表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界一嫌いな女が義妹になった〜ひとつ屋根の下での共依存関係〜  作者: 宮野ひの


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/44

第44話 幸福<楠木麻樹side>





 運命なんてものは当てにならない。


 風香を見つけた時には、どっぷり夜だった。


 あれから電話をしても彼女は出なくて、怖くなった。わたしは、意地になって探し歩いた。


 ——風香は海の中へと、歩みを進めている途中だった。


 何故かわたしには、彼女が生まれ変わろうとしているように見えた。


 ねぇ。置いていかないでよ。


「ふうかーーーー!!!!!」


 わたしは咄嗟に追いかけた。一人だけ、救われようとしないでよ。


 月に照らされた、美しい彼女に縋り付きたかった。


 もしかして、わたし達は、死ぬことでしかハッピーエンドを迎えられる方法はないのではないか。


 もう最果てまで来てしまっていた。


 風香と海の中でもがいて、希望を見つけ出そうとしていた。


 海水で肺は苦しいのに、頭はやけに冴えていた。ここで、彼女に殺されるのも悪くなかった。だけど——。


 やっぱりわたしは風香の側にいたかった。


 どうせ寿命が尽きたら死ぬんだから。


 限りある人生の中で、誰よりも一番近くにいたかった。


 それがわたしの幸福だった。彼女は、わたしのすべてだった。


 "地球温談化"と漢字を書き間違えたところを指摘された時、風香はわたしの恥を帳消しにしてくれた。


 小さなことかもしれない。

 だけど、あの時の怖がりのわたしはすごく救われた。


 図書館でキスをしてミツセンやリリアや、生徒達に見られた時も、風香は一人で恥を引き受けてくれた。


 勇気が出なかったわたしは、一緒に堕ちていくことができなかった。


 だけど今思えば、世界中を敵に回しても風香と一緒にいる道を選べばよかった——。


 一度失敗したら、もう二度と間違った選択は取らないことが大切だ。


 慎重に。よく考えて。


 わたしに今できる最大限のことってなんだろう。


 悩んだ先に見えたもの。


 それは、風香と一緒にいるために、新しいわたしに生まれ変わることだった。


 死ぬことができないなら、作り直せばいい。


 そう。わたしは、記憶喪失になることを決めた。


 ねぇ。風香。また、一から始めよう。


 わたし達が家族になれて、また話ができたように。


 今度こそ本当に幸せにならなければならない。


 ミツセンとリリアのキス写真を広めて炎上させたことも、屋敷姫萌を殺したこともすべて消してしまおう。


 パパだって、いい子の娘のほうがきっと好きに決まっているんだから——。


 記憶を手放してしまうと、もう二度と風香と過去について語り合うことはできない。


 辛いけど、それでもいい。


 これから、彼女の未来を独り占めにできるなら、安いくらいだ。


 ——そうして、わたしは新たな自分に生まれ変わった。


 病室の白い清潔な壁は、家のリビングにある真っ白なテーブルを想起させた。


 風香の目には、同情と慈しみの感情が浮かんでいた。

 彼女に強い関心を持たれていることが、身震いがするほど嬉しかった。


 何にも染まっていない状態から、また始めよう。


「風香ちゃん……うーん。硬いかなぁ。ねぇ。これから、ふーちゃんって呼んでもいいですか?」


 世界一大好きなあなたへ。


 希望ある未来という、とびきりのプレゼントをあげるね。





 病院から退院して1ヶ月。


 記憶喪失のふりをするのは、思ったよりも楽だった。


 過去のわたしが知っている情報を、すべて忘れたふりをすればいいだけだから。


 パパも風香のお母さんも、誰も疑ってなんていなかった。


 緊張から解放されたような緩んだ顔つきをしているから、風香が信じ切っていることは、すぐにわかった。


 彼女の隣にいられることは、とてつもなく幸福そのものだった。


 ——だけど、キスできないことは不満だった。


 かつてのわたしだったら、夜に風香のベッドに忍び込むことも容易だっただろう。


 しかし、"記憶喪失のわたしが"急に行くことは不自然だ。


 境界線を越えてはならない。わたしは、どこからどう見てもいい妹でいなければならなかった。


 ——いいんだ。別に。


 一家離散するくらいなら、今のままでも十分に幸せ。


 そんなことを、自室で一人勉強をしながら、悶々と考えていた。

 間違えた数式を直すのも怠かった。


