正式なライダー
ノッケの工房は、いつもと同じように灰と鉄の匂いに満ちていた。
炉の火は赤く、金床の横には半ばまで修理された鞍や金具が積まれている。外の空気がどうあろうと、この場所だけはいつも同じ温度を保っているように感じられた。グリードは工房の戸をくぐった瞬間、ようやく胸の奥に溜め込んでいたものを少し吐き出せる気がした。
「いいことがあったみたいな顔してるな」
樽に腰掛けていたジャルが、開口一番そう言った。いつもの調子だが目だけは鋭く、何かあったことを見抜いている。炉の前で槌を握っていたノッケも、ちらりとこちらを見た。無駄な問いはしない男だ。だからこそ、グリードは回りくどい前置きなしで本題を言えた。
「……正式にライダーとして動けることになった」
工房の中に、一瞬だけ沈黙が落ちた。ジャルが口を開きかけ、それより先にノッケが槌を置いた。
「本当か」
「ガズロック副官から直接言われた。正式にゴブランライダーとして採用するけど、正規の部隊に組み込むのは難しいから、ライダー枠は俺一人だけ。あとは魔犬の群れで構成しろって」
言い終えた途端、自分でも信じきれていなかったことが、ようやく現実味を持って胸へ落ちてきた。正式なライダーになれたのだ、進化見込みなしの雑兵だった自分が。
ジャルは最初、ぽかんと口を開け、それから笑い出した。
「ははっ、そりゃまた思い切った話だな。けど、一人のライダーが魔獣の群れを率いる形なら、別に前例がないわけでもない。上の連中がそう認めたなら、もうお前はちゃんと本物ってことだ」
ノッケは大げさに祝福するような性格ではない。だが、彼は無言のまま工房の奥から布に包んだものを持ってきて、作業台の上へ置いた。布を開くと、中には革の匂いのする新しい装備が並んでいた。しっかりと手入れされた革帯、鞍に取り付ける補助具、軽い胸当て、さらに短剣と以前よりまともに整えられた鉄製の金具まである。
「……これ」
「この基地の正式装備だ。とはいっても、お前みたいな変則運用向けに新調されたもんじゃない。あり合わせを調整しただけだ」
ぶっきらぼうに言うが、その革の縫い目を見れば、ずっと前から手を入れていたのが分かった。グリードのために、表立たない形で少しずつ準備してくれていたのだろう。
「お前、最初から用意してたのか」
「用意してなきゃ間に合わん」
ノッケはそれだけ言って鼻を鳴らした。だが、それ以上説明しないのが逆に彼らしかった。
ジャルも樽から飛び降り、今度は珍しく茶化し抜きでグリードの肩を叩いた。
「よかったじゃねえか。雑兵から一気にここまで来るとはな」
その一言に、グリードは妙に胸が詰まるのを感じた。ノッケとジャルは、最初から手放しで自分を信じていたわけではない。それでも必要なときに助け、笑いながらも見下しはしなかった。その二人が、いまはっきりと喜んでくれている。それだけで十分だった。
しばらく工房の中で装備を触っていたあと、ジャルが思い出したように地図代わりの板を引っ張り出した。周辺の地形をざっくり刻んだ粗いものだが、斥候の頭の中にはそれよりもっと正確な地図が入っているのだろう。
「今まで詳しくは話してなかったが、お前も正式に動くなら知っとけ」
そう言って、ジャルはこの基地が対面している人族側の辺境都市について語り始めた。
都市自体は大きくないが、そこには魔術師を養成する学園があるのだという。だから前線で消耗があっても、一定周期で新しい魔術師が補充される。魔王軍側は都市を落とし切る決定打を欠き、人族側もこちらを押し返すだけの力が足りない。その結果、この戦線は十年ものあいだほとんど動いていない。
「両方とも、正直もう嫌になってるんだよ」
ジャルは乾いた声で言った。
「こっちは落としきれねえし、向こうは押し戻せねえ。毎年同じ場所で同じように血を流して、お互いに死人を作って、それで少し前に出たとか後ろへ下がったとか言ってるだけだ。厭戦気分ってやつだな。うちの兵も、たぶん向こうの町の連中も」
グリードは黙って聞いていた。十年というのは自分のような雑兵にとっては長すぎる時間だ。そのあいだ、戦線がほとんど動かないまま兵だけが消耗していく。魔界も人族も、きっともう惰性で戦っている部分があるのだろう。
だがジャルはそこで、少しだけ声を潜めた。
「ただな、最近ちょっと面白い情報が入ってる」
「面白い?」
「内通者がいるんだよ、向こうの街に。そいつが言うには、近いうちに学園の魔術師候補生どもが戦場見学に来るらしい」
グリードは眉を上げた。そんなものがあるのかと驚いたが、よく考えれば魔術師を養成する学園なら、実地の空気を見せることもあるのかもしれない。将来の戦力候補たちに安全圏から本物の戦場を見せておくことは無意味とは言えないだろう。
ジャルは口の端を吊り上げた。
「本当なら、将来の戦力をまとめて叩ける好機かもしれねえ。まあ実際に作戦になるかは上次第だが」
その話を聞いた瞬間、グリードの胸のどこかが小さく鳴った。正式にライダーとなったいまなら、そういう戦場へも自分は行けるのではないか。哨戒や雑用だけでなく、本当に重要な場へ。
ノッケが横からぼそりと釘を刺す。
「浮かれるな。正式にライダーになったからって、いきなり大仕事を任されるわけじゃない」
「分かってる」
そう答えながらも、グリードの中では次の戦場のイメージが芽生え始めていた。
工房の外では、夕方の風が岩壁を擦って低く鳴っている。グリードは新しい革帯を手に取り、その重みを確かめた。これはもう、こっそり作った練習用の道具ではなく、正式にライダーとして動くための装備だ。
見た目も、周囲からの評価も、まだまだ完全には変わっていない。それでも、自分はもうただの出来損ないではない。正式に認められたライダーだ。たとえ一騎だけでも、たとえ率いる騎獣がまだ隠したままのフローズだけだとしても。




