜ぶ。
ドラフトも杖で地面を叩きながら、喜びを叫ぶ。
「エライぞ、マオ! 帰ったらミルクじゃ! いや、魚1尾丸ごと買うてやるぞぃ」
まだ、呪文のバフが効いているのかいないのか、とぼけているがいつもよりはしっかりした口調だ。ナルイがマオは猫じゃねーって突っ込んでいるが、ドラフトはニコニコしたまま、それには聞こえないふりをしている。
だが、喜びも束の間。森の奥から重い足音が響いてきた。ゴブリンの群れを率いるように、灰色の皮膚を持つ巨大な影が現れる――硬鱗の鬼人だ。
昨日ドラフトの魔法で足止めしたはずの魔物が、再びパーティの前に立ちはだかった。
「マジか……またアイツか!」
ナルイが剣を構えるが、折れかけた刃では心もとない。とはいえ、老人と女子と記憶喪失の3人を背に、逃げるという選択肢は無さそうだった。ナルイはギリリと歯を食いしばる。
アゲハが叫ぶ。
「爺ちゃん、魔法準備して! マオ、防御の歌! 鉄壁のやつ!」
マオは慌てて楽譜をめくり、《鉄壁の調べ》を見つけ出す。緊張で声が震えそうだったが、アゲハの励ましの視線を感じ、深呼吸して歌い始めた。
それは力強さと厚みを感じるメロディ。ミドルの声域が耳心地よく、アゲハたちを包み込む。
「―――《鋼の意志よ、身を守る盾となれ!》」
歌声が響くと、パーティ全員の周囲に薄い光の膜が張られた。硬鱗の鬼人が振り下ろした棍棒がナルイに直撃するが、光の膜が衝撃を吸収し、ナルイはわずかに後ずさるだけで済んだ。
「効いてる! マオ、すげぇ!」
ナルイが叫ぶ。
ドラフトもタイミングよく呪文を放つ。
「―――《炎の渦、敵を焼き尽くせ!》」
炎の渦が鬼人を包み、動きを鈍らせた。
アゲハは素早く動いて鬼人の足元に罠を仕掛ける。盗賊のスキルで設置した簡易な罠が鬼人の動きを一瞬止めた隙に、ナルイが剣を振り上げる。
「くらえっ!」
刃は浅くしか刺さらなかったが、鬼人は咆哮を上げて膝をついた。ぽたり、ぽたりと鬼人の血が地に落ちている。ただ、まだ目はランランとしている。動き始める前に勝負をつけないと危険だ。
「今だよ! マオ、攻撃力アップの歌、もう一回!」
アゲハが叫ぶ。
マオは頷き、再び《猛虎の咆哮》を歌い上げる。ナルイの剣が再び光り、鬼人の首に深く切り込んだ。
鬼人は断末魔を上げ、倒れ込んだ。その後、ダンジョンの魔物よ最後らしく、地面にサラサラと角砂糖みたいに崩れ落ちて、大きな魔石を残した。
「やった……やったよ!」
「マジか……これ、めっちゃ強いじゃん……」
飛び跳ねて喜ぶアゲハと、息を切らしながらナルイはマオを見た。
ドラフトは「アゲハの猫はえぇ子じゃな!」と繰り返し、マオの頭をガシガシとなぜ回す。
マオはされるがまま呆然と立ち尽くし、楽譜を握りしめた。
「おれ……本当に、吟遊詩人なのか……?」
その日の収穫は過去最高だった。硬鱗の鬼人の魔石は高値で売れ、ゴブリンの魔石もいつもより多く集まった。2週間くらいは食べ物に困らなそうなくらい。アゲハたちは馬車で古都ユニバースに戻り、クランハウスでささやかな祝杯を上げた。
「マオ、ほんとすごかったよ!ママの楽譜もちゃんと使えてた!ありがとう」
「でも……おれ、本当に、吟遊詩人なのか……」
「あんなに楽譜扱えて、あんなにも戦歌も歌えるなんて、凄い吟遊詩人だよ。……ママみたいにカッコよかったよ」
「でも、名前もなにも、思い出せなくて……」
マオはまだ不安げな表情で呟くが、そんなマオの肩をナルイがポンポンと叩きながら笑う。
「まぁ、考えても仕方ねぇ。とりあえず、ポーション代稼ぐまで働けよ。まあ、少なくともそれまでは……一緒にダンジョンに潜ろうぜ」
「そうじゃよマオ、ミルク飲むか?マタタビがえぇか?鰹節はもうないぞ」
「もう、爺ちゃん!マオは猫じゃないよー」
「アゲハが3歳の頃に、酒屋の裏で見つけたじゃないか。真っ黒いのを抱っこしながら『飼わなきゃ家出する!』ってないたじゃろ」
「だから、あの時のマオはだいぶ前に居なくなっちゃったの」
「何を言っておる。ここにおるじゃろ?」
「マジで爺さん、マオを猫だと思い込んでんなー」
「あ、これ……大事な物、とりあえず、返す……」
マオは楽譜をアゲハに渡す。
アゲハは返された楽譜を少し見つめ、にっこり笑って首を振る。再びマオに渡す。
「これ、マオにあげる。ママの形見だけど、マオなら絶対うまく使えるよ。もっと強い魔物とも戦えるように、一緒に強くなろう!」
マオは楽譜を受け取り、赤い瞳でじっと見つめる。
「……ありがとう、アゲハ。」
その夜、マオは楽譜を手に、静かに歌を口ずさんでいた。
《トートの詠唱》の旋律が、クランハウスの小さな部屋に響く。どこか遠くの記憶が、かすかに揺れ動くような感覚があった。




