初めての単独任務
正式にライダーとしての活動を許されてから数日後、グリードは初めて単独任務を受けた。
内容は、人族側の辺境都市から前線へ見学に出てくるという魔術師候補生たちの動きを探り、人数と護衛の規模、進路を確認して戻ること。場合によっては、どの地点なら襲撃に向いているかの地形まで見てこい、という話だった。戦場見学に出てくる青い候補生どもをまとめて叩ければ、人族側の将来戦力を一度に削れるかもしれない、という現実的で冷たい計算の上に成り立った任務である。
ガズロックはこの任務を告げる際、地図代わりの粗い板を机へ置き、「ただ見て、そして戻れ。余計なことはするな」とだけ言った。グリードにはその淡白さがむしろ重く感じられた。これはもう、餌桶を運ぶついでに伝令をさせられるのとはわけが違う。
まだ夜明け前のうちに基地を離れ、見張りの死角から丘の麓へ回る。そこには、岩陰を寝床にしているフローズがいた。銀灰色の毛並みを朝露に濡らしながら、子狼――とはいってもすでに普通の魔犬よりずっと大きい――は丸くなっていたが、グリードが近づくとすぐに片目を開けた。
『おそい』
頭の中へ届く声は、拗ねる一歩手前の子どもみたいだった。フローズはまだ精神的な幼さを要所要所に感じさせる。特にグリードが来る時間が遅れたり、自分を待たせたりすると露骨に不満そうになる。
「仕事が増えたんだよ」
そう返しながら、グリードは手早く周囲を見渡して、人目はないことを確認してからフローズに跨った。
『きょうは、ながくはしる?』
「ああ、今日は斥候任務だから、少しばかり遠くまで走るぞ」
その言葉に、フローズはぱっと機嫌を直した。こういうところも年相応だ。尻尾がふわりと立ち上がり、前脚を伸ばして大きく体をほぐす。そのたびにまだ若いのにしなやかな筋肉が毛並みの下で滑った。
鞍はなかったが今のグリードにはもう、それが不利にはならなかった。フローズの肩がどの角度で沈むのか、首がどちらへ伸びるのか、最初の一歩でどの程度の加速をかけるのか。そうしたものが、以前のように見て考える段階を越えて、半ば感覚として体へ馴染み始めている。永続スキル【沼の魔狼の加護】の影響もあるのだろうし、共に走った時間そのものも積み上がっているのだろう。
山野を越えて昼に近づいたころ、二人は人族領との中間にあるやや開けた谷地へ出た。左右を低い丘に挟まれ、正面には山脈の裾野が見える。古い街道の名残のような踏み跡もあり、周囲に伏兵が隠れられるポイントもないので、前線見学のような半端な集団が通るには都合がいい地形だ。
グリードはそこでフローズを止め、丘の陰から先を覗いた。
そこに目当ての人族の一団がいた。護衛の兵は十数名ほどで、鎧姿ではあるが、前線の兵とは少し雰囲気が違う。槍や盾を持っているものの、隊列の規律はどこか緩い。中心にいるのはローブ姿の若者たちで、年齢は十代半ばから後半くらいだろう。荷は軽く、実際の行軍というより視察や訓練の延長に見えた。話し声の雰囲気からしても、緊張してはいても戦場を常とする者たちのそれではない。
候補生たちだ、とグリードはすぐに判断した。
その中で、一人だけ空気の違う少女がいた。銀がかった青い髪を後ろで束ね、他の候補生たちよりやや前寄りを歩いている。華奢な体つきだが、視線の動きに迷いがない。周囲の景色を見るというより、何かあれば即座に魔法を放てるように気を張っているのが遠目にも分かった。護衛の兵の死角をなんとなく埋めるような位置取りをしているのも、単なる見学気分ではない証拠だった。
