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運命の女性とサラマンダー

「行くぞ、フローズ」


 グリードが囁くと、フローズは待っていたように飛び出した。まずは一直線に突っ込まず、右側へ大きく回る。谷地の端に残った岩陰を利用し、サラマンダーの視界から外れるように移動する。サラマンダーが青髪の少女に向かって再び炎を吐くために首を反らした瞬間、グリードがフローズの首筋を叩き、フローズが飛び出した。


 横合いから飛び出した灰狼の巨体が、サラマンダーの首の付け根へ噛みつく。鱗が硬いので牙が完全に食い込んだわけではないが、その勢いだけでもサラマンダーの頭部を横へ逸らすには十分だった。次に吐かれた炎が斜め上へ流れ、青髪の少女の頭上を熱だけ撒き散らして外れる。


「走れ!」


 グリードは思わず少女に向けて怒鳴っていた。少女は一瞬だけ目を見開き、驚いた顔をした。ゴブリン、それも魔狼に騎乗した個体に助けられたのだから、それも当然が。だが彼女は賢かった。驚愕に固まる代わりに、すぐ杖を握り直す。


「一旦左へ引いて!その間はあたしが牽制する!」


 返ってきたのは、気の強い少女の声だった。少女は杖を前へ突き出し、今度は詠唱を短く切る。地面から巻き上がった砂塵が渦になり、サラマンダーの目元へ叩きつけられる。それ自体は炎の魔獣にとって痛手ではないが、視界は一瞬潰され、呻き声を上げる。フローズはその隙に噛みつきを離して後ろへ跳び、少女に向かって迂回してきたと思うと、グリードが騎乗したまま少女の腕を掴んで引き寄せた。


「乗れ!」


「はあ!?」


「死にたくなければ!」


 彼女は迷いながらも、焼けた地面を蹴ってフローズの後ろへ飛び乗った。片腕はグリードの腰を掴み、もう片方で杖を握ったままなので体勢は悪いが、いまは形より離脱が先だ。


 サラマンダーは視界を取り戻すと、怒りとも痛みともつかない咆哮を上げて、再び炎の息を放ってくる。グリードはフローズを斜め前へ走らせ、真正面からの火線を避けるように進む。と、リシェルの体がぐらつく。


「しっかり掴まれ!」


「言われなくても!」


 背中越しの声は震えていたが、泣いてはいない。その気丈さに、グリードはわずかに感心した。


 谷地を抜けてしばらく走って逃げると、サラマンダーはグリードたちを無理に追おうとせず、そのまま谷地の向こう側の山脈へ後退していった。


 フローズが足を緩め、後ろの少女がやっと地面へ降りる。彼女は荒い呼吸のままグリードとフローズを見ていた。その眼差しには恐怖より混乱が強い。


「……ゴブリンが、人間を助けた?」


「説明してる暇はない。あれ、どうする?」


 サラマンダーの熱気がまだ山脈の方から流れてくる気がするほど周知の空気は熱かった。候補生や護衛はそのほとんどがサラマンダーの炎に飲まれて絶命したし、わずかな生き残りは一目散に辺境都市に逃げ帰っているだろうから、現場に戻る意味は薄い。グリードが尋ねたのは、サラマンダーを追うかどうかということだった。


 リシェル・アークラインと名乗った少女は、唇を噛み、振り返って焼け跡の方を見た。青い目の奥に苦痛が走る。それでも泣くのを堪え、こちらへ向き直った。


「あれはここで仕留める。そうしなきゃ、また誰かが死ぬ」


 グリードは頷いた。


「俺も追う」


 それが任務外であることは分かっている。だが、あれは騎獣になり得る力でもあった。熱量と膂力で押すタイプの魔獣を従えられれば、グリードの戦力は一気に広がることになる。


 山脈へ入ると、空気そのものが変わった。湿り気はなくなり、代わりに乾いた熱が肌へまとわりつく。岩肌には黒ずんだ焼け跡があり、ところどころ地熱のせいか白い蒸気が上がっている。フローズには明らかに不利な地形だった。分厚い毛皮を持つ彼にとって、この熱は鬱陶しいはずだ。それでも彼は不満を言わず、鼻を低くしてサラマンダーの残した焦げ臭い軌跡を追った。


 リシェルは歩きながら、呼吸を整えつつも周囲を警戒している。火傷の痛みはあるだろうに、それを表へ出さない。グリードはちらりと彼女を見た。


「まだ戦えるのか」


「無理だと思うなら置いていけば?」


 即座に刺々しい返答が返る。その調子に、かえって安心した。弱音を吐ける余裕があるということでもある。


「置いてったら後ろから魔法撃たれそうだ」


「必要があればいつでも撃つわよ」


 そんなやりとりを交わしながら進んだ先、細い谷間のような場所でサラマンダーは待っていた。


 左右を高い岩壁に挟まれた狭所で、前方には溶けた石が固まったような黒い地面が広がり、逃げ道は限られている。火炎を吐く獣にとっては理想的な舞台だ。サラマンダーはその中央で腹を地へ擦りつけるように伏せ、こちらを赤い目で見ていた。先ほどフローズが噛みついた首筋には血が滲んでいるが、致命傷には程遠い。