 ——その時、コンコンと部屋のドアがノックされた。


「……パパですか?」


 こんな夜遅くに訪ねてくるのは、一人しかいない。わたしの唯一の肉親だ。


 わたしは、記憶喪失のふりを徹底しているから、パパに対しても敬語を使っていた。


 一瞬の静寂が訪れる。


「——違う。私。風香」


「えっ……」


 なんで。どうして。


 わたしは、動揺を悟られないように、咄嗟に口をつぐんだ。


「……ふーちゃん? 待ってくださいね。今、ドア開けますから」


 勉強する手を止めて、椅子から立ち上がる。


 一呼吸置いて、ドアを開けると、そこには紛れもない、パジャマ姿の風香がいた。


 季節外れだというのに、薄着の——わたしとお揃いのパジャマを身にまとっていた。ポケットのうさぎが、じっとこちらを見ていた。


「——どうかしたんですか?」


「ちょっと、眠れなくて。……部屋に入ってもいい?」


「う、うん。いいですけど……」


「ありがと」


 そう言うと風香は、わたしの部屋に足を踏み入れた。


「——雑誌とか脱いだ服とか散らばってるね」


 顔が赤くなるのが自分でもわかった。


 記憶喪失のふりをしていても、わたしは、根本的に部屋の掃除が上手くならなかった。


「ご、ごめんなさい。そこの隅にあるクッションの上に座ってくれますか?」


「——ベッドの上でいい?」


「えっ……」


「ここだと、唯一きれいな場所っぽいから……」


「あ、あぁ! いいですけど……」


 すぐに風香はベッドに座った。ぎしっと弾むような音がする。


 ——情事について、否応でもなく思い出してしまった。軽く頭を振る。


 当たり前だけど、この1ヶ月。風香は、わたしに触れてくることはなかった。


 それどころか、一緒に本屋に行ったり、夕飯の買い出しに行ったり、まるで本物の姉妹のような行動を取ってくれていた。


 わたしは少し迷った後、机の前にある椅子に座り直した。


「……今、勉強してたの?」


「はい」


 わたしはぽりぽりと頭をかく。


「もしかして、邪魔しちゃったかな」


「そんなことないですよ! ちょうどキリが良いところまで終わったので。今、予習をしていました」


「偉いね」


 風香はわたしのベッドに、気怠そうに体を預けながら、こっちを見ていた。

 いたたまれなくて、目を逸らす。


「——ねぇ。いつまで勉強続けるの?」


「えっと」


「隣、空いていて寂しいんだけど……」


 空気が変わったような気がした。


 風香はどうでもいいように——だけど、明確な意思を持って、わたしを誘う言葉を口にしていた。


 何も言い返せないでいると、彼女は、わたしの許可なく、そっとベッドの中へと潜り込んだ。


 シャーペンを持つ手に力が入らなかった。


 誘導されるように、わたしも彼女の隣へと近づいた。

 ベッドに二人横になって寝てみると、相変わらず狭かった。


 ——だけど、心地が良かった。


「あ、温かいですね」


「うん。ねぇ。麻樹」


「はい。なんですか?」


「前にもさ、私たち添い寝をしたことがあるんだけど——ねぇ。本当に覚えてないの?」


「…………はい」


 言葉を返すのが少し遅れてしまった。


 ——本当は覚えている。すっごく。


 なのに今のわたしには、そう言う資格がまったくなかった。


「……ふーん。そっか」


 だけど、風香は納得したみたいだった。


 わたし達の間には明確な距離がある。


 本当に二人とも、ゴロンと横になって寝ているだけだった。


「——ねぇ。一つ聞いてもいい?」


「はい。ふーちゃん。なんでしょうか」


「それ」


「えっ?」


「その、ふーちゃんって呼び方はなんでなの?」


「だって、風香って名前ですので。その……」


「私達はさ、姉妹なんだよ。だったら、お姉ちゃんとかさ、他にもあったじゃん」


「……確かに。そうですね」


 お姉ちゃんと呼べなかったのは、風香がお姉ちゃんには見えなかったからだ。


 本人の前ではさすがに言えなかった。


「……まーちゃん」


 隣から、か細い声が聞こえた。


 心はざわついたけど、わたしは前を向いたままでいた。


「ふ、ふーちゃんって呼んだからって、お返しってやつですか?」


 一呼吸を置いた後、風香の顔を見て、にっこりと笑って見せた。


「……うん。そうだよ」


 わたしは今日も境界線を引くことに成功した。


 わかりやすいくっきりとしたラインを引き続けなければいけない。


 ——これでいいんだ。


「そろそろ、電気消しますか」


「うん。お願い」


 真っ暗なのが怖くて、豆電だけは付けておいた。