グリードはそれを見て、候補生の群れの中に一匹だけ、牙を隠した獣みたいな気配を持つ者がいると感じた。そして、もう少し近づいて人数を正確に見ようとした、そのときだった。
フローズの全身の毛がぶわりと逆立ち、喉の奥から低い唸りが漏れる。同時に、グリードも地面の下から押し上げてくるような熱と振動を感じた。風向きが変わる。土の匂いに混じって、焼けた石と硫黄の臭気が流れ込んできた。
「伏せろ!」
異変に気づいた青髪の少女が叫んだのと、谷地の右手の岩場が爆ぜたのはほとんど同時だった。
岩場の奥から巨大なサラマンダーが飛び出してきた。胴の長さは馬三体分ほどはあり、四肢は太い丸太みたいな巨躯をもって地を叩く。全身を覆う鱗は赤銅色で、腹側は灼けた鉄のように暗く、背中の稜線には黒ずんだ棘が並んでいた。口が開くと、そこから漏れる息だけで周囲の草がちりちりと焦げる。目は溶鉱炉の中の炭みたいに赤く、理性より本能で動いていることが一目で分かった。
サラマンダーは候補生たちの列へ、真横から突っ込んだ。偶然近くを通りかかった野良の魔獣が暴れた、という動きではない。進路も、人の密集している位置も、最初から知っていたかのようだった。
護衛兵が叫んで槍を構えが、すでに遅い。サラマンダーは大口を開き、真横へ首を振るようにして炎を吐いた。
炎は一筋の火線ではなかった。濁流みたいな熱風に炎が混じり、横薙ぎに広がる。正面にいた兵が一瞬で火だるまになった。ローブの裾から全身に炎が燃え移った候補生たちが悲鳴を上げて転げ回る。荷車の布が燃え、乾いた木箱が弾ける。髪と布と肉が焼ける臭いが空間に充満していく。
グリードは歯を食いしばった。虐殺されているのは敵方の人族だ。だが、だからといってあれを見て平然としていられるほど、彼は壊れてはいない。見学に来たばかりの若者たちが、何もできず炎に呑まれて次々と死んでいく。戦場とはこういうものだと知っていても、理不尽さのあまりに強く歯噛みした。
候補生の多くは恐慌に陥り逃げようとしたが恐怖で転び、誰かが誰かを押しのけようとして、結果として続々と炎に飲まれていく。護衛兵も応戦しようとするが、サラマンダーは体当たり一つで盾ごと吹き飛ばし、さらに尻尾を振るって二人まとめて胴体を真っ二つに切り裂いた。
その中で、最後まで足を止めて抵抗していたのが、あの青髪の少女だった。
彼女は炎の向こう側で一歩退きながら杖を掲げ、短い詠唱とともに魔力を叩きつける。青白い光が空気を裂き、サラマンダーの顔面へ当たる。轟音とともに弾けたのは、風圧を伴う魔力弾だった。恐らく雷属性の攻撃魔法で、炎相手に有利な属性ではないらしいが、威力は十分だ。サラマンダーの頭がわずかに逸れ、次に吐かれる炎の角度がずれた。その隙に候補生が一人、転がるように逃げていく。
だが、少女もすでに無傷ではなかった。袖は焦げ、頬にも浅い火傷が走っている。それでも後ろを見ないで、自分が逃げるより、残った誰かのために時間を稼いでいるのだと分かった。
グリードは迷った。自分の任務は偵察だ。もしここで飛び出せば、候補生たちの情報を持ち帰るどころか、自分が生きて帰れなくなる可能性がある。しかも相手は巨大なサラマンダー。いまの自分が正面から勝てる保証などない。
だが、フローズが低く唸りながら前脚を踏み出した。彼もまた、ただの魔獣の暴走ではない何かを感じ取っているのだろう。サラマンダーは狙い澄ましたように現れ、候補生たちを焼いた。それに、あの少女をここで見捨てるのは後味が悪すぎる。そう考えた時、グリードは自然に動き出していた。




