暫定的なライダー
生きて戻ってきたグリードを見て、前線基地の連中は驚きこそすれ、別に大きく騒ぎはしなかった。
それは彼にとって、少しばかり拍子抜けする現実だった。斥候任務に同行したライダー部隊が壊滅し、自分もその場にいたのだから、もっと問い詰められるか、あるいは疑われるかもしれないと内心では構えていた。だが実際には、門番のゴブリンが一瞬だけ目を丸くし、「まだ生きてたのか」と吐き捨てるように言っただけで終わった。後は、厩舎の方で顔を合わせた連中が、似たような調子で「運のいいやつだ」と笑ってきた程度だ。
帰還を喜ぶ者はいない。生還を不思議がる声はあっても、深く事情を聞こうとする者もいない。つまり、自分はそれだけ取るに足らない存在なのだと、グリードはあらためて理解した。雑兵が一匹死んだところで基地の歯車は止まらないし、逆に生きて戻ってこようが、誰の心も動かない。もっとも、それは悪いことばかりでもなかった。余計な詮索を受けずに済むのだから。
基地の中ではすでに、あの日ゴブリンライダー部隊を襲った人族の連中について、様々な噂が飛び交っていた。十人程度の人族に二百騎規模のライダー部隊が壊滅させられたという話は、雑兵から見ても常識外れだ。その中心にいた白銀の大剣の女騎士や、魔犬ごと数体のゴブリンを串刺しにする槍使いが、ただの一兵卒であるはずがない。あれは人族の冒険者と呼ばれる手合いで、中でもA級に数えられる連中だろう、と知った顔のオークやコボルトがしたり顔で語っていた。冒険者というのは、人族における傭兵や便利屋に近い存在らしいが、A級ともなれば魔王軍の一般的な大隊長を超える実力者も珍しくないらしい。前線の雑兵たちにとっては、自然災害か災厄の獣とそう変わらないということだ。
その災厄にライダー部隊が壊滅的な打撃を受けたせいで、基地の周辺にしわ寄せが来ていた。哨戒任務や簡単な斥候、本来ならゴブリンライダーたちが担っていたちょっと足を使う仕事の人手が一気に足りなくなったのだ。正面戦力としての価値は低く見られていても、近場の巡回や伝令、敵影の確認といった細かい仕事では、あの連中はそれなりに役に立っていたらしい。いなくなって初めて、その穴の大きさが知れた格好だった。
ジャルがそのことを教えに来たのは、グリードが犬舎の片隅で腐りかけた肉を刻んでいたときだった。コボルトシーフらしい軽い足取りで現れた彼は、鼻先をしかめるようにして周囲の臭いを嗅ぎ、それから大げさに肩を落とした。
「まったく、ゴブリンどもが下手こいたせいで忙しくなった」
開口一番それだった。いつもの調子だが、声の奥には本当に疲れている響きがある。
「ライダー隊が吹っ飛んだせいで、近場の見張りから人族側の斥候探しまで、こっちまで駆り出されてる。俺は泥道を駆ける犬じゃなくて、影に潜る側なんだがな」
「……お前も大変なんだな」
そう返すと、ジャルは「他人事みたいに言うな」と鼻を鳴らした。
「お前もその穴埋めに使われるかもしれねえぞ。なんせ、いま基地の中で多少でも魔犬にしがみつけるやつは貴重だからな」
その言葉を聞いた瞬間、グリードの胸の奥で何かが強く跳ねた。貴重だなんて、自分には向けられたことのない言葉だった。もちろん、ジャルは褒めているわけではないし、単に戦力の計算の話をしているだけだ。だが必要とされるならそれで十分だ、とグリードは思った。
その日のうちに、グリードは基地副官ガズロックのもとへ向かった。ガズロックは広い肩を持つ灰褐色のオークで、豪放磊落というよりは刃物みたいな現実主義者だった。怒鳴り散らすことはあっても感情で命令を変えることは少なく、使える駒は使う、使えない駒は容赦なく切り捨てる。その冷たさのせいで嫌われてもいたが、少なくとも判断基準が感情ではないという点で、グリードは奇妙な安心を覚える相手でもあった。
副官の前に進み出て、グリードは頭を下げ懇願した。自分をゴブリンライダー部隊の代わりに近場の哨戒や斥候へ使ってほしい、と。魔犬には多少なら乗れるし、いまの基地には少しでも騎乗できる者が必要なはずだ、と。
ガズロックは書板のようなものから目を上げ、無表情にグリードを見下ろした。その目は、目の前の相手を生き物ではなく道具として測るときの色をしている。
「魔犬に乗れるのか」
「多少は」
「多少、か」
鼻で笑うでもなく、ただその一言を繰り返す。グリードは喉が乾くのを感じた。ここで下手に盛れば殺される。だから事実だけを言った。
「完璧ではありません。ですが、俺が歩兵をやるよりは役に立てます」
しばらく沈黙があった。やがてガズロックは椅子の背に重い体を預け、低く言った。
「ゴブリンライダーが減った今、少しでも魔犬に乗れるやつを厩舎掃除だけに埋めておくのは無駄か」
その言い方に好意はなかったが、そこで話は決まったも同然だった。
「いいだろう。近場の哨戒と簡単な斥候に限って、お前を暫定の騎乗要員として使う」
胸が熱くなる。だが次の言葉で、その熱は現実に引き戻された。
「ただし、厩舎の世話は今まで通り続けろ。魔犬の糞尿は勝手に片付かんし、飯も湧いて出るわけじゃない。仕事が増えるだけだと思え」
「……はい」
「使えなければすぐ戻す。死んでも構わんが、死ぬなら仕事をした後にしろ」
それで会話は終わりだった。追い出されるように天幕を出たあと、グリードはしばらく立ち尽くした。忙しくなるのは間違いない。厩舎掃除も続け、合間に哨戒へ出る。前よりずっと身体はきつくなるだろう。それでも、胸の奥には奇妙な嬉しさがあった。初めて、自分は雑兵のくせに戦力として計算に入れられたのだ。




