乗れればいいんだろ
グリードが話し終えると、最初に口を開いたのはノッケだった。
「一応言っておくが、ライダーも進化の結果だ」
その声は平板だったが、グリードの胸をわずかに冷やした。ノッケはそんなグリードの顔を見ても言葉を止めず、金床の横に積まれた古い鞍の部品をつまみ上げた。
「ただし、ホブゴブリンみたいな当たりの進化とは違う。身体そのものが強くなるわけじゃない。魔犬だの低級魔獣だのに騎乗するためのちょっとしたスキルが身に付く。振り落とされにくくなるとか、指示が通りやすくなるとか、そんなもんだ」
ジャルが肩をすくめて後を継ぐ。
「要するに、落ちこぼれ向けってことさ。ホブゴブリンみたいに腕力がある連中なら、そんな進化なんかなくても力ずくで跨がれる。ナイト候補みたいなやつらも同じだな。だからライダー進化なんて意味のない進化だって笑われる。進化したくせに、やってることは犬に乗るだけだってな」
その言い方は軽いが、内容は容赦なかった。グリードは木箱の上で拳を握る。ライダーすら、結局は上に行けなかった者の行き着く先なのだ。だが、そこまではまだいい。問題は、その意味のない進化ですら、自分には手の届かないものかもしれないということだった。グリードはかすれた声で尋ねた。
「じゃあ……俺みたいな無進化個体は、ライダーにすらなれないのか」
工房の熱気が急に遠くなった気がした。昨夜見つけたはずの道が、また目の前で崩れていくようだった。
だが、ノッケの言葉の中で、一つだけ妙に引っかかる部分があった。ライダー進化とは、魔犬や低級魔物に騎乗するための適性を得ることで、一方で他の進化先はそれがなくても身体能力で乗れてしまう、と。
前世の記憶が、脳裏のどこかで小さく火を上げる。クラス名やレアリティなんてものは、ゲームの画面の中でもしばしばただの目印にすぎなかった。本当に重要なのは、何ができるかだ。ならばこの世界だって、理屈の芯は同じはずだ。
グリードは顔を上げた。自分でも、今の声が少しだけ興奮を帯びているのが分かった。
「……要するに、魔犬に乗れればライダーって名乗れるんだよな?」
ジャルが一瞬きょとんとして、それから口の端を吊り上げた。
「その言い方、嫌いじゃねえな」
ノッケは顎髭を指で撫でながら、少しだけ目を細める。
「理屈だけなら、まあそうだ。兵科名なんぞ、結局は役割の呼び名にすぎん」
「だったら」
グリードは言葉に力を込めた。兵科として認められるかどうかは二の次だ。まず必要なのは、実際に乗ることだ。魔犬に跨がり、振り落とされず、騎兵として成立することを示す。それができれば、少なくとも自分の中では道が繋がる。
だがジャルはそこで現実を突きつけることを忘れなかった。
「まあ、一応そうだけどよ。たとえ乗れたからって、ガズロック副官がそんな運用を柔軟に考えてくれるとは思えないぜ」
その名が出ると、工房の空気が少しだけ硬くなる。オークのガズロック副官とは、前線基地の実務と運用を握る男で、使える駒には容赦なく仕事を与える一方で、秩序を乱すものや前例のないものを嫌う。彼にとって重要なのは、全体が淀みなく動くことだ。無進化の雑兵が勝手に魔犬へ乗ったところで、面白がるより先に規律違反と見なされる可能性の方が高い。
「分かってる」
グリードは答えた。ガズロックが何を好み、何を嫌うかくらいは、自分だってこの基地で生きてきた中で嫌というほど見てきた。だが、分かっているからといって諦められるわけではない。
「それでも、その一歩が必要なんだ」
自分でも驚くほど声が強くなった。工房の熱気の中で、言葉が勝手に続いていく。
「俺は最初から何も持ってないんだ。だから、まず乗れるって事実が必要なんだよ。俺がライダー進化してるかどうかじゃなく、魔犬に乗って実際に使えるってところまで行かなきゃ、何も始まらない」
ノッケもジャルも黙って聞いてくれている。
「このまま終わるのは嫌なんだ。進化できないってだけで、最初から地べたに押しつけられたままで終わるのは、もう嫌だ。ライダーが落ちこぼれの進化先でもかまわない。バカにされる兵科でもいい。俺にはそれでも必要なんだ。」
言い切ったとき、工房の中には炉の火の音だけが残った。ジャルが視線を逸らし、頭の後ろを掻く。ノッケは組んだ腕のまま、じっとグリードを見ていた。二人とも笑わない。それだけで、グリードは胸の奥の緊張が少しだけほどけるのを感じた。
やがてノッケが低く言った。
「鞍なら融通できる」
グリードは思わず顔を上げる。ノッケは壁に掛かった古い革帯を外しながら、いつものように事務的な調子で続けた。
「正規のライダー用はお前に回らん。だが、壊れた部品の補修名目なら何とかなる。固定具を少し長くして、腿で挟めるようにすれば、スキルがなくても多少は振り落とされにくくなる。魔犬の胴回りに合わせて革帯を繋ぎ直せば、しがみつくだけならどうにかなるかもしれん」
その言い方はぶっきらぼうだが、内容は明らかに協力の申し出だった。グリードの胸の内で熱がもう一段明るくなる。
ジャルも負けじと鼻を鳴らす。
「だったら俺は、どの時間に犬舎の見張りが薄いか見てやるよ。ライダー隊の連中がどの魔犬を嫌ってるかも知ってる。噛み癖が強いの、乗り手をすぐ振るやつ、逆に一度懐けば従順なやつ、そのくらいなら調べられる」
「本当か」
「大げさに喜ぶなよ。面白そうだから乗るだけだ」
そう言いながらも、ジャルの目は本気だった。軽薄に見えて、こいつは一度面白いと感じたことには意外と真面目に首を突っ込む。それをグリードは知っている。
ノッケは革帯を作業台へ置き、最後に短く言った。
「ただし、無茶はするな。死ねばそれまでだ」
それが気遣いのつもりであることは、彼の顔を見れば分かった。ジャルも肩をすくめる。
「死なれると、俺まで巻き込まれかねねえしな」
友情だの絆だのと呼ぶには、あまりにもぶっきらぼうで、利害も打算も混ざった約束だった。だが二人とも、できるだけのことはするつもりなのだと分かった。この基地で、進化できない雑兵の無茶に対して「最初から無理だ」と言わず、相手をしてくれる存在がいるという事実は、グリードにとって驚くほど大きかった。
工房を出るころには、外はすっかり朝になっていた。基地は何も変わらず、誰もグリードに期待などしていない。
それでも、彼の足取りは工房へ来たときより少しだけ軽くなっていた。目指すべきものがはっきりしたからだ。
そのとき、基地の外れの方から低い遠吠えが聞こえた。犬舎だ。昨夜、闇の中で黄色い瞳を光らせ、自分を見返してきたあの荒い魔犬の姿が脳裏に浮かぶ。グリードは足を止め、痛む脇腹のあたりを押さえながら、そちらへ視線を向けた。
次は、あれに乗るのだ。実際にあれへ跨がり、振り落とされず、自分の足に変えなければならない。
前線基地の空は薄く濁っていて、決して晴れやかではない。それでもグリードには、その曇った空の向こうに、まだ誰も見ていない道が一本だけ伸びているように思えた。




