第43話 リセット<楠木麻樹side>
<楠木麻樹side>
◇
風香と海に溶けて消えた夜、恋がとても苦しいことを知った。
こんなにあなたのことが好きなのに。最近では、すべての行動が裏目に出ている気がする。
風香がパパと一緒にカフェに出かけた日。なんとなく嫌な予感がした。
だけど、さすがについていくことはしなかった。どうせ、家に帰ってきてから、風香に甘く迫れば、吐いてくれるだろうと思ったから。
そんな気持ちの余裕くらいは、わたしにだってある。
パパが先に家に帰ってきた時、元気がなさそうに見えた。
「おかえり」
「あぁ、麻樹か」
「風香は?」
「……カフェを出たあとで別れたんだ。少し街を歩きたいみたいでね。しばらくしたら家に戻ると思うよ」
「ふーん」
そっか。心配しちゃうなぁ。
「——なぁ。麻樹」
「何?」
「人を殺したって本当か?」
「……へっ」
「風香ちゃんが言っていたんだ。……まさか、麻樹に限って、そんなことはないよなぁ」
パパは笑いながら、頭をかいた。
数本のアホ毛が、好き勝手な方向に飛び出しているのが見えた。
「麻樹はお利口だもんなぁ。そんな、悪いことはしないよなぁ」
パパは子どもをなだめるみたいに言った。
わたし、もう高校生だよ?
パパにとっては、いつまでも手の中の、かわいい赤子なのかもしれない。
「ううん。わたしね——」
きっと、大人になりたかったのだ。
パパに成長したわたしを見て欲しかったのだ。
「風香の友達の首を絞めたの。加減がわからずに強く。そしたら、その数日後に亡くなったの」
「えっ……」
「驚いた?」
返事を聞かなくても、びっくりしているのがわかった。
目は大きく見開き、口もぽかんと開いている。
そんなパパの顔は初めて見たから嬉しかった。
「ねぇ——」
「うっ……おぇ……」
パパは口元に手を当てて、そのままわたしに背を向けた。
ツーンとした刺激臭が鼻をついた。
床にボロボロと茶色の液体が飛び散った。
「パパ!?」
「はぁ……うっ……」
近寄り、背中を撫でると、それがコーヒーであることがわかった。
パパは眉間にシワを寄せて、目をギュッと閉じていた。
——わたしのせいだ。
正気に戻ったというのだろうか。
目の前が、いつもよりもクリアだった。
わたしはパパになんてことを言ってしまったんだろう。
「——ごめん。嘘。ゲームの話!」
「……えっ」
「ほら、パパが買ってきてくれたゲームあったじゃん? 風香の友達もこの家に呼んで3人で対戦したの。その子が使ってたキャラをゲームの中で殺しちゃったんだよねー。風香はそのことを言っているんじゃない?」
嘘が口からペラペラと出てくる。
パパがわたしの顔をじっと見ていた。
「わたしが人を殺すわけないよ!」
とびきりの笑顔で答えた。
「……それは本当か?」
「うん!!」
「——わかった。麻樹を信じる」
パパは口元をぬぐった。
「麻樹は女の子なんだから、"殺した"なんて物騒な言葉を使ってはいけないよ」
「はーい……」
男の子だったら良かったのだろうか。
さすがに、それは聞く勇気が持てなかった。
パパはリビングからティッシュとビニール袋を持ってきて、自分が吐いたものを片付けようとした。
わたしはそれをボーっと見ていた。
——何もかもリセットしてしまいたくなった。
子どもの頃に戻りたい。
昔のわたしって、こんな感じじゃなかった。
もっと、パパにも等身大で愛されるような素直な子だった。
人を殺したことはゲームの話だと言ったけど、パパは本当に信じてくれたのだろうか。
——わからない。人の心は覗くことができないから。
風香に嫌われるのは怖い。
だけど、パパに見捨てられることの方が、もっと嫌だった。
わたしは、心の中でごめんなさいと呟いた。
◇
しばらくしたら、スマホに風香から電話が届いた。
迷わずに、すぐに出た。
『……あのさ、麻樹がこれから何か困ったことがあったらさ、すべて私のせいにしてくれていいからね』
「……えっ?」
意味がわからなかった。
突然、どうしたんだろう。
風香の声は暗かった。
『群青さんのことも、三石先生のことも。そして——屋敷のことも』
「んん……?」
『——その代わりにさ』
風香は、何かを決心するように息を吸った。
『……なんでもない。じゃあ、そういうことだから』
本当にずるい人。
軽く交わそうとするところも、とてつもなく好きだった。
風香は変わろうとしている。なんだか、そんな気がした。
じゃあ、わたしは?
彼女が変化するなら、それに、ついていきたい——。
その時、スマホ越しにカモメが鳴く声が耳に届いた。
「——今、海にいるでしょ」
思いついたことを口にしたら、ぷつんと通話が切れた。
……あはは。当たりだ。
風香は愚かでかわいい。目が離せない。わたしの手の届く範囲に、ずっといて欲しかった。
わたしはすぐに出かける支度をして、風香がいる場所に向かった。
絶対、絶対、見つけ出して見せる。
根拠なんてないのに、そんな予感で胸がいっぱいだった。




