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基地への帰還

 サラマンダーの暴れ方が急に変わった。敵意が消えたわけではないのだが、力任せに振り落とそうとする動きから、主に命じられて戸惑っているような態度に変わる。グリードはゆっくりと背から降り、正面へ回り、サラマンダーを見つめた。サラマンダーは喉を傷めた苦しそうな音を漏らしながらも、おとなしく頭を垂れており、こちらへ突っ込んではこなかった。


「……まさか、従えたの?」


 リシェルが信じられないものを見る目で言った。


「たぶん、な」


『たぶんじゃない』


 横からフローズが割り込んでくる。銀灰色の毛並みを逆立てたまま、どこか不機嫌そうだ。


『ちゃんと、あなたのにおい、ついてる』


 なるほど、それが彼なりの判定らしい。


 サラマンダーはフローズのような会話能力は持たないようだった。名前を尋ねても、返ってくるのは空腹と暴れ足りないという粗い感情だけだ。知能は高くないが、その力は明らかに本物だった。単純な突破力ならフローズを上回る場面もあるだろう。


 やがてリシェルが口を開いた。


「……あれ、ただの事故じゃない」


 グリードは彼女を見た。火傷で汚れた顔は痛々しいが、目はまだ鋭かった。


「何がだ」


「サラマンダーが襲って来たことよ。こんなのが、候補生の見学路へ都合よく出るわけがない。しかも、護衛の薄い谷地へ先回りみたいにしてた」


 彼女は唇を噛み、少しだけ躊躇ってから続ける。


「人族側に、裏切り者がいる。」


 その言い方には確信があった。


「護衛の数も、進路も、候補生たちがどこで休む予定なのかも、知ってる奴がいなきゃおかしい。あたしたちは……ハメられたのよ」


 それを聞いてグリードは黙った。人族の事情など詳しくは知らないが、戦場というのは味方の中にも敵がいる場所だということくらいは知っている。まして魔術師候補生という将来の戦力がまとめて消えれば、得をする者もいるのだろう。


 リシェルは一度深呼吸し、それからグリードへ真っ直ぐ向き直った。


「お願いがある」


「嫌な予感しかしないな」


「いいから聞きなさいよ」


 グリードは少しだけ肩の力を抜く。


「……何だ」


「私を捕虜として、魔王軍に連れていって」


 その言葉は、グリードの予想と少し違っていた。リシェルは続ける。


「このまま人族側へ戻ったら、裏切り者か、その仲間に始末されるかもしれない。候補生がほとんど全滅して、あたしが生き残って後から戻るなんて、それだけで説明を求められる。学園の中に味方しかいないとは、もう思えない」


「だから敵に捕まるのか」


「捕虜なら、少なくとも殺されはしないでしょう。その間に都市の外側から裏切り者の動きを観察する」


 その発想は大胆で、しかしどこか現実的だった。


 この世界では、人族も魔王軍も、必ずしも捕虜をすぐ殺すわけではない。特に魔王軍は、多様な種族が同じ領内で暮らしてきた下地がある。魔人族、オーク、ゴブリン、コボルト、獣人、他にも名のあるなしを問わず様々な種族がいる。そのため、敵対種の捕虜をただ虐待して終わりにするより、自由は制限しつつ、確保した者の監視下で従者や労働要員のように扱う慣習が根づいていた。逃げようとしなければ無意味な拷問もしないし、食事も寝場所も与えるのが通例だ。完全な寛容ではないが、少なくとも捕まったら即地獄という世界ではない。


 だから、リシェルの提案はまったくの的外れではなかった。グリードは難しい顔をした。理屈はその通りなのだが、最底辺の兵であるグリードが人族の少女を基地へ連れて帰るとなると、目立つに決まっている。だが放り出すのは後味が悪いし、何よりも彼女自身が捕虜としての同行を望んでいる。


「お前、俺がそのまま奴隷商に売り渡すとか考えないのか」


「考えてるわよ」


 即答だった。


「でも、あの都市に帰るよりは生き残る可能性が高くなると思っただけ」


 結局、彼は頷いた。


「分かった。お前を捕虜として連れていく」


「ありがとう」


 その声色は予想よりもずっと強かった。気丈な女だな、とグリードはあらためて思った。


 帰路は、来たときより賑やかだった。グリードがサラマンダーへ乗り、リシェルはその後ろを歩く。フローズは横を並走しているが、明らかに面白くなさそうだった。グリードが自分ではなく、今日会ったばかりの火蜥蜴に乗っているのが気に入らないらしい。


『そっち、あついし、にぶいし、のりごこちわるそう』


「実際熱い」


『じゃあこっちに乗ったほうがいい』


「お前に乗ると目立つんだよ。いいから隠れてろ」


『むぅ』


 露骨に拗ねた声が頭へ届く。リシェルがそのやり取りを聞いて、ぽかんとしたあと、思わず吹き出した。


「……何それ。狼のくせに焼きもち焼いてるの?」


『やきもちじゃない』


 フローズはぴしゃりと返した。


『こっちのほうが、ちゃんとつよいし、かしこいから、とうぜん』


「はいはい」


 グリードが宥めるように言うと、フローズはさらに不機嫌そうに鼻を鳴らした。だが完全に怒っているわけではなく、子どもが拗ねているだけと言った感じだ。リシェルもまだ完全に状況を飲み込めていないはずなのに、そこだけは可笑しかったのか、普通の年頃の少女みたいに笑っていた。


 基地の近くまで戻ると、フローズはいつもの丘の麓へ回らせた。フローズは事情を理解しているのに、それでも少し不満らしい。


『また、ぼくだけかくれるの』


「そうだ。お前が一番目立つからな」


『……わかってるけど』


 わかってはいるが納得はしていない、という声音だった。グリードは苦笑し、鼻先へ手を置く。


「あとで来る。絶対だ」


『ぜったい?』


「絶対」


 それでようやく機嫌を直したらしい。フローズは小さく鼻を鳴らし、それからリシェルへじろりと視線を向けた。


『へんなことしたら、だめ』


 警告のつもりだろう。リシェルは片眉を上げた。


「失礼ね。言われなくてもしないわよ」


 基地へ戻る最後の道を、グリードはサラマンダーに騎乗したまま進んだ。後ろには捕虜となったリシェルが続く。前線基地の門が見えてくる。


 正式な斥候任務で人族の候補生たちを見つけ、巨大なサラマンダーを従え、人族の少女を捕虜として連れ帰る。数日前の自分なら、そんな展開は夢にすら思わなかったはずだ。


 基地の空気が近づき、鉄と獣の匂いが風へ混じる。グリードは自分を鼓舞するようにサラマンダーの熱い首筋を軽く叩いた。

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