「最悪の地形ね」


 リシェルが吐き捨てる。


「多分、誘い込まれた」


「分かってる」


 グリードはフローズから降りた。ここでは乗ったままでは小回りが利かない上に、サラマンダーの炎を正面から受ければ終わる。


「フローズ、お前は右から回れ。正面には出ずに、噛むなら首じゃなくて足を狙え」


『わかった』


 フローズは短く返して、音もなく右の岩場へ回る。


「お前は――」


「あたしに指示するの?」


 リシェルが睨んでくるがその声色は完全な反発ではない。


「もちろん指示する。ただ、聞く耳を持っているなら、だ」


 少しの沈黙の後、彼女は鼻を鳴らした。


「……言ってみなさい」


「真正面から高威力の魔法をぶつけるな。逆に炎に飲まれる可能性が高い。狙うのは目か、あいつが口を開いた瞬間のその内側だ。俺やフローズが隙を作るので、その一瞬にぶち込んでくれ」


 リシェルは驚いたようにグリードを見た。たぶん、ただのゴブリンがここまで戦場の動きを読んで指示してくるとは思っていなかったのだろう。だがすぐに表情を引き締めた。


「できるけど、多分一回だけよ。外したら終わり」


「一回あれば十分だ」


 サラマンダーが動き始める。四肢で地を掴み、横へ大きく回りながら火炎を吐き出そうとしている。グリードはフローズとは逆の左側へとへ走る。アイアンソードを不格好に振り回して、わざと目立つ動きで注意を引くと、作戦通りサラマンダーの首がこちらを向いた。サラマンダーの口が大きく開き、喉の奥で赤い光が膨らむのが見える。


「いまだ!」


 炎が吐き出される、その直前にフローズが右から飛びかかった。狙いは首ではなく左前脚。牙が鱗の隙間へ食い込み、サラマンダーの体勢がわずかに傾く。吐き出された炎が本来の角度を外れ、グリードの左脇を掠めるだけで岩壁へぶち当たった。


 熱で皮膚が焼けが、グリードは気にせずサラマンダーの懐に飛び込むと、アイアンソードをサラマンダーの顔へ向けて振り上げる。狙いは通らなくてもいい。最悪、視線だけでもこちらへ引きつければ十分だと考えて剣を叩きつける。


 アイアンソードが固い鱗に弾かれて鈍い金属音が鳴る。ダメージは全く通っていないが、サラマンダーが頭をこちらへ向け、火炎を至近距離から浴びせかけようと大口を開く。その瞬間、短く詠唱をするリシェルの声が響いた。


 杖の先に集まった青白い光が、一気に細い槍みたいな形へ圧縮される。青白い雷光を光の矢として敵を貫く雷系統中級魔法『サンダーボルトランス』。リシェルの生み出した青い魔力槍が一直線に飛翔し、サラマンダーの開いた口の内側へ突き刺さった。


 口内で魔力が炸裂し、サラマンダーの喉の奥から煙と火の粉が噴き出す。魔獣は苦鳴を上げ、首を激しく振り、両脚から倒れ込んで体をのたうたせた。フローズはすぐさま距離を取り、グリードも転がるように岩陰へ飛び込む。直後、尾が叩きつけられ、グリードがさっきまでいた地面が砕けた。


「まだ生きてる!」


 リシェルが叫ぶ。


「分かってる!」


 サラマンダーは致命傷を負ったわけではない。だが喉をやられたことで炎を吐く勢いが落ちている。ここが勝負だ。殺すのではなく、ここで押さえ込む。


「フローズ、正面から飛びかかって注意を引きつけろ!」


『むずかしいこという!』


 拗ねたような返答とともに、それでもフローズは動く。正面から噛みつくのではなく、サラマンダーの視界に入るように左右に飛び跳ね、尾の攻撃をわずかな差でかわし続ける。


 グリードはフローズが撹乱しているのとは逆側から回り込むように動いた。リシェルもグリードが何かをしようとしているのを察したのか、短い詠唱の魔力弾でサラマンダーの目元を狙って注意を散らしてくれる。サラマンダーはフローズとリシェルの行動に混乱し、ダメージの負った体を怒りに任せて無理に動かそうとするので、何度も体勢を崩していた。


 その隙にグリードが背へ飛びつく。サラマンダーの鱗は熱く、捕まっているだけで掌が焼けるようだ。だがグリードは、首の後ろにある棘の間へ腕を通し、体を密着させてしがみつく。背に乗られたことに気づいたサラマンダーが、不愉快な存在を知覚したかのようにさらに暴れ始めた。巨体を左右へ大きく振り、グリードを壁へ叩きつけようとし、さらには背を地面へ擦りつけようとする。普通なら振り落とされるところだが、グリードはフローズとの騎乗で得た感覚を総動員して、肩のねじれ、背骨のうねり、次にどこへ重心が走るかを読んで自分の体の位置を何とかコントロールする。


 リシェルが目を見開いているのが視界の端に見えた。ゴブリンが、燃える爬虫類の怪物へしがみついている。理解しがたい光景だろう。だがいまは説明している暇はない。


「おとなしくしろ……!」


 永続スキル『魔獣の保護者(小)』の効果を信じて、サラマンダーに対して命令ではなく念じる。サラマンダーにはフローズほどの知性はないから、明確な言葉は返ってこない。伝わってくるのは熱と怒りと、保護者のような存在から語りかけられて混乱した本能だけだった。それでも、騎乗に至ったと世界に認識させるには十分だったのだろう。


 突然、サラマンダーの体が赤い光を帯び、灼けた鉄みたいなその輝きがサラマンダーの背中越しにグリードへ流れ込む。前回の母狼のときの金色とは違う、より直線的で暴力的な熱だった。


 グリードの頭の中へ声が響く。


『永続スキル『火炎魔法の適性(小)』を獲得しました。』


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