 風香と一緒のベッドに寝ているのに、何も起こりはしない。とても近いのに一番遠い場所に彼女はいた。


 程なくして、隣からは寝息が聞こえてきた。スースーと規則正しく、布団も微かに揺れていた。


「……寝ましたか?」


 返事は返ってこなかった。


 わたしはホッと安堵の息をついた。


 風香の寝顔はきれいだった。その唇にキスをしたくなる。


 駄目とわかっているほど、衝動は強くなる。


 心臓が速くなるのがわかった。


 ——だけど、もうこの関係を崩したくない。


 わたしは胸に手を当てて、グッと堪えた。ゆっくりと深呼吸をする。


 その代わり、わたしは手を伸ばして、風香の頬に触れた。

 あまりにもなめらかで、指が滑った。


 彼女の頬には、微かに絵の具がついていた。

 最近、風香はわたしの絵ばかりを描いている。透き通った瞳の、美化された自分を見せられるとやけに照れくさかった。


 一瞬ためらった後、わたしは彼女から離れ、そのベッドの上に放り投げられてある手をぎゅっと握った。


 ——これくらいだったらいいよね。


 もしバレたら怖い夢を見たことにしよう。


 記憶喪失になる前のわたしも悪夢ばかり見ていたのだから。


 だけど、目をつぶっても、眠気はやってきそうにはなかった。今夜は徹夜かな。


 思えば、わたしの部屋に風香が寝るのは初めてだった。

 なんだか、独り占めしたみたいな気分になる。あはは。


 涙が出そうになるのを必死に堪えた。


 ——嘘をつくのは辛かった。


 その時だった。握った手に力が加えられた。

 あっと思った矢先に、風香が握り返してくれたことに気付く。


 絡みつくように、逃がさないように、たどたどしい手つきだった。


 思わず風香の顔を見た。だけど、彼女はスースーと寝息を立てたまま、目をつぶったままだった。


 ——ねぇ。風香。大好きだよ。


 偶然でも、故意でも、なんでもいい。このままあなたの隣に、ずっといてもいいのかな。


 記憶喪失になった自分を覆したりなんかは絶対にしない。


 だって、真面目な風香に軽蔑されちゃうから。


 だけどもし、わたしの嘘に気づいてくれたのなら、わたしも気付かないふりをしたままでいてあげる。


 それが最大級の愛だと思うから。


 汚いゴミの部屋の中で、風香だけがいつまでも輝いて見えた。遠くでパパと風香のお母さんが笑い合う声が聞こえた。わたしは安心して、目を閉じた。


 風香と出会って、絶交して、義理の姉妹になった。

 それ以上、何を望むことがあるのだろうか。


 どこまでも黒が続いていく。右を見ても左を見ても、真っ暗。

 重力のまま流されるように、下に落ちていく。底がしれない。夢と現実の間はいつも怖くて、心地が良い。


「寝た……?」


 遠くの方で、声が聞こえる。気のせいかもしれないから、返事ができない。わたしはとうにベッドの上にいる感覚が薄れていた。二本足で立っていて、頑張れば、空だって飛べそうだった。


 ごそりと掛け布団が擦れる音がする。もしかしたら、風で木々がざわめく音かもしれない。わたしは草原の中にいた。手はじっとりと汗ばんでいる。


 視界が色濃くなる。あっと思った瞬間、唇に生暖かい何かが触れた。それはまるで陽の光のようで——。


 頭の奥を痺れさせる淡い香りが、ゆっくりと全身を満たしていく。風香の匂いだった。だけど、目の前に彼女はいなかった。わたしは一人ぼっちだった。


「好き……」


 耳をくすぐる、甘い声がする。ギュッと目をつぶって、次に開けた時、風香がいた。わたしに覆い被さっていて、切なさを押し殺すように、優しくしがみついていた。


 ——あぁ。これは夢だ。


 そうとわかっても高鳴る胸が止まない。


 わたしは彼女を優しく抱きしめ返した。ふわふわの感触が愛おしい。風香の顔が見たいのに見えない。


 こっちを向いて欲しい。


 わたしは、壊れものを扱うみたいに、彼女の頬にそっとキスをした。


 ——風香が顔を上げて、目を大きく開ける。その瞳には、涙が浮かんでいた。


 たとえ夢の中でも良い。この先も、ずっと彼女と一緒にいられますように。願掛けをするかのように、ゆっくりと瞬きをした。夜が明ける。もう少しだけ眠っていよう。


 わたしはこの上ない幸福の中にいた。




END

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
単なる嫌い→好きじゃなく、一度壊れた関係を修復しながら新しい形で依存しあうのがすごい刺さりました…。 次回作も楽しみにしています。 暑くなってきたので、お身体に気をつけてください。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